2007年4月 6日 (金)

「タネ」があるから面白い。

みなさんは、自分の中で”マイ・ブーム”なるものはありますか?

または、密かに楽しんでいることとか、見てて楽しいこと……。(怪しい)

私は最近(というか、ここ2~3年)、たまに「手品を見る」ことが好きなんですよね。

といっても、ショーを見に行くというわけではなくて、たんにテレビの画面を通じてです。

……なんか、暗い人のような気がしますが(決して、そうではありません笑)、「手品を見て驚くのが好き」というよりも「手品のタネを見つけるのが好き」といった感じでしょうか。

イリュージョンなどの大規模なものは想像の範囲を超えてしまうので、あまり良く分かりませんが、「客の目前で不思議を魅せる”テーブルマジック”」のタネやそのヒントなるものを、いかにして見つけられるかが好きなのです。(だからといって手品は出来ませんし、習得しようとも思ってません)

手品って、まるで魔法のように物が消えたり、移動したりすることを眼前で繰り広げられるからこそ、普段の常識外の出来事に驚くわけなんですが、そこには必ず「タネ(仕掛け)」があるんですよね。

そう思えば、「タネをいかに隠して、客に目の前で起こった出来事を信じさせるか」という点において、「面白い」わけです。

つまり手品は、「タネがある」からこそ面白いんです。

大体、人間の「錯覚」や「思い込み」、「時差」を上手く利用して、瞬間的に印象付けるものがほとんどだと思いますが、それを相手の「視覚」や「聴覚」、「触覚」を使うことで信じさせ、出来事を成立させるというプロセスにおいて、少しでもタネ(仕掛け)へのヒントを見抜けた時に、一人喜んでます。(決して怪しくないです)

よく、手品を披露する前に「タネも仕掛けもない」ということを前提に始めますが、これもこれから起こることを不思議がらせるためには、必要なことなんですよね。そうすることで、一度「タネも仕掛けもない」という状況を相手に印象づけるので。

なので、その後起こった出来事が、余計不思議に見えて衝撃を受けるわけですよね。

こういう小さなことも、人間の性質や思考傾向を利用して成立していると思うので、「手品が面白い」というよりもその一連のプロセスを考えるのが面白いんです。(決して暗い人ではありません)

さらに手品師って、よく見ると「手」の手入れが行き届いていて、特に爪はみなさん綺麗に磨いています。(男性が多いですが、みなさんそうですね)やはり、いかに滑らかに手品を見せるためには「手」の動きが重要で、錯覚を起こさせるには「手」よりも「物」に集中させないといけないからだろうと思っているのですが、どうでしょう。

でも、こういう風に手品のことを考えていくと、物事にも通じてくることがあるなあと思った次第です。

つまり、手品のタネ(仕掛け)は、手品師から見れば既に「そうなる(不思議なことが起こったように見える)」ように出来ているわけで、タネ(仕掛け)があるからこそ、起こる出来事を成立させることが出来ます。これは物事や人にも似たような側面があり、華々しい部分や輝かしいところだけを見てしまうと、その一部分だけで判断してしまいがちです。

ですが、必ずそこには「何をチャンスとして捉えていたのか」や、「何をもってして、臨んでいたのか」など、いわゆるタネ(仕掛け)に似たようなものがあると思うのです。

だからこそ、やっていて楽しいのではないかと思います。

(手品に関しては、純粋にエンターテインメントとして楽しむのも良いのでしょうが)

……というわけで、普段言わない話題を書いてみましたが、「手品」のことを深く聞かれても知識は全くないので、ご了承ください(^^;

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2007年4月 2日 (月)

今日の異業種交流会から。

今日は、週一回の異業種交流会ということで、その名も「トップセールス研究会」。

様々な業種の方が集まり、週を追うごとに増えていくのがすごいですが、皆さんいろいろなご経験をお持ちのようで、何も話さなくても、話を聞くだけで参考になります。

学生時代から取材で、いろいろな社会人の方からお話を聞く機会はありましたが、一箇所に集まって意見を出し合うという経験はなかったですし、皆さん年上の方ばかりなので、私にとって大変新鮮な時間です。

皆さん営業のプロのようですが、大変気さくで聞き上手だし、反応上手だなと思います。

まだ始まったばかりで、個々人の仕事観などゆっくりお聞きすることができませんが、でもどのような意識を持って今があるのか、これからたくさん学んでいきたいと思いますし、自分自身の在り方もさらに確立させていこうと思っています。

今日は、ミニプレゼンで「移動は何の収益も生まない!-西松屋の研究」と題して、金融業界のKさんが「コストと時間の節約」などをテーマに作業の効率化について話してくださいました。

作業の効率化については、いろいろなところで問題視される内容だと思いますが、私は「いかに目標達成すべきか」というプロセスの中に「作業の効率化」というものが出てくるのではないかと思います。

つまり、目標を掲げると、それを達成するまでに様々な作業や出来事があると思うのですが、その目標を達成するための「最適なプロセス」を考える中で、必然的に「作業の効率化」が出来てくるのだと思います。

目標や夢を掲げても、それが単なる机上の空論で終わってしまわないためには、目標到達までのプロセスを描くことであり、それを試行錯誤しながらこなしていくことなのでしょう。

そこには自分の意志が必要で、明確なビジョンも必要になってきます。

これは、自分自身もよく感じることで、物事や出来事に対して印象で終わってしまうことが往々にしてあると思うのですが、それだけではいけないですね。

例えば、本の感想一つにとっても、どの言葉をもって自分の印象や学んだことを伝えるかが大事になってきますし、「面白かった」「良かった」という印象批評だけでは、何も伝わりません。

もし、抱いた印象を「面白かった」という言葉でしか表現できないのであれば、それは自分のボキャブラリーが少ないということに繋がり、もっと語彙を増やす→様々な本を読む→メモを取る→印象を言葉に代えるなどの対策が出てきます。

このように、いかに自分で思考錯誤しながら物事に取り組み、たまには自分でシステム化しながらやっていくかが大事だということが分かります。

よく「環境を変えるより、自分を変えよ」という言葉を耳にすると思いますが、まずは自分の意識を変えることですよね。

人によって「当たり前」が違うとは思いますが、FUNでよく言われる「当たり前のレベルを上げる」ということを大事にしていきたいと思います。

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2007年4月 1日 (日)

「無用の用」。

老子は言っています。

「物事には相対する両面があり、善悪・美醜ともに客観的な価値観によっては区別できない。これと同様に有と無も区別できない関係にある。

土をこねて器をつくる、空のところが役に立つ。

窓を開けて家をつくる、空のところが役に立つ。

だから、有が役に立つわけは、裏にある無が働くからだ。」

毎週土曜日のBCは、近現代史勉強会と並ぶほど個人的に好きな時間ですが、また一ついい時間を過ごせました。

一見すると意味を為さないと思えるものも、それがあるからこそ一つの事象として成り立つということは、よく考えれば当たり前のことなのですが、納得です。

このように考えていくと、人間の在り方にも通じてくるなと思います。

特に完璧でありたいと思う人には、この老子の発想は大変参考になるのではないかと思うのですが、短所があるからこそ長所が際立つ・長所と短所があると分かって、「自分」という人間が成り立つ。

そう考えれば、短所にだけ立脚して考えるのも「自分」という人間をネガティブな面だけでしか見れませんし、長所だけを見て考えるのも傲慢になる自分がいるだけだとするならば、どちらかに立脚した見方をするのではなく、相対的に見ることで「一人の人間」としての存在を受け入れられるような気がします。

よく「物事を多面的に見る」ということは言われますが、人間、目の前に見えるものだけに囚われてしまうのは大いにあります。

その時は、まるでその眼前にあるものだけで全てのことが成り立っているように感じてしまいますが、そうではなく、その事象がクローズアップされているならば、必ずその反対のことが起こっているという背景も読み取ることが大事なんだと教えられます。

「道徳が叫ばれるときは、不道徳な世の中なのであって、本当に道が行われている世の中ならば、誰も騒ぎ立てない。それが大道の世の中である。」

何らかの規則が出来ることは、それで社会の秩序が保たれたり、よくなる方向への手段として解釈されがちですが、実はそのような規則を作らないと守れない人々がいる、または不調和をきたすからルール化するのであるということも事実です。

このように物事を相対的に見るという視点は、歴史の事象においても言及されてあるのですが、私達は情報摂取においても、気をつけなければならないなということを同時に考えさせられます。

何が良いか悪いかは、その人自身の価値判断が入るため、絶対的なる基準というものは存在しないのでしょうが、偏った判断をしないためにも様々な視点を持って一つの事象を見ていくことの重要性を改めて感じた次第です。

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2007年3月31日 (土)

日々の「気づき」から。

最近よく、物事に対して気づきや発見が多いのですが、これをFUN顧問の小島さんからは「悟り」と言われています(笑)

みなさんも本に書いてあることや、何かを学んだとき、自分の経験や知識が相まって「なるほど」と心から深い感動を覚えたことがありませんか?

その時の心境といったら、天下を取ったとでも言わんばかりに嬉しいのですが、それが常日頃から考えていることや追求していることだと、さらにその嬉しさは倍になりますよね。

同じ本でも、以前読んでいた時と反応する箇所が違うことや、見過ごしていた箇所に大きな気づきがあるというのは、誰もが経験したことがあると思います。

さて、この「気づき」(悟り)は、一種の自分の成長ともとれ、その度ごとに感動が深くなっているように思うのですが、以前の私はこの「気づき」があること自体が嬉しく、一気に視野が広がったという印象を受けていました。

ですが、最近はこの「気づき」を自分に生かすにはどうすれば良いのか、またその「気づき」から得られることは何なのかを、より深く追求する姿勢が保てるようになりました。

これは言い換えれば、「自分に落とし込む」という作業なのかもしれませんが、ようやくその意味に気づき始めたという次第です。

私は、仕事や人生を通じて人間的な価値を高めたいというテーマがありますが、まだまだ人生が何たるかも分かってないですし、仕事が何たるかも分かっていません。

果たして分かる日が来るのか、ということ自体が謎ではありますが、でも一つ一つの気づきを大事にしながら過ごしていくことで、自分の目標や夢も達成していきたいと思っています。

………どうしても、抽象的にしか表現できないのが残念ですが、この「気づき」の内容もまた具体的に説明できる様になりたいですね。

でも、自分の中で内なる感動を味わえることは最高に素晴らしいことだと思いますし、経験や知識が更新されてこそ、またその感動の質が変わってくることも事実だと思うので、常に更新し続ける自分でありたいと思います。

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2006年12月24日 (日)

改めて、「なるほど」。

腰を痛めて早一週間。どこから来る痛みかは結局分かりませんが、今年は事故ったり体壊したり、結構体を痛める年だったかも・・・と思います。でも、睡眠を十分取れば少しは楽になりました(笑

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さて、今日「なるほどな」と思ったことを一つ。

腰の痛みでボーっとしている時に何気なくテレビをつけてみると、先生と生徒の授業風景の映像が流れていました。どうやら小学生の算数の授業のようでしたが、「(紙)を折って、折って、切ったら何枚になる?」というテーマで、子供たちと一緒に実践しながら授業しており、「はて、何枚になるんだっけ。」と思い、そのまま見入ることに。

・・・正解は5枚です。そしたら、今度は「折って、折って、折って、切ったら何枚?」というテーマに変わり、子供たちはそれぞれ予想し、その予想の裏づけとなる根拠を、各々述べ始める。つまり、実際に自分たちで手を動かして、その答えを知る前に予想をしていくわけなんですね。

私はその先生の授業の進め方が、「上手だなあ」と思って見ていたわけですが、子供たちも一旦考え始めると、きちんとした理論で答えを導き出そうとしているその姿勢に、「やるなあ」と思いながら見ていました。

私は算数・数学が苦手だったので、今でもあまりよく分かりませんが、でもその先生が言うには「算数というのは、その先の答えを予想して、導き出すことができるから面白い」というものでした。

確かに、数列など法則性を見つければ、どんなに並びが後の数字でも、一発で答えが導き出せるわけですが、私自身「先を予測できる面白さ」ということには、全く気づきませんでした。そして、その「考える楽しさ」を教えようとする先生の独自の教材や、授業への姿勢に好感を抱いたわけです。

そうやって番組を見ていくと、その先生の一番の楽しみは「街中を歩くこと」だそうで、街中のいたるところが、授業のヒントや教材の材料に溢れているとのこと。これは、FUNでも、「街中を散歩してみると、いろいろな社会情勢が分かって面白い」とよく言われることですが、そのテーマの違いや歩く人によって見え方が変わってくるので面白いものです。

わざわざ遠くに行かなくても今いる場所から、その「楽しさ」を見出せるという人は、本当に自分がやっていることを楽しいと思っている証拠だということが分かります。

そして、最後にその先生が言った言葉は「よく授業で45分間、ただしゃべり続ける先生がいるけど、それじゃあ生徒は頭に汗をかくこともない。授業の最初に”今日はこの問題を解きます”と先生が言っても、それは”先生にとっての問題”であって、子供たちは”自分たちの問題”としては、捉えていない。実際に自分たちでやってみて、”あれ?”と思った瞬間から初めて”自分の問題”として捉えるようになる。そして、追求していくことで自分の頭に汗をかく」。

うーん・・・聞き手の状態を把握して、相手の目線で話し始めることはFUNスピーチ塾でも毎回よく聞くことですが、確かにそういう「独りよがり」的なことは多々あるかもなあと改めて思いました。特に相手と共有できない話題や問題は、全て「独り言」のような状態になってしまうので、それに気づいていない人というのは、案外多いのではないでしょうか。

人間、当事者意識を持たないものは全て、「自分には関係ない」と思っているので、いかにその関係性を見出せるか。そして、相手と自分との関係性を見出すことも、重要なことなのでしょうね。例えば、「算数」という勉強を通して先生と生徒が、同じ問題を感じ、同じ喜びを共有し合えるように。

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2006年12月13日 (水)

みなさんの「テーマ」は何ですか?

うーん、やっぱりBilly Joelの「Honesty」はいいですね。

ずっと聞きたかったのを、Y田君がCDに落としてくれたので、作業の傍らリピートされまくりで流れています。

そういえば、先日福岡にコンサートで来ていたようですが、どうだったんでしょう・・・・☆

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さて、最近というか以前から私は、人の行動特性と思考の関係、果ては群集心理などに興味があり、それがひいては、人間の人生観などにも関係しているのだろうと思っているわけです。

そこで最近は、自分が学生時代を過ごしてきて、また卒業してからは毎日学生と接する中で、「何故人は、条件を目的に摩り替えて、わざわざ苦しい生活をしてしまうのだろう」ということを疑問に思っていました。

例えば、学生のみなさんだったらこういうことを思い当たりませんか?

◆学校のレポートや卒論、就活時のES・・・「分量を稼ぐ、期限を守る、提出する」ので精一杯。

◆就職活動・・・「とにかく内定をもらう」ことに精一杯。

これは、上記に挙げたものは全て、その事を成すための「条件」に過ぎないことが、いつの間にか目標や目的になっていることの一例です。こういう状態になってしまうと、作業を終えたことの達成感よりも解放感しか得られず、また行ったことに対しての自信も生まれません。

でも、こういうことって大半の人が経験したことがあるのではないでしょうか。

じゃあ、何故分かっていながら、また同じことを繰り返してしまうのか・・・。

それは、「自分が過ごす上で、テーマがはっきりしていない」からだと思います。

「なんだ、そんなことか。よく聞くことだよ。」と思った人もいるかもしれませんね。

でも、しばしお付き合いください(笑)

人間というのは、毎日何かをしながら過ごしているわけですが、その中で様々な情報にも触れています。では、その中で果たして何人の人が毎日にテーマを持って、また自分の人生にテーマを持って過ごしているのでしょうか。

よく学生の就職活動にも「情報の氾濫」が、余計に将来の選択を惑わせているという風に言われることがありますが、そもそも「情報の氾濫」なんていうのは嘘だと思いますし、そういうことはあり得ないと思います。

つまり、「情報の氾濫」などと言っている人は、自分で選択肢を作れない人だということではないでしょうか。

・・・ということは、どういうことか。

例えば、「自由に自分でテーマ設定をして、文章を書いてください」と言われたとき、学生のみなさんは、何を書くでしょうか。

「自由にテーマ設定」と言われれば一見響きはいいですが、まず「テーマ設定」の点で悩む人が多いかもしれませんね。

では、「テーマ設定」をする際に何を考えるかといえば、恐らく自分の興味・関心や問題提起などを思い起こすでしょう。そして、その「テーマ」が決まれば今度はそれにまつわる情報を自分の中で検索し始める・・・ここで、第二の悩みに入る人も多いはず。

それは、自分の中で「検索」できないということです。つまり、経験や知識のストックがあったとしてもそれが一体何と関連しているのか、どういう分野で発揮されるのか、整理がついていないため、検索しても引っかからないわけなんですね。いや、それ以前に検索にかける際の「キーワード」を思いつかないということもあり得るかもしれません。

こういうことが、自分の中で起こってしまうため考えることが嫌になり、結果として「とにかく書くことで精一杯」という状態になってしまうのではないでしょうか。

・・・・では、ここで一つ気づくことがありませんか?

それは、自分の「テーマ」によって、情報は収集されるということです。

それならば、「テーマ」を考えることが大事になってくる・・・「テーマ」を考えるということは、社会に対する問題意識や周囲への関心が不可欠である・・・つまり「自分」以外に関心を持つ・・・ということになりますよね。

これが、ひいては人生や国・社会という大きなものから、毎日の学生生活という小さなことまで、自分でテーマ設定をしながら日々を過ごせば、自分が触れる情報は「目的が明確で、いつでも検索できる価値ある情報」として、自分の中にストックされるわけです。

こういうことを繰り返せば、結果的に「思考のムダを省く」ことにも繋がるのではないか、と個人的に思っています。

そうすれば、自分の毎日の生活や人生は、より価値あるものとして過ごしていける要因の一つにもなり得るのではないでしょうか。

これは、就職活動にも当てはまりますよ。「自分がやりたいことが分からない」という言葉を頻繁に聞きますが、それは「周囲が見えていない」ということで、つまり自分のテーマ設定がまだあやふやだということかもしれません。

みなさんが働こうとしている会社も、「テーマ」を持っています。それは必ず上記のように、「社会の問題解決をしたい」という周囲への関心から端を発しているはずです。創業者の人は何を思って、世に出回る商品やサービスを作ったのか、いろんな創業者の本を読めば、その問題提起の仕方も学ぶことができると思います。

・・・というわけで、自分の「テーマ」を持つことの大切さ、そしてその「テーマ」があやふやであればあるほど、取り入れる情報も自分にとって価値があるものではなくなり、また表面的なことばかりに心を砕くようになってしまうのではないかと思います。

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実は、昨日のFUN作文塾、第二回「書くことは最後の作業だ」から、ふと気づいたことです。

最後まで読んで下さった方、有難うございましたm(_)m

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2006年11月25日 (土)

感激。

今日は、雑誌forFUNの発刊日。通巻38号となりました。

今回の特集は「トップ営業マン」特集ということで、チームを作って各取材を行ったそうですが、毎月毎月団結度や段取りもよくなっていき、みんなで雑誌を作る喜びを味わえるようになってきましたね。

もうすでに新年号の方も着手してあり、なんとも頼もしい限りです。

さて、今日はサプライズ企画ということで明日26日の私の誕生祝を部員のみんなが集まってやってくれたわけですが、大変感動しました。

毎年、本人には知られずに進めるのは部員の顔ぶれが変わっても変わりません。

温かい心のこもった手紙のアルバムを受け取ったわけですが、便箋やカードを選んで筆をとって書いているみんなの姿を想像すると、大変胸にジンときて、本当に嬉しかったです。

大切にとっておきたいと思います。

どうやらテーマは”ラブレター”だったようですが、確かに告白めいた言葉がたくさんあり、しかとその気持ちは受け止めました(笑)

今年も残り一ヶ月になりました。

FUNゼミや他の講座も良い形で締めくくっていきたいですね。

部員のみなさん、本当に有難うございました(^^

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2006年11月 1日 (水)

講演会にて。

今日(10/31)は、ある学生団体さんの就活セミナーの講師として招かれ、これから就職活動をする3年生に「見方を変えれば、不安から希望が生まれる!」というタイトルで話しました。

就職活動といえば、「きつい」「めんどくさそう」「暗い」というイメージが私の頃もありましたが、現在の3年生も大して変わらない様子で、「できれば避けたいもの」としてのイメージが強い印象を受けました。

FUNでは「就職活動は楽しいもの」という位置づけで毎年やっているので、今の4年生はもちろんのこと卒業生もそういう就職活動をしていましたし、これからの3年生もそうなることでしょう。

でも、今から就職活動を始める3年生にとっては、未知の世界のように思えて、とにかくエントリーシートや面接をクリアすることだけに着目して、その対策法ばかりを今の時期から求めようとする人が大変多いです。

ですが、よく考えてみてください。就職活動とはどういう目的があるのかを。そして何のためにするのかを。「今だけ」に着目するから、「今だけ=就職活動時期」だけ乗り越えればいいと考え、そしてそれが乗り越えられるだけの対策だけしか得ようとしません。

でも学生のみなさんは、将来どんな自分でありたいか、そしてどういう知識を身につけて、どいういう分野で貢献していきたいか、もっと長期的な視点を持つことが重要だと思います。・・・・今日は、そういう視点を持つことの必要性と会社や仕事を面白く捉える見方、そして自分の選択肢を増やす考え方を話しました。

明日から、毎週水曜日に「FUN就活コース’07」が始まるので、またいろいろな学生さんと接するのを楽しみにしています(^^

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2006年10月29日 (日)

久々です。

久しぶりの更新です(^^;

FUNのホームページも続々と更新されました。「FUNのみんなってどんな勉強してるの?」と思っている方は、過去の分も全て掲載しているので、ぜひご覧になってください。→ホームページ

さてさて、来週からまたFUN就活コース’07が毎週水曜日に実施されます。

去年から、他の学生も参加しやすいようにと、就職活動対策だけに特化したこの企画。

あれから早一年経つもので、当時3年生で受けていた今の4年生と「早いね」と去年のこの時期を振り返ることも多くなりました(笑)

FUNは就職活動も大事にしているサークルです・・・が、やっぱりFUNのキーワードでもある「夢との待ち合わせ」を大事にしています。そして、それを共有しあえる仲間がいることも大切な要素です。

最近はもっぱら活動に対しても積極的な部員が増えてきたおかげで、いろいろとやる幅が増えてきて、毎日が楽しいです。

あとは、自分が抱いている社会に対する問題や思いをどう顕在化させていくか、そしてその解決策を自分でも生み出せるよう思考を鍛えることに発見や納得があり、楽しく感じています。

「本質を見抜く」とはよく使われる言葉ではありますが、簡単にできることではなく、まずは本質を見抜く「目」を養うことが重要だと思います。そこには、常に自分自身で問い続け、思考を途絶えさせないことが必要でしょうか。そのための学びや精神を鍛えることは、怠ることなく、実践していきたいと強く思っています。

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2006年9月15日 (金)

職業観。

最近はいろんな企業さん、学生に会う中で、若者の職業観について頻繁に考える機会がありますが、企業さんと学生の意識は結構な格差があるように感じます。

職業観=人生観と捉えてもいいと思うのですが、学生は卒業後の進路ということで、短期的にしか見えない部分があり、中々自分ではそこまで気づきません。また、企業に入ること、内定することが「目的」になっているため、そこには誰の存在も介在せず、自分しかいないのでよく壁にぶち当たるのでは、と思います。

ある通信機器販売の社長が「自分は起業しているけど、それが目的じゃない。自分にとっては手段にしかすぎないんだ」という風に言っていた時、”なるほどな”と思いました。

私は、仕事も”自分”という人間を確立させ、表現していくための一種の手段であると思っています。だから、一口に「仕事」といっても、起業して社長になったり、営業マンしたり、販売したり、事務作業したり、その表現法は様々です。これは仕事に限らず、趣味でもそうだと思うし、友人関係でも、そうだと思います。

だから、自分をどう表現するかは自由であり、自ら選択肢を掲げ、その中から取捨選択することができるのが、「今」を生きている私達の幸せなことじゃないでしょうか。国の情勢などに左右されることもあまりないですしね。

ただ現在感じるのは、選択肢さえ自分の中で挙げられない状態にあるのが、学生や若者の現状ではないかなと思います。勿論情報というものは、あちこちに溢れていますし、掴もうと思えば、すぐに掴める状況にあります。ですが、その情報にさえ自分で価値を持たせることが出来ない、そんな感じだと思います。

私は、今の学生や若者が悪いと言いたいわけではなく(私も若者なので)、もっと自分の判断でいろいろなことを決められるよう、自信をつけていったらいいのではないかと思うのです。自信というものがそう簡単につけられないというなら、やはり自分を高めようとしていくことが大事だと思います。そうすれば、自然に勉強する姿勢や学ぶ姿勢が出来てくるからです。

企業さんもそのような学生や若者は大歓迎すると思いますし、決まっていうのは「自ら考えて動く人」という言葉を口にします。ですが、裏を返せば、”そういう人がなかなかいない”ということにもなると思います。それじゃあ、なんだか寂しいなと思ったわけです。

中には、「もっと自由に夢を描いていいし、目標を堂々と掲げていいんだよ」という風に学生や若者に期待し、応援している社長さんもいますし、面接では必ず「あなたの夢は何ですか」と聞く社長さんもいます。

だから、”社会は自分に期待しているんだ”という感覚になってもいいと思うんですね。

それは錯覚でも何でもなく、事実だと思います。そう考えれば、自分の将来や今も一筋の光が見えてくるように感じませんか?

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2006年9月 1日 (金)

好きという気持ち。

最近は、もっぱら日本の歴史にハマってます。

・・・というか、自分が知らないことがたくさんありすぎるので、毎回毎回本を読むたびに、目からウロコの状態が続いてます。私は教育や若年者雇用に関心があるということを以前にも書きましたが、その課題の改善点を探るうえでも、本当の意味での歴史を知ることは大事だと思っています。なので、とにかく良書に触れまくって、物事の本質を見抜く自分の目を養っていきたいと考えていますし、それを実際に反映させていこうと考えています。

「歴史を知る」ということは、並大抵のことではありませんが、やはり自分が日本人であることや日本にいるからには自国に関心を持つことは当然だと思います。

自分が、学生時代から教育に対して抱いていた違和感は何なのか、しっくりこなかったものは何か、今はまだ漠然とした印象しか分かりません。でも少しずつですが、迫っていくことで、見えなかったものがほんの少しずつ見える手がかりのようなものを掴んできた感じがします。

外国に興味や憧れを持つことも良いと思いますが、それ以上に日本にも涙する話しや、感動する話しが無数にあります。ただ、私達が知らないか知ろうとしないだけです。

私自身も、高校生の時は海外への憧れ(特にヨーロッパ)が強く「一度は行ってみたいし、いずれは日本と外国を繋ぐような仕事もいいな」と漠然と思っていました。

なので、大学に入って第二外国語を専攻する際に、試験を受けて合格すれば「ドイツに研修に行くことができる」というプログラムがあることを知って、迷わずドイツ語を選び、一年の春に一ヶ月間だけですがドイツ研修に行ってきました。

一応研究テーマ的なものもあるんですが、私は確か「建築」の分野を選んだと思います。(よく考えたら全く国文学科と関係ないですね)

今思えば、ドイツの教育制度は少し特殊な形式をとっていますし、現地の小学校などにも見学に行ったので「教育」にすれば良かったなあと思いますが、その時は建造物に興味があるというだけで、それを選んだんでしょうね。(浅い・・・苦笑)他にも視察の様な感じで、老人ホームやナチス関係の収容所、BMWの本社工場などにも訪れました。

ということで、私はドイツに行ったらもっと外国のことを知りたくなるだろうし、魅了されて日本には帰りたくないと思うかもしれないという気持ちで行ったものです。

ですが、自分が予想していたものとは全く逆の印象を受けることになろうとは。

確かにドイツも素晴らしい国だけど、何よりどこからも植民地支配されないまま、文化を維持し、継承してきた日本はもっと素晴らしいじゃないかと感じたわけです。その時に、日本という国をもっと外国に知ってほしいという気持ちが芽生えました。といっても、当時は自国の歴史は勿論のこと、現在の状況でさえ分かっていないに等しかったので、ドイツの人からいろいろと質問されても正確に答えられない自分がいることにも、ある意味恥ずかしさを覚えましたが。(例えば、「福岡から長崎は距離にしてどのくらい?」とか、「○○の人口はどれぐらいか」など、ドイツの人は特に数字で把握するのが好きなんです)

それにしても私の出身の長崎は知っていても、福岡のことを知らないと聞いた時は、「戦争」という二文字を感じぜずにはいられませんでした。

こういう感じで特に最後の一人旅の道中では、自分が日本に生まれた意義とか、存在することの意義とかを様々考えては感謝にふけったりと、とにかく自国に尊敬の念や愛しさを抱いた日々でした。

こういう経験も多分、今の自分に繋がっているんだろうと思います。

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2006年8月25日 (金)

コトバ。

「言葉」って自分の思考を形にしてくれるものであり、普段なら言葉を発することは何不自由なく感じます。

でも、じゃあ自分が思っていること・感じたことを、いつも正確に言葉に表せるかといえば別。

例えば、自分が受けた衝撃を言葉に表そうとしても、「すごい」か「面白い」か「なるほど」しか言えなかったり…そのような思いをみなさんも感じたことありませんか。そういう時は大変もどかしい思いをして「自分では分かってるけど、相手には伝えられない」と解釈していますが、そんなことはありません。

実は大抵そういう場合、何をどう思ったか自分が「分かっていない」んだと思います。つまり、何をもってして衝撃を受けたか、そこには自分の経験や知識が相重なって、対象に敏感に反応したのでしょうが、本当に「反応した」だけ。

つまり、反応した知識や経験が、まだまだ自分の中に落とし込めていない証拠だと思います。

それなら、またその分野を勉強すればいいこと。そういう自分に出くわすことで、客観的に現状も図れます。

また、自分でなかなか言葉に出来ない時は、人の言葉を借りたりすることでその思考を表現したりしますが、同時にその言葉を言った人が誰もが知っている偉人であれば、説得力が一段と増します。時には、相手の反応をも変えることが出来るので、人物の言葉の威力なるものを感じます。

例えば、”ただの24歳の小娘である私”が、「尊敬している日本人は、上杉鷹山だ」と言っても、大抵の人は「ふ~ん、そう」としか思わないでしょうが、あの”ケネディ大統領”が「尊敬している日本人は、上杉鷹山だ」と言ったと知ったならば、「えっ?、そうなんだ!」とか「それって、どんな人?」と興味・関心を持つ人は多いことでしょう。同じ言葉でも、その発言者によって受け取り手の印象はかなり違います。何故ならその言葉の背景には、人物の功績や実績、また人生があることを知っているから、その言葉の重みを感じるんですよね。

自分が発言力ある人間になるかどうかは別として、少なくとも人の言葉を借りずに「自分の言葉」で、思いや考えを表現できるようになっていきたいですね。

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2006年8月24日 (木)

「分かる」ということ。

斉の桓公が、ある時本を読んでいると車大工の輪篇が「殿様が読んでいる本は何が書いてあるのか」と尋ねた。

すると、桓公は「昔の聖人の言葉だよ」と答えた。

「では、それは昔の人の抜け殻を読んでいるということではないですか」と輪篇は言った。

桓公は怒って、「私が読んでいるものを、お前があれこれ批評することはないぞ。今の発言に対して納得のいくことを言えればよいが、もし出来なければ無礼の罪で殺すがよいか」

すると、輪篇は臆することなくこう答えた。

「私は、私の仕事の上から申し上げたにすぎません。実は、私の作る車の輪は、木を一つ一つ組み合わせて作るのですが、その組み合わせを少し緩めると甘くなり、硬くするときつくなって入らない。この緩めならず、きつめならずの加減は、手で感じて心で悟る以外に方法がないもので、口ではとても言い表せません。

このコツは私の子供にも教えることはできません。子供も私から学ぶことはできないので、それぞれ自己の工夫によって知るほかありません。昔の人もこのコツを伝ええないで、コツと共に死んでいきました。これを考えてもらえば、殿様に古人の糟粕をお読みだと申した意味が理解していただけると思います」

参考:「荘子」の読み方/竹村健一:(『荘子』にある寓話の一つ)

「分かる」ってこと。
これは、安易に使えるものじゃないと思います。例えば、先の壮士の話し。きっと何人もの方が「その通りだな~」と感じたのではないでしょうか。そして、その瞬間壮士の言わんとしていることまで分かった気になっている…これは、実は怖い錯覚だって気付いてました?人って、「分かった」と思う瞬間瞬間がありますが、その中に「知らなかったことを知った時」と「知っている事柄と新たに知り得た事柄が結びついた時」。特に、私自身はこの2点において喜びを感じる傾向が強く、同時に「我、意を得たり」の様な錯覚に陥ってしまうことがありますが、全くそんなことはないということを知っておくことが必要だと最近よく感じます。

実は、人って自分で実体験して肌で感じたものしか、本当に落とし込めないんじゃないかということを思うようになってきました。だけどそんなこと言ってたら、人間として短い人生、恐ろしく限定されたものしか触れ得ないし、正直つまらないと思います。でも、だからこそ現在の自分の実体験や経験だけでは分かり得ないこと、思いつかないことを知るために、本を読んで、人に聞いて、学ぶのでしょう。

だけど、読んだだけじゃ、教えられて聞くだけじゃ、「分かる」ということはないんだと思います。よく「コツ」を教えて欲しいとか、言ったり思ったりするかもしれませんが、そもそもコツというのは先に挙げた「壮士」の話にもあるように、当人がいろいろ工夫してやってみて初めて体得できるものであり、よく考えてみればそれを口で説明するのは逆に容易なことじゃなさそうですよね。だから、例え言葉で聞くことができたとしても「こうすれば、こう出来るよ」と、いわゆる原理原則のようなことしかそこには表わせていないんだと思います。

よく日本では、職人や芸事の世界では古くから「技術や芸は教えられて覚えられるものではなく、見て盗むものだ」と言われていたというそうですが、考えるとなるほどなと思います。常に、そういう精神をもって物事に取り組んでいきたいですね。

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2006年8月16日 (水)

「青春」は今も昔もすぐそこに。

先週末久しぶりに実家に帰省していました。私の実家は長崎ですが、情緒溢れる町並みが個人的には大変好きです。

さて、実家に帰省して必ずやることといえば、鍵盤に触れることです。

・・・ピアノを習い始めたきっかけは、母がベートーベンの「エリーゼのために」が大好きだということを知り、自分がピアノを弾いて母に聞かせてあげたいと思ったからです。幼稚園から高校生まで約10年ほど習っていたピアノも、今では実家に帰ってから少し弾く程度になりましたが、その際に決まって弾くのは「エリーゼのために」です。難易度はさして難しくないのですが、それでも久しぶりとなるとつっかかる(汗

10年習ってこれか・・・と思わないでもないですが、それでもピアノの音は好きですし、必ず弾きたくなります。個人的にはショパンのノクターンなんかが好きですね。(みなさん聞いたことがあると思います)

さて、実家に帰ると友達と遊ぶというよりも、こうやって気ままに好きなことしたり、家族とよく会話します。そんな時に感じるのが、やっぱり時が経つのは早いなということ。昔はよく兄弟げんかをしたものですが、最近は互いを理解し合う姿勢というものが出来てきたと思います。

「青春」  サムエル・ウルマン

青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう。

・・・・・ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。

歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心はしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い、精神は芥になる。・・・・・・

『「青春」という名の詩』という本にある詩です。本書は、幻の詩人サムエル・ウルマンを追って、その実像を解明していく物語となっています。上記の詩はあのマッカーサー元帥も愛して自室に掲げていたり、日本でも松下幸之助や松永安左エ門など実業家の人々から愛されていたそうですが、「なるほど」と感銘を受ける詩だと思います。

”青春”ってよく若い頃のことを懐かしんだり、若者に使われる言葉のような気がしますが、実は心の持ちようで、実年齢は関係ないということを指摘しています。こう考えると、まさに10代であろうが、20代であろうが、情熱や理想がなければ老いも同然ということで、これは特に若い人々こそ読んでおくべきものじゃないかなと感じます。

人の生き死にというのは自分で決められるものではないですが、自分自身をどのように表現していくかは自由です。自分の人生をどう完遂するかは、自らの意思で左右できる、その思いが”情熱”であり”理想”であるのかなと思います。

実家に帰って、ふとこの詩のことを思い出し、こう感じました。

”青春の詩”を全文読んでみたい人はぜひ(^^

Seishun 「青春」という名の詩

宇野収、作山宋久著/産業能率大学出版部

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2006年8月 9日 (水)

明治時代のM&A

経済人としてみる幕末偉人伝も第3回目。今回は岩崎弥太郎をテーマに、三菱商会
を作り上げるまでを追いました。さてさて、日本放送をめぐるライブドア対フジサンケイグループの攻防はまだ記憶に新しく、最近は王子製紙なんかも賑わしていて、みなさんもM&Aという言葉にはさほど抵抗を感じなくなったかもしれませんね。

そんな、昨今においての企業買収劇。これって、現代特有のものだと思いますか?
実は、昔から当たり前の様にやられてるんです。岩崎弥太郎自身も、いわゆるM&Aを上手く繰り返していって、事業を拡大させた一人。資本は政府から引き出し、次々と鮮やかな買収をしていきます。後にアメリカ人経営の大平洋汽船会社もしまいには買収してしまい、東洋一の船隻を持つ巨大企業に成長。

最初は土佐藩士だけで細々とやっていた九十九商会からの発展は、まさに目を見張るものがあります。さすが、「これからの日本は海運と貿易だ」と見抜き、海運で世界を制覇する夢を抱いた弥太郎の素晴らしい心意気を感じます。

今回は、「岩崎弥太郎の企業成長を追うことで、M&Aを知ろう」というテーマのもとみんなで一緒に学びましたが、明治初期の海運業の実態や三菱創業のきっかけなどにも迫り、より身近に企業というものを感じたようでした。

ビジネス的視点から歴史の人物に迫ると、現代の企業にも十分置き換えられたり、通ずることが多いので、過去と現在が繋がるような感じがしてオススメですよ。

ちなみに次回は、三野村利左衛門です。

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2006年8月 7日 (月)

ゲーテ=文化=標準化

「趣味というものは、中級品ではなく、最も優秀なものに接することによってのみ作られるからなのだ。だから、最高の作品しか君には見せない。君が、自分の趣味をちゃんと確立すれば、他のものを判定する尺度を持ったことになり、他のものを過大でなく、正当に評価するようになるだろう」(byゲーテ/斉藤孝著「座右のゲーテ」より)

「最高を知れば、あとは自ずと分かるようになる」というゲーテの発想は、なるほど、と私も納得しました。最高峰のものに触れておけば、あとはそこから相対的に位置づけていく=つまり、自分の判断基準が確立されていくというわけで、さらには自らの発想も引き出されていくことに繋がるんじゃないかと思うわけです。

そして、これって「文化」や「標準化」とも似た発想だなあと、またさらに思いました。

「文化」と「標準化」

この二つの言葉。一見すると、違うもののように思えますが、実はこの二つの性質って似てるんじゃないかと思ったのが先日。そう思ったきっかけは、ヘンリーフォード自伝の「藁のハンドル」を読んでいる際に、気づいたことなんですけどね。フォードは、真の意味での標準化とは、商品と生産過程の最良の点とを結びつけることであり、物事を行うのに最良の方法とは、私達が現在までに生きてきた全ての良い方法を総合することである→だからこそ、それは標準化になる、と述べています。

そして、「文化」とは・・・
文化の歴史って実は、「昔の方が個々としての文化的作品の質は高かった」というのがあると思うんですが、その代り背景としては文化の担い手自体の数が少なかったという事実があります。これは、特に和歌なんかを考えてみると良いと思うんですが、現代でも和歌を作る人間はいますが、作品の質としてははるかに昔の方が良かったと思うんです。だから極端に言えば、万葉集なんかは今でも優れた歌集として読み継がれているわけですし、その限られた言葉の中に当時の人々の思いを知って胸をうつからこそ、現代でも残っているんですよね。

つまり、個々の作品の質は時代とともに下がっていくという現状があるのとは逆に、その作家の数は時代とともに増大していくという傾向があります。これは、いわゆる”大衆化”しているといっても過言ではないと思うんです。(このような考えは、坂本藤良著の「指導者の条件」に収録されてある『人間を動かす人間学』の一節にあります)そして「文化」とは、大衆化することで個々の質は下がるといえど、その担い手が多くなるということ自体が文化の向上に繋がるという面もあって(新たな価値観とかが出てくるわけですからね)、結果的に「文化」の広がり方も「標準化」としての意味を大いに含んでいるなあと思ったわけです。

ゲーテは、センスを磨くために一番いいものとして「古典」を挙げているそうですが、これはまさしく「文化の最高峰を知る」ということに繋がるではないですか。そうやって、一流のものに触れていくことでやがては自分自身も一流に近いものを作りだせるようになる、もしくはそれを目標とする、そしてそれを今度は標準化させていく・・・面白い流れだと思いませんか。

<考えるきっかけになった本>
他にも、面白い箇所はたくさんありますよ。

「座右のゲーテ」斉藤孝:著、光文社新書
「ヘンリーフォード自伝/藁のハンドル」竹村健一:訳、祥伝社
「指導者の条件」坂本藤良:著、潮出版社

Gete_1

Warano_2

Sidousha_2

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2006年8月 1日 (火)

始動。

「ブログ」始めます。

基本的に自分の考えを公開することを苦手としていたわけですが、ちょっとやってみようかなと思いまして。............といっても、思い立った理由はあります。

個人的に、”文章”ってその人の思想や価値観、人間性を映し出す鏡として捉えているんですよね。なので、”自分自身”を”文章”として表現することに躊躇していたわけです。でも、人間何故生きるのかっていったら、自分の生き方や信念を様々な形で表現していくことに尽きると思うんです。それが、仕事であったり人間関係であったり、日常であったりするわけで、文章もその一つですね。そして、その形は様々。形作られていくのも様々。

人間の一生ってほんとに短いと思うんですが、生き様ならぬ「死に様」は自分で形づくることができます。この世界で「大月舞」という人間をどのように表現していくか、やっぱりそれって自分にとって重要なことだなと改めて思ったわけで。

そして、もう一つは自分の思っていること、言いたいことを素直に表現していきたいなと思ったからです。

なので、ここには基本的に自分の興味・関心あることや考えていることを、ジャンルを問わずに書いていくつもりです。勿論、書評もその都度のっけていきますが、ぜひ私の「頭」や「生き方」に興味を持ってもらえれば、幸いです。

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