2006年9月30日 (土)

51)『学生に与う』より「教育」「学校」 著:河合栄次郎 教養文庫

Gakusei 私達は、「教育」というものをどのように捉えているのでしょうか。
恐らく『人間形成の場』という理想は掲げているものの、実情は違うということが今の日本の現状ではないでしょうか。連日報道される若者の奇怪な事件は目にあまるものがありますが、ゆとり教育の軌道修正など政策としても行き当たりばったりのような感じを否めません。

果たして日本の教育は何を根幹にし、何に価値を置き、何を伝承しているのか。
それがはっきりとしていないことは、学生が「何のために勉強しているのか分からない」「勉強が楽しくない」「将来が分からない」といっている時点で、明確ではないでしょうか。つまりこれは、教育自体に、そして教育者自身がその意味を見出せていないことを証明しているのも同然ではないかと思うわけです。

本書の著者である河合栄次郎氏は、人格の陶冶(人間形成)と学問が対立している日本の教育を憂い、何故そのようになったかを、洋学が輸入された徳川幕府末期から明治期に遡って、明らかにしています。また、教育者の価値を教育者自身が軽視し、無視した結果、一介のサラリーマンと化したことを指摘し、「今日ほど教師道の廃れた時はない」と痛烈に放っている様は、教師を「聖職者」として神聖な職業と位置づけている河合氏の心中を察するに、耐え難いものがあったことと思います。(「人生の分岐点に立つ若人にひそめる心霊に点火して、これを人生の戦いに駆ること、世にこれほど神聖な職業があろうか。これこそ聖職と呼ばれねばならない」と教育者の価値を述べています)
約65年前には書かれたとは思えないほど、「教育の本質」に迫った本書は、現在の社会の実情を見抜く上でもぜひ読む価値がある一冊です。

※本書は1940年に出版されたもので、当時異常な売れ行きを出すほどのヒット作になりました。学生はもちろんのこと、教師やその他の大人も人生の書として、生き方を学んだそうです。著者の河合氏は、東京帝国大学の教授も勤め長年教職に務めてきた人でありますが、著書発禁などを受け休職を余儀なくされました。その直前に書かれた本書は、「自分はこれ以上でも、これ以下でもない」という言葉を残すほど、河合氏の全てをかけて書き上げた渾身の作です。

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毎週土曜日の朝8時から実施しているビジネスカフェ。

気づけば46冊目ということですから、いやはや朝から貴重な時間を過ごしてますね。

いつも読む本は、今の学生の状況に応じた形で顧問の小島さんが選書してくれるので、本当に有難いことです。しかも私個人としては、どこれもこれもヒット作なので、まだ参加したことがない部員の方はぜひ参加してみるといいと思いますよ(^^

来週からは、さらにステップアップして今度は事前に課題箇所を読んできて、「語る時間」に焦点を当てていきますので、お楽しみに☆

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2006年8月11日 (金)

50)逆説の論理 会田雄次 PHP

Gyakusetu 日本人の性質や古来からの思考法を知りたいならオススメです。

本書は、高度成長期を終え、これからの80年代を日本人はどのように生きればよいかというものを説いたもので(1980年発刊)、第10章から成ります。著者は、ドラッカーの「断絶の時代」やジョン・K・ガルブレイスの「不確実性の時代」が当時の日本人の知識層や経済人に大きな影響を与え、大変な反響を巻き起こしていることに着目し、なぜこんなにも日本人が反応するのかという疑問を抱きます。

これは、つまり断絶の時代=不連続性、不持続性や不確実性といった思考は、日本人が太古から身につけていたものではないか、ということから端を発し、日本人の生活様式や歴史的推移から、日本人の思考を中心に論を展開し、今後の在り方を示唆しています。

私は、現在の若者のあり方や学生、また日本の教育に大変興味・関心があり、特に若者の思考について、「こんな風な思考法が横行しているのは、現代の特徴なのか」と思う部分が多々あったのですが、それは今に始まったことではないんだということが分かりましたし、日本人の思考や性質を、その時代、その時代でどのように発揮されるかが違うだけなのかもしれないと感じました。現代の日本人の劣等意識の強さや、どこかに持つ漠然とした不安・・・それは自分達で「考える」ことを辞めてしまったことに起因するのではないかと個人的に思っているのですが、その解決策の糸口を少しでも見つけようという思いでいます。

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2006年8月 1日 (火)

49)戦い好まば国亡び 戦い忘れなば国危うし 三浦朱門[編] 

Bouei ★サマワから自衛隊の撤退が決まり、ご家族は一人の犠牲者もなく無事帰還できることに、ほっと安心されていることでしょう。しかし、撤退の頃が最も危険だということもあり、ぜひ気をつけて帰ってきてほしいものです。ただ、陸自の変わりに空時が大幅拡大ということのようですから、まだ日本の責務を負う場面は大いにあるようです。

★自衛隊といえば、憲法上の解釈の中これまでにも様々な位置づけの問題等あり、今だ明確に、国民にもその理解を得られている状況ではないのが現状だと思いますが、その自衛隊の幹部を養成する教育機関が防衛大学校です。

★本書は、防衛大学校の卒業祝辞集で、時の総理大臣や日本を代表する芸術家等の来賓祝辞が収録されています。私達は、自衛隊の存在を知ってはいるものの実際にどのような信念を持ち、どのような葛藤がありながら自らの職務を全うしようとしているのか、推し量れないものがあります。ましてや、自衛隊としての明確な位置づけがなされないまま、厳しい世論も目の当たりにし、自らの責務は勿論のこと、自らのあり方にも苦悩するであろうと思います。

★そのような葛藤や厳しい訓練を経て卒業する学生は、自己の職務の重要性を感じながらこれからの日本を守るべき存在として踏み出すわけですが、祝辞にはそんな彼らへのメッセージもさることながら、今だ混沌として明確な結論が出ていない状況の中、オブラートに包むような表現しかできないという背景も見受けられます。

★しかし、本書に収録されてある祝辞には、日本という国を大切に思い、一国の文化を守り続けたいという想いがありありと表れ、それを担っていく若者への尊敬の念が込められています。私達は、日本という国に生まれ、日本人として生きるという運命のもと、今日まで繁栄してこられたのはやはり、先代からの文化や歴史を絶えることなく繋いできたからだと思います。祝辞の中にもそのような文化や歴史を振り返る言葉があるのですが、中でも「短歌」のようなものは、今だ日本人の精神を眼に見える形で受け継いでいるものだという言葉は、本当にその通りだなと思います。

★文化や歴史といっても、そこには有形のものや無形のものがあるわけですが、そのどちらも良い形で後世へと繋いでいくことが、今私たちが生きている証になりえるのではないかと思います。「平和」とは何か、国家にとっての「武」とは何か、深く考えるには良い機会だと思います。

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48)ウェルチ リーダーシップ・31の秘訣 ロバート・スレーター[著] 

Weruti ★ジョン・F・ウェルチ・ジュニアは、1981年4月GEの八代目最高責任者兼会長に就任しました。本書はそんなウェルチの経営手腕を明かす内容となっていますが、組織をいかに活性化させ続けるか、「不要なものはそぎ落とす」という彼の選択が何をもたらしたのか、大変参考になります。肥大化した組織には、余計な作業工程や管理職の増大、モチベーションの低い社員など削るべき要素はたくさんありますが、当時のGEも例外ではありませんでした。社会の変化に気づきながらも、巨大企業であることに安穏とし、むしろ「時代が合わせてくれるようになる」とまで考えていたGEの本当の実態を見抜いていたのは、ウェルチただ一人だったのです。

★GEが置かれている現実を受け止め、大改革を行う彼の前には様々な障害もありますが、ビジョンを明確にし、一心に突き進む彼の改革はやがて世間に賞賛されるまでになります。GEをコングロマリットと呼ばれることを嫌った彼は、徹底した「選択と集中」を取り込み、社員とのコミュニケーションの流動化も図りました。

★GEという巨大組織にメスをいれ、無駄な贅肉をそぎ落とした彼の見事なオペ裁きは、もとのスリムな体系に戻し、動きやすい組織を作り上げました。ウェルチは「管理という言葉は嫌いだ」と言います。その場にいる人間をいかに奮起させるか、それに全力を注ぐ彼はまさに“環境”を作っていっているに他なりません。また「経営というものは、実はシンプルなんだ」とも語るウェルチのこの言葉は、「自分の思考」も“無駄なものをそぎ落とす”ということに繋がってくるということを感じざずにはいられませんでした。

★そういえば、余談ではありますが、将棋の羽生さんも「省略する」という言葉をよく口に出していたなと思い出し、ウェルチの言葉がさらに実感されるものとなった次第です。最近はまた、根本的に通ずる事柄や場面に出会うことが多く、まさに以前、倉田百三さんの本を読んだときに「本を読むということは、自分の思想を作ることだ」という言葉に触れましたが、”本当にそうだな”と感じる今日この頃です。

★ウェルチのリーダーシップ論はそういう意味でも、現在のことに共通することが数多くありますし、トップに立ちたいと思っている人はぜひ読んでみるべきです。

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47)日本農業大改造論 竹村健一[著] 

Nougyou ★日本の農業といえば農家の方が一生懸命働きながら、頑張っているというイメージしかなかったのですが、実は政府からの補助金や食管法などで保護されている一面を知り、少々驚いた次第です。本書は、そんな日本の農業の現問題点を真っ向から指摘し、独自の改善策を提案しています。

★また、サラリーマンの減税など、農業問題から税金や土地、経済などを読み解くことができ、非常に興味深く、面白い一冊となっています。日本は、食糧の自給率を上げることを目標に膨大な補助金を農業に費やしてきましたが、結果的にはそれがかえって日本の農産物価格が国際価格に比べて高くなってしまうという現象をもたらしました。しかも、日本人の主食である「米」に関しては、国際価格の約10倍もするというから驚きです。確かに、日本人好みの「米」という点においては、海外のものと比べ物にならないかもしれませんが、逆に保護してしまうことで、価格競争などをする必要がなく農業から「競争力」というものを奪ってしまったのです。この現象は、理にかなったものだと思います。

★もともと農業保護策は、生産性を高め、農家の自立を目的とするはずであり、その根幹にあったのが補助金と価格維持、生産・流通を握る農協への保護の3つです。端を欲したのは、勿論「米」ではありますが、ここには「競争の原理」を奪う要因が含まれていたのも否めないでしょう。

★竹村氏は、「日本が今後工業国として名を轟かせるなら、食料は海外輸入に任せたほうが、価格の面においてもやりやすい」と言及しており、自力でどんなに頑張っても賄えないものは、どんなに保護していこうとも衰退の一途を辿るばかりだということを指摘しています。そのため、本当によい形で日本の農業改革を行うなら、農業に競争を持ち込むことを、一つ提案とし、企業との連携を図ることを二つ目にあげています。

★私たちは、今現在生活しているだけでも、ありとあらゆるものに囲まれており、そこには様々な世界が繰り広げられているわけですが、違う視点から日本経済を見るのは大変有益なことだと本書を読みながら感じました。一つのことを知りたいなら、多角的に物事を見ようとすることが大事で、そこから得られるヒントは数多くあります。「農業」から見る、日本経済の実態や、なぜ経済大国でありながらサラリーマンは貧乏にあえでいるのか、そして土地活用の問題など、本書は「日本」という国を捉えるうえでも大変面白い一冊ですので、ぜひ一読してみることをオススメします。

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46)平和論に対する疑問~文化人というもの~(日本を思ふ)

Nihonwo ★土曜日の朝から行われているビジネスカフェで読んだ一冊です。「文化人」といえば、すぐに意見を聞かれる存在でありますが、だからといって、全ての質問に答えられるわけでもなく、また明確な答えを出せるものではありません。しかしそんな実情がありながらも、すぐに聞きたがる人と、それに答えてしまう文化人。両者の立場は違えど「分からないことへの後ろめたさ」という共通した劣等感からくる姿勢は、尋ねる方も答える方も本当の意味で解決していないことが多い、ということを著者は指摘しています。

★私達は、自分が思っていることへの整合性や事象の確認をしたがる傾向にありますが、それは「何か意見がもらえればよい」という感覚で尋ねていることも少なくありません。それが、表面的な解決策に過ぎなくても、聞くことで満足してしまう、ここに落ち度があるのではないでしょうか。これは、様々な情報を取得することにも共通してくると思いますが、「聞く」ことを目的にしてはいけないと思いますし、それが無意識に「劣等感」からくるものならなおさら、見直す必要があると思います。

★日本人の「劣等感」というのは、欧米に対しては当時特に強かったと思いますが、何らかの形で国民全体での劣等感は、現在も共通しているように思います。それは勿論、日本の歴史観に深くは起因するのかもしれませんが、そういう根本的な心理が「思考を養ううえでの情報」にも影響しているとしたら、著者が憂えているのも分かります。本内容は、文化人としてのあり方や問う側の姿勢に問題があることを示し、その態度を改めることを求めていますが、ひいては日本人の根本的な心理も顕著に表わしてる事例ではないかと思います。

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45)簡単に、単純に考える 羽生善治[著] PHP文庫

Kantan ★またまた、将棋の本。といっても、今回は羽生氏を中心に、二宮清純・平尾誠二・金出武雄氏との対談3本立てです。3人とも将棋界の方々ではないですが、その分世界観が違う人間との対談なので、中身がより深く、本質的な内容になっています。

★41)で、米長邦雄氏との対談の「人生惚れてこそ 知的競争力の秘密」を紹介した際には二人とも将棋界のプロだったので、将棋界を中心にして展開する話が多く、それもそれで面白かったのですが、今回はさらに複眼的な思考を養えることもあり、結構オススメです。

★やはり特筆すべきは、タイトルにもある様に「考え方」でしょうか。特に、平尾氏との対談では、平尾氏がラグビー部のゼネラルマネージャーということで、勝負の世界としては共通しているところもあり、考え方や物事の捉え方が非常に深く、大変興味深いです。さすがに、スポーツも土俵は違えど一緒か…..と思いながら読んでいると「これって経営にも通じることではないのか」とハッとしました。(「経営」を語れるほど、まだ何も分かっていませんが)というのも、どこかで見たり聞いたりしたものと共通するところが多々あるからです。経営者の話や本も基本思想は、似ているのを感じるのですが、やはり「物事はシンプルだ」とよくいわれるように、考え方や捉え方も、その世界でトップを極めたことがある人のいうことは結構同じなんですよね。これは、例えば極端にいえばホストなどの世界でも共通するところがあります。(行ったことはないですよ)

★少し話題がそれましたが最近思うのは、トップを極めるかどうか、ということもそうですが、いかに自分が「プロ意識」を持てるかということが大事なんじゃないかということです。例え、今の自分がプロじゃなくても別に関係なく(それは世間的な評価が入るので)、自分が現在行っていることに対して、どれだけの責任感とミッションを持てるか…….それが「プロ意識」に繋がるのではないか、と思うわけです。そして、誇りと自信を生み出し、やがてはそれが「トップを極める」ことになるのではないでしょうか。

★平尾氏との対談は「論理思考、感性を昇華したものが創造力である」というタイトルがついているのですが、集中力やミス、分析、情報判断力などなど、言及していることが納得です。しかも誰かの成功哲学ではなくて、自身の経験からきているので、非常に分かりやすい。特に羽生氏の「斬新なアイデアは、評価されないものの中にある」という箇所は、「将棋でも同じなんだ」と、面白く思った次第です。「簡単に、単純に考える」。ぜひ、一読してみてはいかがでしょう。

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44)異なる悲劇 日本とドイツ 西尾幹二[著] 文春文庫

Higeki ★現在は、W杯一色のドイツですが、本書はドイツのことを述べながら、日本の戦争行為やその後の対応など、日本人自身に自国のことを考えさせるような内容となっています。というのも、いかに日本が戦争で悪いことをしたかという罪悪感なるものは、現在の日本人にも根強くはびこっており、日本の姿勢としても、いまいちはっきりしたものがなく、その場限りの対応で謝罪の意を示し、乗り越えるという状況が続いているからです。著者は、日本とナチスの戦争犯罪に対する認識や行為の違いを示し、それを同じに扱うことがいかに間違っているかを事細かに説く中で、普通に学校の歴史教育を受けただけでは知らない事実が所狭しと並べられています。

★日本は、敗戦後にそれまでの日本人としての魂を抜き取られたかのような状態に陥ってしまい、現在もその後遺症は尾を引いているように感じざるおえませんが、ただ「あの戦争は悪かった」と捉えるのではなく、本当の戦争の意味は何だったのか、そしてそれがもたらしたものは何だったのかということを、正面から捉えようとすることが必要ではないかと思います。特に今の若い人たちは、自国の歴史にやはり興味を持つべきであると思いますし、そのような状況が作り出されない学校教育にも問題があるには違いありませんが、そのような中でもこのような書物に触れることは、自分の眼を開かせるには大変良いことではないでしょうか。

★本書の中に、「日本的単純さ」を説いた箇所があり、これは日本が島国であり、単一の民族しかいないということにも起因するのかもしれませんが、「日本人の世界を見る目は相変わらず単眼的だ」という指摘は、なるほどなと思いました。日本の盲目的な戦争突入や、終わってからの逃避的、自閉的な姿勢は、「レービィットの指摘したある種の非現実性の中で、日本人は戦前、戦後の現実世界に対応してきたといえるかもしれない」とのことで、これが正しいのかどうかは分かりませんが、日本人の気質や集団意識等は、何か感ずるところがあります。

★日本はこれからも、過去の戦争行為の罪に苛まれ続けなければならないのか、受け売りや学校の拙い歴史教育の中だけで判断するのではなく、日本人一人一人が自ら考え、確固たる判断ができるような状態になることが必要ではないでしょうか。私自身も、もっと様々な歴史に関する書物に触れていこうと思っています。

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43)面白すぎる 「大物たちの頭の使い方」 竹村健一[著]

Oomono ★竹村健一氏曰く、本書の中で取り上げた5人の経営者はいままでの日本の経営者とは、ちょっと違うという。それまで、もたれあいや系列の助け合いなどでやっていた経営者とは違い、自分の頭だけが武器で、自分の力だけでほとんど無一文の状態からスタートした人ばかりを取り上げ、その発想力にはこれからの日本の経営者に必要とされるものがふんだんに詰め込まれています。

★5人の経営者とは、藤田田(マクドナルド)・和田一夫(ヤオハン)・千本倖生(第二電電)・江副浩正(リクルート)・加藤義和(加ト吉)の以上です。藤田田氏の発想や竹村氏の質問に対する切り替えし方は、相変わらずの毒舌ぶりを発揮し、あの竹村氏も舌を巻く場面はありますが、それでもそのデータや考え方は目を見張るものがあります。また、江副氏も女性社員を多く採用するなど、まさに時代の逆を行くという発想は、ある意味“先見性”と呼ばれるものになることを示しています。

★本書を読んでも分かることですが、経営者は自分の意見やビジョンに対しては、ハッキリした口調で答えており、そこに自ら現実を合わせていくという姿勢がうかがえます。つまり、よく言われることかもしれませんが「~と思う」という言葉づかいや曖昧な表現は決して使用しないということです。そこに、それぞれの自分の事業に対する自信やミッション、信念なるものを感じていることが分かります。

★例えば、竹村氏も印象に残ったとありますが、私も同様に感じたのがリクルートの江副氏の話。竹村氏が開いていた会で江副氏に話をしてもらったとき、聴衆の一人のある経営者が「リクルートの媒体は効果があるけれど、値段が高すぎる。もう少し、やすくならないでしょうか」といった。それに即座に江副氏は「他の媒体に変えたらどうですか。私共はよその倍効果があるから倍の料金を頂いている。いいものにはいい値段を払わなければなりません」と答えたという話は、江副氏の天邪鬼ぶりを発揮しながらも、そこには江副氏なりのビジョンが見えていることが分かります。

★また、新卒初任給の格差促進に対する提案など、江副氏の“先見の明”と呼ばれるものは、読んでいる人にも「なるほど」と思わせることでしょう。

★本書は業界はバラバラながら、一経営者の頭の中を竹村氏の視点から探るという大変ユニークで、また大変参考になる一冊であり、本書を読むことで自分の頭を刺激するのも良いでしょう。勉強にもなり、一石二鳥です。

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42)時差は金なり 内側からみた総合商社 三菱商事広報室[著]

Jisa ★「商社マン」と聞けば、何だかカッコイイ感じがするかもしれませんが、実際にやっていることは果たしてどのようなことなのでしょうか。ましてや総合商社となると、様々なものを扱っているため、名前は知っていても事業内容がよく分からないというパターンも少ないかもしれませんね。

★本書は1977年に出版されたもので随分古いんですが、約30年前の三菱商事の様子がリアルに分かり、まさにその当時の商社マンたちの奮闘ぶりが心に響く一冊です。当時の三菱商事の15のビジネスを取り上げ、総合商社の理解を深めようとして書かれた本書は、巨大な情報網と資本力と人材を駆使して、日本経済の発展を支えていく様が分かり、今私達が普通に生活していること自体も、尊く思えてきます。

★本書の中で、総合商社の基本機能を「情報と流通の時間的、空間的ギャップを先取りし、活用する機能」、「リスクとの総合対決能力」とし、当時は情報網やリスク管理能力を重要な経営インフラとしていました。まさに時差を超えて奮戦する商社マンたちは、私たちの想像を絶するほどの困難に会いながらも、その一つ一つを乗り越えてきたということが分かります。

★森林開発や石油開発、畜産事業、大豆取引、運輸・保険、資金調達、外食産業・・・などなどこれら15のビジネスで、現地に出向き交渉や開発指揮を行う商社マンは、現在抱くようなイメージとは程遠いほど、泥臭くて、人間臭い仕事です。しかし、どの仕事も日本経済と大きく関わり、采配一つで事も変わるという状況は、使命感や責務という言葉を感じぜずにはいられません。

★現在では、業界再編や情報のボーダレス化、情報通信ネットワークの進展などにより、総合商社のあり方も「事業投資を軸として、グローバルに顧客と市場に多種多様な商品とサービスと機能を提供する事業体へと変貌してきている」とのことですが、それでも当時の「時差を先取りする機能」として前線に立っていた総合商社には目を見張るものがあります。

★本書は、今はもう絶版となっているようで入手困難かもしれませんが、商社マンになりたい人や海外勤務に憧れている人は、ぜひ読むといいと思います。商社のイメージがガラリと変わると思いますし(より具体的に分かるという点で)、海外勤務の様子も想像から現実的なものへと感じることができるはずです。

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41)人生惚れてこそ 知的競争力の秘密 米長邦雄、羽生善治[談]

Jinseihorete ★FUNのビジネスカフェで「人間における勝負の研究」という本を読んでから、米長邦雄氏のことを知ったのですが、その時同時に思い浮かべたのが羽生名人でした。ちょうど羽生氏が七冠を取って世間の話題に上った時、私は中学生で「若いのに、こんなに頂点を極めた人がいるんだ」と驚いたことを覚えています。

★今回は、そんな将棋界のトップを極めた米長氏と羽生氏の対談ということで、「やっぱりこの二人は、どこか共通しているんだ」と思いながら、楽しみにして読みました。本書は、将棋の話を中心にしてはいますが、それが人間としての生き方であったり、勝負師としての考えなどがふんだんに盛り込まれているので、将棋のルールが全く分からない人でも十分読めます。

★また、米長氏は大変知識の幅が広く、論語や仏教の話などを例に挙げながら、人間としてのあり方を説いています。また、二人の話しから物事を極めていくということもどのように捉えればよいかが分かり、「なるほど」と思う箇所も多々あります。さて、本書の中で頻繁に出てくるのが、「将棋を打つ」「勝つ」という目先の勝利だけを追わないこと、というものです。やはり、二人とも今の強さを維持していくにはどうすればよいか、ということには常に考えているようですが、「今は、すでに過去である」という心構えのもと、常に前進し続けているのが二人の共通している点です。また、羽生氏がよく口にしている「先行投資」という考え方は、羽生氏を現在もなお活躍させている所以ではないでしょうか。

★米長氏と羽生氏は、プロになるまでの過程や、環境、時代背景に違いはあるものの、トップを極めるという点においては、強固な意志や独自の世界観があります。その言葉や考え方は、将棋界だけに通用するものではなく、普段の私たちの生活にも通用することが多分にあり、頂点を極めたいと思うなら、様々な世界のトップの考え方に触れることもまた、違う角度から物事の本質を見ることができるので、良いと思います。本書を読めば、将棋にも興味を持つこと間違いなしですね。

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40)人心掌握の天才たち 童門冬二[著] PHP文庫

Jinsin ★“組織は人なり”といわれますが、リーダーはいかにして組織をまとめあげるのでしょうか。また、人々のモチベーションを上げるには?「相手の心を掴むこと」が何よりも大事で、「人の心をつかむ者が成功する」という時代はいつの世も変わらないものなのかもしれません。そんな、人と人のつながりを、戦国時代の武将たちのエピソードから学び取ろうというのが本書です。

★本書には、豊臣秀吉や加藤清正を始め22人の武将たちが連なり、あまり知られていない武将の名前も数多くあります。これは、著者が他の本にはあまり出てこないような人々にもスポットをあて、知って欲しいという思いのもと、ピックアップされているからです。

★現在でも、組織のあり方は追求されていると思いますが、戦国時代の武将たちも部下のモチベーション管理には相当な気苦労をしていたように思います。しかし、ここに紹介されている武将は、全員が名君とされていて、「人の心をつかむ」のが上手いとされている人ばかりです。そのエピソードには、何気ないしぐさや言葉ながらも、部下の心を動かし、人望を集めていった所以が数多く載せてあり、時代は違えども通ずるところはまるで一緒だということが分かります。

★人心掌握をスキルのように捉えることもあるかもしれませんが、それが目的ならばすぐに部下に見破られてしまうでしょうし、スキルとして身につくものではないかもしれません。

★しかし、心がけ、つまりリーダー自らが魅力的な人間に変わることで、人の心を次第に獲得していくと考えれば、リーダー自体の人間としての本質や魅力を磨いていくことが、人心掌握への道を辿ることになるのではないでしょうか。また、ここに紹介されている武将のほとんどが部下を大切にしているということは欠かせず、きちんとした評価を与えるということにも事欠きません。

★人心掌握とは、ただ人の心をつかむだけではなく、人を見抜く目、また適材適所に人員を配置できる、そして相手を喜ばせる術を知っているという、まさに人間学としての要素が強いことを感じぜずにはいられません。歴史は過去のものとしてみれば、ただの記録物にすぎないかもしれませんが、今私達が生きるための教材だとして捉えればこんなに役立つものはないと思わせられる一冊です。

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39)Google 既存のビジネスを破壊する   佐々木俊尚[著] 文春新書

Google ★みなさんもよくご存知であろうGoogle。Googleは検索エンジンというより、今や世界をまたにかける巨大広告代理店と化しています。そのGoogleの収益を支えているのが、キーワード広告や個人HP広告の「アドワーズ」や「アドセンス」。これらをベースに「グーグルニュース」「グーグルマップ」「Gメール」「グーグルネット」「グーグルベース」「グーグルブックサーチ」などのサービスを、利用者に無料で提供しています。まさに“既存のビジネス”を破壊するという言葉が適切に思えてくるに他ならない、Googleの巨大ビジネス。

★Googleの成功は、アドワーズなどに加えロングテールの活用など、まさにピンポイントで消費者の要望にこたえることを実践できたからであると思われますが、何といっても根本にはその技術力にあるのではないでしょうか。

★スタンフォードの大学院生であった、ラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンの2人が創設者であるGoogleは、どこまでもアルゴリズム(計算式)をもとに作られています。「アルゴリズムこそは人を裏切らず、公平で公正なシステムを社会に提供する」という理念のもと、今も走り続けているGoogleは常にデータベース化の先端を行き、やがては全てを検索可能にする時代がくることを予期しています。個人の人生までもが、データベースに収められる「ライフログ」は、まだまだ思案中とはいえ、そのような時代がくることをより実感させられる例です。

★まさに、社会のインフラとして存在する日も近いGoogleは、やがては全てを支配化におくことができるほどの力を持つかもしれませんが、何といってもそのGoogleが存在する「インターネット」の進化そのものが私には、驚きでなりませんでした。現在の私たちが暮している日々の日常とは比べ物にならないほどのスピードで変化し、次々に繰り出されるアルゴリズムの答えは、私たちの生活に知らぬ間に入り込んでいます。

★本書は「Google」とはありますが、Googleを中心としたネットビジネスを幅広く考察し、その利便性を説きながらも、同時に懸念も示しています。ネットの成り立ちから今後の展開まで分かる本書は、はっきりいって面白いです。絶対に一度は読む価値ありだと思います。

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38)外国語上達法  千野栄一[著] 岩波新書

Gaikokugo ★「外国語を話せるようになりたい」と一度は、思ったことがある人も多いことでしょう。でも、なかなか「話す」までに至らず、断念ということも。著者も、思うように外国語を習得できないという悩みから、一転し英・独・仏・チェコ語などを習得できた方法を、当時の様子を振り返りながら詳しく示しています。まさに本書は実用書として使えるもので、読んでなるほどと思うのは惜しいぐらい、語彙・文法・テキスト・教師・辞書・発音・会話と、語学を学ぶうえで必ず必要であろう項目について、より効果的な勉強の仕方が書かれてあります。

★また、言語習得には一目を置かれている“シュリーマン”の話も話題に出し、いかに現在の私達が語学を学ぶうえでは、恵まれている環境にいるかを示し、学習への意欲を高める必要性を説いている箇所は誰もが納得させられるはずです。私達はとにかく情報や知識(語学習得も含む)において、それらを知る・学ぶことだけを目的としてしまいがちですが、よく考えれば「学ぶ」ことが最終目的であってはいけないと思います。目的は、それらを習得することで、何をやるのか、何ができるのかということで、外国語を話せることは自分がより、やりやすくなるための道具でしかないはずです。ですが、やっている自分に満足したり、途中でやめてしまうのは、その先が描かれていないからではないでしょうか。著者も、「語学習得の理由のうち一番有力なグループは、“手段派”と呼ばれるグループで、この派に属する人たちは、語学を習得してそれを手段にしていこうとする人たちである」とし、学習の目的がはっきりしているため、成功率が高いと触れています。

★また、その言語の文化や歴史、社会生活を知るという「レアリア」があるか無いかだけで、どんなに翻訳も違ってくるかということも最後の方に述べており、その大切さを説いています。つまり、語学習得を目的するなら、ただそれだけしか得ることはできませんが(むしろ途中で挫折することが多い)、「語学を手段に」という考えで臨むなら、それだけに限らず、その国の歴史や文化、社会背景にも詳しくなり、思考もさらに鍛えられていくということではないでしょうか。

★何故なら「語学」は、その社会を開く玄関口だと思うからです。このように考えると、みなさんが現在やっている語学も楽しく思えてくるかもしれませんね。

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37)論語物語  下村湖人[著] 講談社学術文庫

Rongo ★「論語」といえば、中学時代の古典の時間に少々触れたことがあるかもしれませんね。その「論語」を簡素な物語風に仕上げ、孔子の思想を一つ一つ分かりやすく描いているのが本書です。物語には28編の話が含まれており、孔子を始め子貢や顔回、子路、などの弟子たちが登場し、日々の生活から孔子の教えを学んでいく様子は、自らを振り返りながら読むことができます。

★孔子の教えはいつも、穏やかにそして深い部分を捉えた内容を示していますが、全て教えを受けている人が自らを省みることができるような形をとっています。なので、弟子たちは自分で自問自答し、孔子の言葉からその気づきを得るのです。勿論中には、孔子が気づいて欲しいことに気づかない弟子もいますが、それもまた未熟な部分であったり、今はまだ考えるに及ばない状態であったりと、本当に現代の私達でも思い当たる部分が大いにあり、「論語物語」で展開されている話は、身近な出来事といっても過言ではなく、私達自身も孔子の言葉から学ぶべきことが数多くあります。

★「教え」といっても、「言って、聞いて、はい終わり」じゃ、師も弟子も何もしていないに等しく、そこには人間としての信頼関係も生まれません。やはり、生に対して自ら「気づく」ということが、人間にとって質を高めていくことに必要なことではないでしょうか。「気づく」ことが、自分の生を豊かにするきっかけになり、行動を正していく要因であればいいと思います。

★そして、自ら「気づく」ということには及ばないこともたくさんあるからこそ、孔子のような“師”というものが存在し、そこから学んで(気づく、考える)いくことで、人間として成長していく・・・・まさに周囲との関係がなければ、このようなことも構築できず、人間としてのあり方も一人よがりなものになってしまうのではないでしょうか。本書の中に、「志をいう」という一編があり、孔子が子路、顔淵の2人に自分の“理想の生き方”を問うといった内容がありますが、ここでは自分をいかに忘れて、周囲となすがままに生きていけるかという一見平凡のように見えて、実はなかなか、成し難い孔子の深い思想に、顔淵共々、気づかされます。

★自分のあり方や、指針、生きる術を考えるなら、ぜひ本書を一度手にとってみるとよいと思います。

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36)青年社長 上・下 高杉良[著] 角川文庫

Seinen ★今、雑誌やテレビでもよく目にする「ワタミフードサービス」の社長、渡邊美樹。彼は、父の会社の倒産をきっかけにして、「将来は絶対社長になる」と決意し、母の死や佐川急便のSDなどを経て、ついに自分の夢を実現するべく歩みだします。

★最初は「つぼ八」のFCから始まり、お好み焼きの「唐変木」、居酒屋「白札屋」、など様々な店舗を手がけ、ついに「和民」の看板を掲げます。渡邊氏は、「人が笑顔を絶やさず、大好きな人々と同じ時間を共有し、くつろげる空間を作りたい」との思いを胸に日々邁進し続け、その行動力と、夢にまっすぐな姿勢には誰もが心を打たれます。「夢に日付を」は、渡部氏の代名詞といっても良いぐらい、よく聞かれる言葉ですが、自ら信じた将来に対して貫き、困難な事態もその不屈の精神で乗り越えていくさまは、読んでいる人にも元気を与えてくれるはずです。

★“社長”といっても様々なタイプがいると思いますが、何を信じ、何をもって生きていくのか、そして、創業当初から店頭公開するまで、本書では若かりし頃の渡邊氏の様子が鮮明に描かれているので、とくに「何かしたい」「成功したい」と思っている学生は一度読んでおくことをオススメします。

★よく学生は、社会人や会社を別世界と感じてしまい、「今の自分はダメだけど、社会人になれば変わるはず」という錯覚をおこしてしまいがちになります。しかし、今の自分が変わらなければ社会人になったときの自分が変わるはずもなく、また突然何でもできるようになるはずがありません。自分はどういう社会人になりたいのか、この社会で何をなしとげたいのか、ある程度考えておく必要があると思いますし、考えたならそれに向かってコツコツ準備をしていく必要があると思います。本書は、そういった意味でも、背中を一押ししてくれるようなものでもあり、また現在の学生生活にもチャンスがたくさん転がっているんだということを気づかせてくれます。現在も走り続けている渡邊氏の、創業エピソードをぜひ一度読んでみてください。就職活動のあり方にもヒントを与えてくれるはずです。

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35)逆発想術 竹村健一[著] 徳間文庫

Ghatu ★「この情報化時代をどう生き抜くか」というテーマのもと、竹村健一氏の著書です。私達は“常識”ということを常に頭に入れながら生活しているかもしれませんが、でもそれが自らの発想や行動を抑制していたとしたら?従来の私達の固定観念を見事にひっくり返し、どのようにこの社会を生きていけばよいのか、ヒントを与えてくれる内容です。「モーレツからビューティフルへ」「二重思考」などといった言葉を広めた竹村氏は、本書で「内から外へ」という言葉を頻繁に多用します。

★つまり、簡単にいえば「自己」から「他子」へということだと思いますが、人間の在り方にしても、企業のあり方にしても、「内」を判断基準に行動していってはナンセンスだということです。この目まぐるしく動く社会の中で、落ちぶれることなく生きていくには従来の発想をしていては、社会から取り残されてしまうという警鐘を鳴らしています。最近の若い人たちはよく「自分を探す」「自分を見つめる」という言葉を使用しますが、それこそ自己に埋没してしまって、探したり、見つめたりすることは逆にできないのではないでしょうか。また、「自分」「自分」といいながら、連帯意識や仲間意識はある意味大変強く、「流行」が連鎖的に大変なスピードで広がっていくのも、そのような性質を裏付けるているように思います。

★竹村氏の、若い人たちの傾向を洞察し、言及している箇所はとても20年前には書かれたとは思われないほど、実は的を得ていて、現代でも十分通じる内容です。その時代を見抜く目をこの「逆発想術」で学べると考えるとより、本著を読むのが楽しみになってくるのではないでしょうか。

★大学という限られた枠の中だけで、自分と似たような人々とばかり生活していると、いつしか自分の頭の中も、小さな枠の中だけしか発想できなくなってしまいます。そのような状況を回避するにも、様々な人の考え方に触れ、自らの発想の枠を大きくしていくことも学生時代には必要なことと思います。

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34)こんな「歴史」に誰がした  渡部昇一、谷沢永一[著] 文春文庫

Konreki ★「日本人として、誇れるか?」「日本という国が好きか?」このような質問をされたなら学生のみなさんは、どのように答えますか。答え方は様々でしょうが、少なくとも自分が生まれた国を否定するような気持ちは持ちたくないと思います。私たちは、中学・高校の歴史といえば、何故か日本の悪態をつくようなことばかり学んで、日本って悪い国だなあという印象を持ったことも少なくないと思います。

★本書は、そんな中学の歴史教科書を真っ向から批判し、本来ならどうあるべきなのか、また、そのような状況がなぜ起こりえたかを、渡部・谷沢の両氏が対談の中から明らかにしています。

★それは一貫して、日本のよさを正しく理解したい、そして事実をきちんと把握してもらいたいという思いから、聖徳太子と隋の国交や日本とシナとの関係、日本の美意識に至るまで、学校じゃ教えてくれなかった日本のもう一つのあり方に触れることができます。歴史の認識は、様々な解釈があると思いますが、それでも自国の歴史のよさを見つけていこうとする姿勢は必要だと感じさせられます。

★昨今の若者は海外志向が強く、すぐに憧れを抱いて、在学中に海外を訪れたりすることもしばしばありますが、帰国してからよく聞かれる感想の一つに「もっと日本のことを勉強していけばよかった」ということがあります。これは、旅先での現地の人々との交流から感じたことでしょうが、このように実際に行かないと気づけないという人が多いことは、まさに自国の歴史に対して関心が薄いということを表わしている証拠だと思います。

★きっとその根底には、日本人としての誇りを持てるような歴史を学んでこなかったということもあると思いますが、先人たちとの「日本に対する思い」を共有できていないことが、原因にあると思います。つまり、表面的な歴史的事実ばかりを知り、そこにはどういう思いで人が動いていったのかという一番大事な箇所がすっぽり抜け落ちているため、「過去と今は違う」という風に自ら日本人としての繋がりを断絶せざるを得ないからです。本来なら、国を作ってきたのは「人」であり、「未来への思い」だと思います。それが受け継がれていくからこそ、国は存続するのであり、発展していくのではないでしょうか。特に日本の場合は今まで一度も文化や文明が途切れることなく上昇していった国としては、世界的に見ても一目を置かれる存在です。

★そんな、人間としての繋がりを、そして「日本人」としての繋がりがあることをむしろ誇るべきであり、そのように思えるようになるのが、大事だと思います。本書はそういう意味でも、「日本」という国を今一度考えることのできる内容です。

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33)いかに書を読むべきか(読書と人生) 倉田百三[著] 教養文庫

Ikani ★本を読むということの必要性、重要性、緊急性を感じぜずにはいられない内容です。それは本当に人間として成長していきたいなら、学生時代だからこそ、若いからこそ、「読まなければならない」ということです。「本を読む時間がない」とは、むしろあり得ない話として、認識することができるでしょう。

★著者の倉田氏は、「学生時代においては読書をしないとは、怠惰の別名であるのが普通である」と指摘し、「読書をしない青年には有望なものはいない」と一刀両断しています。また、「生を愛し、人類を思う青年は読書せずにいられるものではない」といい、「あの中から世を驚かす未来の天才が出てくるのであろうかと心強い気がする」と読書に励む若者を称えています。ただ、私たちが読書をするといっても、「じゃあ、とにかく読めばいいんだね」と、「読む」ということを目的にしてはいけないと思います。これは本著の中にもあることなんですが、書物が何でも与えてくれ、書物から全てを学び得ると考えてしまう没我主義になってしまうと、自分が「本を読む」ということの真の意味を取り違えてしまいます。

★「書物は他人の生、労作の記録、贈り物であり、決して自分の生、労作ではなく、他人の生と労作との成果をただ受容して、済まそうとするのは怠惰である」本を読みながら、「なるほど!」「すごい!」と心を動かされる場面はよくあります。ですが、感情が動いて読み終わった後はそれで終わり・・・なら、最初から何をもってして自分がこの本を読もうとしたのか、という「問い」が浅いに過ぎなかったのではないでしょうか。

★自分の生は、体験するにも観察するにも、“期限”があります。これは、生物ならやがてはくる終焉の時ですが、それを考えればいかに残された時間が少ないことか。本当に自分の人間の質を高めたいと思うなら、「書物」という他人の生や体験、研究の遺産を受けて、その2倍も3倍も自分の生への質を高めていくことが必要なのでしょう。

★つまり、「書物を読む」ことは、人間が豊かに、そして人間としていかに生きていくべきか、そのように一緒に自分の生を作り上げていくパートナーとして捉えるとよいのかもしれません。ただ、書物に自分の生への答えはなく、答えを出していくのに必要な道具をいろいろと目の前に差し出してくれ、それをどう組み合わせ、どのような使い方をし、何を生み出すかは自分で判断していくしかないと思います。このように考えれば、倉田氏が、「読書をしないことは怠惰だ」といっていることも、「自分の生に対して、関心がない」ということだと解釈しても過言ではないかもしれませんね。

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32)これがサンリオの秘密です。 辻信太郎[著] 扶桑社

Sanrio ★「サンリオ」の “キティちゃん”と聞けば、今やもう女子中高生の中に知らない人はいないほど、愛されているキャラクターです。最近は、三菱自動車のCMに出てたりなんかして、宣伝・販促に一役買っているようですね。これも、キティちゃんの幅広い年齢層から支持されている特長をいかして「展示会を中心とした販売」を強化していくそうですが、このようにキティちゃんは、現在世界60カ国で年間約5万種類もの商品が販売されているほどの売れっ子ぶりです。

★さて、本書はそんなキティちゃんの生みの親であるサンリオ社長の辻氏が「サンリオ」という会社の成り立ちから今後の展望を書いたものです。著作権ビジネスがまだ日本に全く存在しなかった頃、辻氏は版権を売ろうにも、ロイヤリティーをいくらにしたらいいかも分からないという、全く手探りの状態から始めました。そのころは、あのディズニーでさえはっきりとした基準を持っていなかったというから、その先見性には驚きです。また、当時はモノを作ればどんどん売れるという時代。そんな時代に、わざわざ著作権料を払ってまでキャラクターという名の付加価値をつけて売りたいと考えるメーカーもいなかったということで、やがてはビッグマーケットになるであろうことを夢見ながら、コツコツとキャラクターを育てていき、今では世界規模へと展開していけるまでになりました。

★この、設備投資もなにもいらない著作権ビジネスを日本で先駆的にやっていこうとした辻氏の発想と、市場でキャラクターが必要とされるまでの恐るべき忍耐の強さに、本書を読めば誰もが「すごい」と感じるのではないでしょうか。よく、学生時代「こうなったらいいな」と夢を描くことも多いかと思いますが、それを実現する手段までは考えませんし、明確な行動へと結びつかないことも少なくありません。一度抱いた自分の社会に対する思いを実現するには、何らかの形でそれを社会の中で具現化していかなければならないということを、この辻氏の著作権ビジネスの確立から教えられます。

★辻氏は、人間にとっての幸せを追求していく中で実現したいその思いを、どのような手段を使って実現してきたのか、それから今後どのように展開していきたいのか、学生時代に将来を考えるうえでもヒントになる書だと思いますよ。

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31)本はどう読むか 清水幾太郎[著] 講談社現代新書 

Honha 「若者の活字離れ」そんな言葉を、よく耳にしますね。これは、日本に限らず中国などでもそのような現象が起きているということで、その原因も「時間がないから」と日本の若者とも、似たり寄ったりの感想です。日本では読書率の低下が叫ばれてから、大幅に改善されたかといえば、今だそうでもないようです。ただ、大学生のみなさんは、「本に触れる」機会をより多くもつことが、学生生活をより充実させるうえでも必要なことだと思います。本書は、「本を読む」ということをどのように捉えればよいかを、著者の経験も踏まえたうえで書いてあり、非常に読みやすい内容となってます。例えば、本には、実用書・娯楽書・教養書の3つがあり、「教養書」を読むことが自分の生活の質を高めていくということに繋がっていくとしています。つまり、教養書とは実用書や娯楽書とは違い、必要・強制・欲求・誘惑を感じる要素が欠けていますが、自分の生活を高めよう・豊かにしようと思うなら、読むべき本だとされています。そのため、自分自身の決断と努力によって読むほかなく、そこに立派に生き、立派に死ぬための読書ということも同時に感じられるのです。また、本を読む際には誰もが感じるであろう、読み終えれば「内容を忘れてしまう」という現象。これに著者も頭を悩ませたらしいですが、読後感を書きとめるということで、その方法も著者自らが試行錯誤しながら確立させていきました。「本を読んで、理解したということは、心の表面に成り立つうえでの理解しかなく、自分の文章に表したとき、初めて深い理解が生まれる」という言葉は、まさに私たちも、一度見直すべき事柄ではないでしょうか。このように、いわゆるハウ・ツー本というよりも、著者自らの本に対する考え方や接し方からいろいろと言及してあるので、著者の清水幾太郎氏の魅力にも同時にひきこまれてしまうはずです。「読書とは、書物と交際すること」。著者の言葉でありますが、私自身「なるほどな~」と感じた箇所です。みなさんも、「本を読む」ことの面白さや、もっと効果的に読みたいという読み方を知りたいなら、ぜひ本書を読むことをオススメします。きっと、読書は勿論、レポートや論文の文献も、読むのが楽しくなってきますよ。

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30)経営の勉強はこうするんだ! 磯田一郎ほか12人の経営者[著] 中経出版

Keieis ★京セラ、セコム、リクルート、ユニ・チャーム、ミサワホーム…….どれも聞いたことのある企業名ばかりでしょうが、これらの企業はどういう社会的使命をもって存在しているのでしょうか。また、誰のどんな思いを実現すべく、商品やサービスを提供しているのでしょう。学生に限らず、一般的に「消費者」としての視点しか持ちえていないなら、このようなことは触れる機会がないかもしれません。ですが、一度触れると社会の見方も変わってくることだと思います。

★本書は、13人の社長それぞれが、創業時の苦労やどのようなことを経験してきたのか、また経営というのは何なのか、ということを書いたものです。例えば、ワコールの塚本幸一氏は、経営の起点を戦争体験にあったことを明かし、奇跡的に生き残れた自分の人生を精一杯全うすることで、その“生かされた”身を亡くなった戦友の分まで生きようとしました。そこで、「一生を賭ける仕事がしたい」というその思いに適ったのが、“女性の美しさ”を追い求めることだったのです。終戦直後は、食べるものにも汲々とする状態であり、そのような中「ぜひ、日本人の女性に女性らしさ」を取り戻して欲しいとの想いから、ブラ・パットを扱い、やがて、下着へと展開していきます。軌道に乗るまでには、勿論様々な困難や難問が目の前に立ちはばかってくるのですが、それをどのように受け止め、どのように乗り越えてきたのか、また塚本氏の信念がどこにあるのかが描かれています。

★学生時代は、「就職活動」というものが目前に迫ってくると、自ずと企業に目を向けるようになるのですが、「企業のどこを見て判断していけばよいのか」ということにまず悩む人も少なくありません。そんなときは、まず企業というものが、どういう思いを持って存在しているのかを知る必要があると思いますし、それを創業した人は未来にどのような思いを描いたのか、そこに触れるだけで随分捉え方が変わってきます。先にも述べましたが、“消費者”としての視点だけでは、特に何の感情を抱くこともないかもしれませんが、そこには「人」の思いや情熱が詰まっていることを知れば、自分の未来のビジョンや思いも同時に見えてくると思います。そんな機会を学生時代に作ることは、就職活動を行ううえでも社会人として働いていくうえでも、自らの糧にしていくことができることでしょう。

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29)松翁論語 松下幸之助[述]江口克彦[記]  PHP文庫

★「論語」と聞けば、思い出すのは孔子の教えということでしょうが、本書は長い間、松下幸之助の傍で仕事をしてきた著者が実際に松下氏から聞いた言葉や、松下氏の著作の中で感銘を受けた章句等を「論語」になぞらえて、作成されたものです。本文も「子、曰く」に変えて「松翁ある人に次のように言われた」との書き出しから始まります。松下幸之助は「経営の神様」と呼ばれるほど日本ではメジャーな人物でありますが、その言及するところは、経営だけに限らず、政治や教育、家庭、人生など多岐に渡っています。本書を読むにあたり感じたことは「この人、本当に経営者?」と思うほど、氏自身の哲学たるものがしっかりしていて、大変奥深い言葉が多いです。

★松下氏は、何事も「考え抜く」という作業においては妥協しなかったそうですが、そのような姿勢が経営や人生の目をも啓かせたのではないかと思います。学生時代は特に、「自分の思うように時間を使える」という状況の中、約4年間を充実させる人もいれば、無駄に過ごしてしまう人もいます。この過ごし方の違いは、やはり信念を持つかどうかではないでしょうか。「信念」といえば少し堅苦しくなるかもしれませんが、自分がどう生きていきたいか、それに素直に従っていけば、自分の信念もより強固になり、人として生きる術を見出していくのかもしれません。

★本著の中でも、「巻九」に“素直な心になれば”という箇所があるのですが、その中で「素直な心になれば、心の目がひらけて、自然の理法を感得できるようになる。……..」という言葉があります。つまり、私たちは普段物理的に目を開いてはいますが、もう一つ目をひらく必要がある。それが心の目をひらくということではないでしょうか。人間の意思というものは強固なもので、自分の行動を全て支配しています。その意思を、自分が健全だと思う方向に保っていくためには、松下氏が述べているように「素直な心」になり、「自己観照」をしていくことが、大事だと思います。しかし、この「自己観照」という言葉、一見簡単そうに見えて、実はものすごく自分を律さなければ見えてきません。

★「学生時代」という一つの限られた時間もどのように過ごしていくかは、日々模索中であるかもしれませんが、やはり定期的に自分を冷静に捉えることも必要だと思います。そんなときに、この「松翁論語」を手にとってみると、実に幅広い分野に渡って言及してあるうえに、松下氏の人生観や哲学にも触れられるので、自らの心の目をひらくきっかけにもなりえる書なので、ぜひ一読してみると良いです。

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28)③金持ちラッパの吹き方  藤田田[著]  ワニの本

Rappa_1 ★「頭脳産業」まさにこの言葉がぴったりあてはまるなあと、本書を読み終えて第一に感ずるところです。本書も以前紹介した二冊同様、藤田氏の金儲け哲学満載でありますが、またまた、氏のその発想のいくところを学べます。

★藤田氏の中に良く出てくる発想は、時代の少し先を行く・時間を意識する・科学的視点の三つですが、いずれもビジネスを生み出すには必要不可欠なものだと思います。とくにこれからはハードウェアの時代ではなく、「ソフトウェア」の時代とし、土地や設備がなくとも大儲けできるということで、いかにして知恵を絞り、それを時代の波に乗せていけるかを鍵としている点は、納得させられるところです。「マクドナルド」も、全ては厳密に計算され、分析され、日本人の口に自然に入るように計画されていました。その予測は見事にあたり、わずか10年で売り上げ1000億円までになったことは有名です。

★藤田氏の考え方の中には、常に物事を大局的に見る、ということが一貫して感じられます。例えば、マクドナルドなら、「お客さんが店舗に足を運んで食事をして帰る」そこだけを見るのではなく、お客さんが店舗にくる前から、また帰った後も、そして果ては親から子へ、孫へと、人間の連鎖的性質も全て考え、見抜いています。決して「ハンバーガー」を売ることだけは考えていないのです。「時間を売る」「新しいライフスタイルを売る」そして、「文化を売る」――恐らく消費者の視点だけでしたら、「マクドナルドは、安いハンバーガー屋さん」としか捉えることができないでしょうが、創業者の藤田氏の考えを一度見れば、いかにして計算されていたかに驚きます。

★そして、藤田氏を語るに忘れられないのは「克己心」のすごさです。若いころに、毎月10万円ずつ30年間貯め、一度もその貯金に手をつけることのなかったという氏の意志の強さは、私達若者は特に敬服すべき点ではないかと思います。(結果30年間で、一億二千四百万円貯まったそうです)単純に考えれば、そのお金だけでも暮していけたでしょうが、結局それに手をつけることないまま息子に引き継いでもらおうということだったので、ここに氏の並外れた心の強さを感じることができます。藤田氏の発想はさることながら、人生論も学べる一冊です。

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27)天下取りの商法  藤田田(デンと発音して下さい)[著]  ワニの本

Tenka ★「ユダヤの商法」「頭の悪い奴は損をする」に続く、藤田田氏による金儲け学の一冊。現在でも外食産業で一位を誇る「マクドナルド」の礎を築いた藤田氏は、本書を見れば「分析の達人」という印象を抱くのは間違いないと思います。何故なら、口調は毒舌で何事もはっきりと断言し、そこに実は、いつもいつも数字の裏づけがあるからです。「先見性」という言葉はみなさんもよく耳にするでしょうが、まさにマクドナルドの発展も藤田氏の優れた先見性によるものです。

★昭和46年に日本にハンバーガーを持ち込み、予想通り売り上げ一千億円を到達し、まさに新しい「文化」を築きあげた彼は、マクドナルド第一号店を銀座に出店する際にも、日本初の「ドライブスルー」を立ち上げた時も、自ら現場に赴き、その観察眼から見事に自分の予測どおりに事を成し遂げました。

★この観察眼は、周囲の状況を把握・判断し、また自分の考えや勘だけに頼るのではなく、人口や車の台数、他店との売り上げからみる予測、などその判断を下すのに必要とする情報を集め、そこから解決策を図るという点において特に優れていたように感じます。また、数字だけではなく、人の行動特性や心理状況、日本人の気質など、全てがビジネス成功への架け橋となっていることもわかります。

★まさに本書の中で彼が述べてあるように「科学する心」を十分に生かしているのです。マクドナルドは、実にあらゆることが科学的な根拠によって組み立てられていることに本書を読めば驚きますが、例えばハンバーガーの厚さは人間の口に入ったときに一番美味しいと感じる厚さ17ミリに統一されたり、そのパンの気泡も5ミリが美味しいということで全て5ミリになっていたり、ハンバーガーと一緒に進めるコーラの温度は摂氏4度に確実に管理されていたり……..とありとあらゆることが、科学的に研究された上で、私達の口元に運ばれているのです。

★このようにして、「日本にハンバーガーを根付かせるには、どうしたらよいか」という問題解決を図るに必要な情報を取り出し、それを分析し、アイデアへと繋げていく発想は、まさに私たちにも必要とされている能力だと思います。

★「先見性」といってしまえば、「自分にはそんな大それた能力はない」と思ってしまいがちですが、その「先見性」には、自分の中で考えて判断して「恐らくこうだろう」というギャンブル的要素は実は全くなく、未来を予測するに足りる情報をかき集め、そこから傾向を見出し、その流れに乗る――ということではないか、ということを本書の中で藤田氏が教えてくれているような気がします。自分のやり方そのものをまねるのではなく、どのように考え、その考えたことをどのようにビジネスに生かしてきたか、それを学ぶことが儲けへの近道だ、それを気づかせてくれます。

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26)言葉(考えるヒント)  小林秀雄[著]  文春文庫

Hinto ★「言葉は似せがたく、意は似せ易し」(本居宣長)――これは、言葉は真似し難いが、意味は真似しやすいという意味ですが、「えっ!逆じゃないの?」と思う人もいるかもしれませんね。確かに私達は、言葉を真似るのは簡単だけど、その意味を理解するのに時間を要するという考えが一般的です。しかし、著者の小林秀雄氏は、「意には姿がないから、意を知るのに似る似ぬのわきまえは無用。だから意は似せやすい」としています。

★私たちはよく、有名人や偉人の言葉に感動すると思いますし、それらの言葉を支えにして、「座右の銘」としている人もいることでしょう。そして、その言葉に出会った時に自分の中で生じるのは、「この気持ちわかる」とか「なるほど」、「確かにそうだ」…….など、共感や発見、気づき、衝撃、感動、羨望、憧れ――つまり、湧きあがる感情を自分の心で「感じ取る」ものです。そういう「感情」は自ら求めずとも、人間なら自然にあります。しかし、私たちはその湧きあがった感情に従う中、「この人の言っていることが“分かる”」と思い、さもその人が経験したことを体験し、全てを理解したような気になっているのが、実は錯覚にすぎなかったんだということを、深く深く、気づかされます。

★いわゆる人々の感情を動かす「言葉」は、発した人の経験や体験、苦悩や喜び、感動や悲しみ、思考傾向など、その人のこれまでの人生や知識から裏打ちされ、搾り出された「結晶」のようなものだと思います。人々はその「言葉」の後ろに、広大な“人生=人が生きる”を見、感じ取るからこそ、深く心に響き、何らかの感情が湧き上がるのです。にも関わらず、「本当は何を言っているのか知らずに、意見をいうということは、私達には極めて普通」である世の中、いかに自分の言葉に責任を持たず、物事にしてもなんにしてもうわべだけをすくい、そこで浅はかな思考を繰り返しているかが、垣間見えるようでもあります。でも、それで通ずる世の中であり、それで意思疎通をしている、だからこそ「言葉というものは恐ろしい」のだと思います。

★「詞(言葉)は求めて得るもの、情は求めずとも自然にあるもの」とし、“形のないものから形が、不安定なものから安定が求められている”とした宣長の考え方を、小林秀雄氏は「生きとし、生ける物の努力」だと述べています。そう考えるとまさに、「言葉」というのは、私達が「生きる努力」つまりその“姿”から生まれたものであり、だからこそ、「言葉は似せ難い」――そう言っているのではないでしょうか

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25)DenFjitaの商法① 頭の悪い奴は損をする

Atama ★アメリカから「ハンバーガー」を輸入し、日本人を「色白の金髪に改造する」という大胆な発想を持ち、日本に「マクドナルド」を広めた人――その名も藤田田(デンと発音して下さい)。当初、「日本にはパンを食べたり、立って食する習慣がないから、日本でやっても無駄だ」と周囲の非難を浴びたものでしたが、その周囲の反応をものともせず、日本にうまく取り入れ、「マクドナルド」を現在も続く超巨大産業に仕立て上げました。

★なぜ、ここまでマクドナルドが成功するに至ったのか・・・それは、彼が輸入したのはただの食品ではなく、「文化」を輸入したからです。つまり、新しい文化を人々に根付かせればよいわけですね。人々の生活様式に介入してくる文化は根付けば、また新しい文化が織り成されるまで次の代もその次の代も・・・と続いていくものですが、そこに彼は「ハンバーガー」というものを見抜いたのです。

★「頭の悪いやつは損をする」というタイトルも少々過激ですが、中身はもっと過激です(笑)しかし独特の語り口調と、歯に絹を着せない言いっぷりは面白く(たまにヒドイと思いますが)、また、流れ行く情報の波に乗り遅れないように、常に先を予期しながら、先手先手を打っていく彼の発想は学ぶべき箇所が多分にあります。そこには、いかにして私達が自分の頭を駆使しながら、物事を創造し、実行していくかに限られるわけですが、各章で「~だ」という断定を必ず使用しながら進められていく本書を見ると、「実は儲けるのはシンプルなことなんだ」という声が聞こえてきそうな気がします。私たちは、普段から物事を複雑に捉えようとする傾向がありますが、それは根本に「情報収集」つまり、「知識」をつけることばかりに執着しているからではないか、と思います。

★本書の中で藤田田(デンと発音して下さい)氏は、ウォーレンシュタイン氏の「人間は知識よりも知恵を尊重すべきだ」という言葉を借りながら述べており、「情報を集めることによって付いたその知識を、何かを創造することに活用することで初めて生きてくるものだ」としています。それがつまり、頭を使うことであり、頭の回転を早くする源になるのではないでしょうか。

★本書の内容も、一貫して藤田田(デンと発音して下さい)氏が、どのように情報を捉え、それを実行してきたかにつき、その発想を学べるようになっています。「頭の悪いやつは損をする」というのは、情報を掴んだだけで満足している人々にもう一度、自分の考え方の鈍さを気づかせ、日本人を元気付ける、実は優しさに満ち溢れた書ではないかと思います。

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24)代表的日本人  内村鑑三[著]鈴木範久[訳]  岩波文庫

Nihonjin ★今、世界で活躍している日本人は分野を問わず数多くいることでしょうが、みなさんは自分が日本人であることに誇りや自信を持っているでしょうか。本書は、著者内村鑑三が日本人を紹介することにより、日本文化、価値観を紹介した本です。明治初期の当時、世界の列強と呼ばれる国々はその殆どがキリスト教世界であり、異国の道徳、異文化と言ったものは理解どころか想像さえ難しい状態にありました。そこで著者は、日本と日本人の素晴らしさを知ってもらうために英文で書き、世界の人々に日本という国を伝えたのです。

★そのため、原題は“Representative Men of Japan”となっており、これをまた翻訳したものが私達の手元にあるので、最初読んだ時には少し違和感を覚えるでしょうが、このような背景を知っていれば、さらに本文を読み進めていくことも面白く感じます。特にこの「代表的日本人」に関しては、その執筆背景を知ってから読む方が、著者がどのようにして日本人を外国人に紹介しようとしたのか、何を優れているべき点として捉えているのか、を考えながら読めるので、ただの人物本として読むよりは得られることが多いでしょう。

★さて、代表的日本人として挙げられているのは、西郷隆盛・上杉鷹山・二ノ宮尊徳・中江藤樹・日蓮上人、以上の5人です。恐らくこの5人を見たとき、「知らない」という人もいるかもしれませんが、いずれも日本の発展に尽くした人で、日本人として誇り高く生きた人々でありました。また、彼らには、その考え方と行動力に敬服するものがあり、西郷の「機会には2種類の機会がある。求めずに訪れる機会と我々の作る機会とである。真の機会は、時勢に応じて理に適って我々の行動するときに訪れるものである。大事なときには、我々が作り出さねばならない」、「どんなに方法や制度のことを論じようとも、それを動かす人がいなければ駄目である。先ず人物、次が手段の働きである」、鷹山の「賢者は木を考えてから実を得る。小人は実を考えて実を得ない」、尊徳の「利己心はけだもののものだ。利己的な人間はけだものの仲間である。村人に感化を及ぼそうとするなら、自分自身と自分のもの一切を村人に与えるしかない」「一村を救いうる方法は全国を救いうる。その原理は同じである」という発想は、現在の私たちでも多いに学ぶ点があります。

★これらを見るとこの5人は自らの発想を以てして、財政再建、雇用拡大、人材育成など、人々の悩みや問題を見事に解決し、その結果を残しえたことから、有能なビジネスマンとしても捉えることが出来るのではないでしょうか。やはり、国を支える・将来の子孫に繋げていくということは、いかにして自国の人々を奮起させ、よりよいシステムを構築し、繁栄させていくことができるかということだと思うので、当時の日本人にも欧米とは負けず劣らず人格的にも、能力的にも優れた人物がいたということを、著者の内村鑑三は身をもって述べたかったのではないかと思います。

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23)いやでもわかる財務諸表  太田昭和監査法人[編]  日本経済新聞社

Zaimu ★みなさんは小学生や中学生の頃、通知表をもらうことにどきどきしていませんでしたか?それまでの自分の頑張りが、どう評価されているのか、気になったことでしょう。「財務諸表」と聞いて、「私には無理」と反射的に拒否反応を起こすかもしれませんが、実はその「財務諸表」が年度の終わりや中間に公開される会社の通知表と思えば、少しは興味が湧いてくるかもしれません。

★実は、財務諸表はただ数字が並んでいるだけではなく、そこから企業の経済活動や現状を把握でき、自分で実体を掴むことができます。学生のみなさんなら就職活動で企業を選ぶ際に、ネットで得る情報や先輩からの情報、説明会での情報が主で、「どこの会社も同じアプローチで、どう選定すれば良いのか分からない」ということをたまに耳にしたりしますが、企業の財務状態を一つの情報源にするのも良いと思います。何故なら、数字だけはごまかすことが出来ないからです。

★例えば、「うちは○○業界では、売上・利益ともに業界一位なんだ。テレビCMでも有名なアイドルタレントを使って人気商品の宣伝をしているし、主力商品のシェアは、50%を超えて業界一位、資産規模も一兆円を超えて業界一位だしね」という風に聞いたら、それだけ財務体質もよく、順調のように感じるかもしれませんが、果たして企業規模が大きく、資産規模・売上・利益が業界一位ということが、超優良企業といえるのか・・・。実は資産をどのように有効活用しているかがポイントになってくるのですが、そのようにただ良い数字を出されただけで、「良い」と判断することが、いかに表面的で情報に振り回される原因になるかが、同時にわかってくることでしょう。「財務諸表」も、ただ数字だけをみれば、数字が大きいほうがよく見えたりするものですが、その数字の比率や変動、どこにお金を使っているかを見抜く目を持つことが重要だと思います。

★このように見れば私たちは、「情報」に結論や答えを求めるのではなく、情報は一種の結論や答えを見出す「手段」にすぎないということもわかってきます。「情報化社会」「情報の氾濫」といわれる時代ですが、私たちは使える道具が増えたと捉えることで、今度はどの道具を使えばよいかに、意識を向けることが出来、それが、「情報の選別・取捨選択」になります。私自身も数字には苦手意識があり、何とか数字から判断がつくようになりたいものだと思い、本著を手にしたのですが、「財務諸表」一つとっても、こんなに会社の状態が分かるのかと、思わず読みながらニヤケてしまうほどでした。同時に企業やお店に関する普段の「?」も解消でき、すぐに読んでしまえる面白い内容です。

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22)学問(考えるヒント2)  小林秀雄[著]  文春文庫

Hinto2_1 ★現在、「学問」という言葉を聞けば、「知識を身につけること」だという意味合いのものが多く、それは「読書」に関しても「何か知識や情報を得たい」という思いのもと、私たちは、読書していることが多いかもしれません。

★しかし、古来の人々は読書をするとは知識の収集ではなく、いかに生くべきかを工夫することだと捉え、逆に道理や心理を求めようとするからこそ、自己流に陥り、勝手に聖人の思想を再構成することになる、ということを著者は述べています。つまりそこには、自分が捉えられるように、捉えてしまい、本来書かれてあることには深く追求せずにわかってしまった気になっていることが、愚かな行為だということが含まれてあるのですが、これは私達がものの理解をしようとする時に頻繁に起こりうることではないでしょうか。

★私たちは学校の授業のように、何に対してもすぐに答えを求めようとすることで、自らを安心させ、納得させることが出来ると思っていますが、その思考傾向が実は現在の若者の忍耐力や精神力を奪っていることに繋がっているのかもしれません。例えば身近な例でいうならば、業界を一つに絞った方が対策も立てやすく、無駄な努力がないと思い込んでしまう学生の就職活動に対する姿勢にも顕著に現れており、そこには最短であまり労力をかけずに自分に適した将来像を見出したいという心理が感じられ、「仕事」というものをじっくり捉えようとする忍耐や我慢強さというものとは無縁のように思われます。

★素行や仁斎、徂徠は、みな読書の達人ということで、ただひたすら言を学んで、我が心に問い、紙背に徹する眼光をいかにして得ようかと、肝胆を砕いたと言います。つまり、何の努力をしないでも耳に聞こえてくるがままに理解できる知識に頼らず、眼前にある事物を信じず、書物の奥から現れてくる「心」を見る目を養うということでありますが、ここにはそうすることで、じっくりその事物と向き合う忍耐力も同時に養われてくるはずだと思います。

★古来の人々は、それがごく自然なことだと説き、読書にいたっては精読・熟読を常だとしましたが、今日の私達の学問においても、今一度先人に見習うべきところがあっても良いのではないかと思わせるような内容です。

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21)徂徠(考えるヒント2)  小林秀雄[著]  文春文庫

Hinto2 ★「理」というのは物事を捉えるうえで必要であり、それを追求していくことが「分かる」ということに繋がる…….そう思っている人は多いと思いますが、それはきっと「歴史」に対しても同じかもしれません。

★「一理のうちに収まったこの世の如きは死物である。この無尽の変動が歴史であり、これは理に酔った眼に見えるものではない。歴史というものが見えず、歴史という事実を知らず、歴史に理ばかり読んでいるなら、いっそ歴史という言葉を口にしないほうがいいのだ」著者の小林秀雄氏は、徂徠の「見聞広く、事実に行わりたり候を、学問と申事に候故、学問は歴史に極まり候事に候」という言葉から、歴史や学問というものをすぐに「理」で分かろうとするということは良くないと説いています。私たちは、これまでの教育で「事物から問題を発見し、そこから改善策を見出し、解決する」といういわば、問題解決能力を養う勉強法よりも、与えられた問題を適切な方法で処理すれば点数がもらえ、それが学校教育においては、賞賛すべきものだとして捉え、自然と、一つ一つの事物にすぐに答えや知識を求めようとする傾向があります。

★しかし今それが、果たしてよい思考傾向なのか、と問われれば私は疑問を持ちますし、もう一度見直す必要があると思います。

★徂徠は「理ハ定準無キモノ」という事をしきりに述べ、「理」を求めることの落とし穴を説きました。つまり、「理」とは事物に自然にあるものではありますが、この条理を推度するのは「心」であり、実は物の理をいうといっても、各人が自分に見えるところを見えるといい、見えないところを見えないといっているに過ぎないということであります。そのように考えると私たちは、いかに浅はかなところで満足しようとしているのかが分かりますし、自分勝手な生き物だということも同時に垣間見えてきます。私たちは「智」に溺れ、「智」を求めすぎではないか、「智」にあまりにも崇高なイメージを抱きすぎていないか、とさえ思いますし、だからこそ「理屈」ばかりで行動が伴わない、頭でっかち人間になってしまっているかもしれません。

★学生や若者の将来に対する考え方や就職活動も一緒です。先に頭で考え、答えを求めようとする。しかしそれがいかに、逆に自分の発想を限定し、枯渇させているかに気づくことが重要ではないでしょうか。徂徠の基本的な思想は、理を言って智を喜ぶより、生きる方が根本的なことだ、つまり知るより行うのが先であるというものでした。私たちは先に述べたようにすぐに合理的、理路整然……などを求めすぎる傾向にありますが、それが返って物事を複雑に捉え、情緒不安定な自分を作りだしているのかもしれません。

★「道は行フ所ヲ以テ言フ。活字ナリ。理ハ存ズル所ヲ以テ言フ。死字ナリ」仁斎の言葉です。歴史を見るとき、事物を捉えるとき、物を得ず理しか得られないという愚かなことはやめて、それに応じ、習い、熟し「我ガ有ト為セバ、思ハズシテ得ルナリ」という心情を経験していくこと、これが今の若者に求められていることかもしれません。

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⑳私塾が人をつくる  大西啓義[著]  ダイヤモンド社

Sijyuku ★現在教育問題は専ら頻繁に議論されており、それがひいてはニートやフリーター、若者の離職率(現在3年以内で辞める割合は35%)などに関わり、青少年犯罪の低年齢化など、若者を取り巻く問題は、あとを絶ちません。

★なぜ、このような状態になったのか・・・それは戦後教育に問題があり、「人間教育」を怠ったのを原因とし、江戸時代の吉田松陰の松下村塾を初め、さまざまな私塾からその根本的な教育を学び取るのを目指したのが本著の内容です。

★「至誠を貫いて感じないものはいない」これは、松蔭が塾生に接する時に心がけていたことですが、どんな塾生に対しても誠心誠意全力を尽くせば通じないものはないとし、その結果、松下村塾からはその後の日本を担う数多くの若者が輩出されました。また、「志を立てて、以て万事の源となす」ということを重要視し、塾生に志を持つことの大切さを説きながらも、同時に自らのあり方も省みています。適塾の緒方洪庵もしかりですが、現在も語り継がれる「教育者」として名高い人々は、リーダー自身が身をもって実践し、また塾生に愛情をかけ、現状ではなく未来の可能性と付き合うことで、人々の支持を集めていった人が多い。まさにこれらの人々は、「公然の気」を保ち、それを塾生一人一人に植え付けていったのではないでしょうか。つまり、心に「感動」を持つことで、その人を生き生きとさせ、創造力や行動力の原点を養うということですが、果たしてこれが現在の若者ではどうかと問われれば、「否」という方が正しいかもしれません。

★著者は、作家の堺屋氏の言葉を借りながら「現在の“優秀な人材”というのは“試験上手な人”」であるということに触れ、それが支持待ち人間や、横並び人間を育ててきたと述べ、これから求められる人材像へと言及しています。

★「教育」とは一言で言っても、そこにはさまざまな事柄が含まれているわけですが、私は人間が人間らしくあるための根本的な営みがそこにはある、と感じています。教育者は、一人一人の若者の人生を預かっているも同然であり、それを責任回避したりするのは毛頭おかしいことでありますし、若者の意欲や野心、向上心、エネルギーを受けとめられることのできる人々が必要であり、教育者の使命だと思います。それが、ひいては「人間性を育て、個性を伸ばす」という教育に繋がるのではないでしょうか。教育者自らが、正面から若者を受け入れようという姿勢がないのに、どうその個人の個性を見抜くのか・・・シンプルに考えれば、「個性を伸ばす」という教育のあり方も見えてきそうです

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⑲人生を変える80対20の法則  リチャード・コッチ[著]  TBSブリタニカ

Pareto ★私たちは、投下した分の労力や時間に、その成果も比例してくるという考えが根付いており、それが当然のように日々生活している人も多いでしょう。この「80対20の法則」とは、「結果の80%は、20%の努力によって生まれる」という、「パレートの法則」を使いながら、様々な事象を検証し、どれだけ効率のよい時間や生活、仕事ができるかを説いています。この著書を読めば、最初は衝撃を受けるかもしれませんが、2、3回読むと自分の発想や考え方を冷静に捉え、どのように変化させていけばよいか、徐々にそのヒントを掴めてきます。

★同時に自分の発想や考えがいかに枯渇していたかにも気づかされますし、自分で自分の発想を限定していたということにも気づくはずです。「価値ある仕事の80%は、使う時間の20%で達成される」という法則も嘘のように聞こえるかもしれませんが、実は驚くほど仕事や勉強がはかどった時間もわずか20%の時間帯でやっており、時間のごく一部が、残りの大半よりはるかに価値を持っているというのが、事実なのです。

★人々は平等だという理想をかかげながら、実際に勝ち組負け組と呼ばれるような形で、二極化が進んでいるのはなぜでしょうか。人々が均等に富むという現実はありえるはずもなく、世界の富の80%は世界の20%の人が持っているという現実があり、利益の80%は、20%の顧客がもたらし、業界のシェア80%は、20%の企業から構成されている、そんなことが当たり前に起こっているのです。しかし、何故私達はその不均衡の事実に気づかず、いつまでたっても投下した労力と成果は比例するという考えを持っているのでしょうか。(受験勉強なども一緒ですね)

★これは恐らく、その不均衡の事実を知れば、世の中平等じゃないという手痛い現実を知り、頑張っても報われないという思いが湧き上がってくるからでしょう。だからこそ、「頑張れば報われるんだ」「投下した分だけ、その見返りは戻ってくる」そう思わないと人間、どこにモチベーション維持を図れば分からなくなり、それこそ迷走してしまう。しかしそれは、自分の願望に過ぎないというのも事実です。私達が理想としていることは、実は全く架空のもので、それ自体が事実にそぐわないというものを平気で信じているものです。そして本当の現実を見つめ、理解した人だけが、思い通りの人生を歩んでいくのでしょう。

★この「パレートの法則」も大変有名であり、これまでも数多くの人々がこの考えに触れた機会があるでしょうが、今だその成功したパーセンテージが劇的に増えたという事実がないのなら、その法則を本当に理解して、実行できた人もわずか20%しかいなかったということが事実なのではないでしょうか。

★そう考えると人間の思考自体が、平等ではなく、不均衡だということもあるのかもしれませんが、私自身はその20%の枠に入って、自分の思い通りの人生を全うしたいものだと切に思いました。本著は、効率・能率を上げるにも最適なアドバイスが描かれていますが、考え方・発想、そして現在の社会の事実にもハッと気づかされる内容なので、ぜひ一読してみることをオススメします。

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⑱美を求める心(考えるヒント)  小林秀雄[著]  文春文庫

Hinto3 ★現代の私達は情報化社会の中に生きており、知識を身につけようと思えば、いくらでもその情報を得ることのできる環境にいます。しかし、この便利な社会の中で、私たちは物事=対象を真に捉えることの重要性を忘れかけているのではないでしょうか。

★著者は美を求める心とは物の美しい姿を求める心だとし、菫の花一つを見るにつけても、黙ってその花の美しさを感じることだとしています。そこには好奇心ではなく、花への愛情が存在しているが故に可能だと述べており、「菫の花か」と思った瞬間に目を閉じ、見るのを止めるのは、その花の美しさに迫ったことにはなりません。これは物事を捉える際に、名前や性質を知ることで知識を得た気分になり、分かったつもりになっていることへの危うさを示したものであり、学生の就職活動や仕事を捉える際にも同じことが言えると思います。

★つまり、業界や会社の知識を並べたてるだけで知った気分になり、それで満足していないだろうかということです。そういう見方しかしていない人は実は、「何故そこがよいのか」と問われれば言葉に詰まってしまう傾向にあり、明確に打ち出すことができません。本著にもあるように「絵や音楽についての様々な知識を持ち、様々な意見を吐ける人が必ずしも絵や音楽が分かった人とは限らない」というのと一緒です。

★著者の言葉を借りて言えば、愛情を持つこと=心からその対象を欲することが重要であり、むしろそう思える見方をすることが必要なのです。仕事も心から「やりたい」と欲することが、まずは大切なのではないでしょうか。イメージや憧れで、「この仕事は○○だ」と思い込んでいることも、菫の花を見て「菫か」と思い、そこから追求しないと一緒で、表面的な理解だけで、全てを捉えたように思うのは、危険です。美を求める心を知らない人は、真の喜びを知らない人だとも思います。私たちは情報や知識をすぐに得られる環境にある分、「美を求める心」を忘れかけてはいないだろうか、と気づかされ、現代の若者や社会に警鐘を鳴らしてくれている内容です。

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⑰福翁自伝  福沢諭吉[著]  旺文社

Hukuzawa ★「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。(略)されども今広くこの人 間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるものあり、 貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。・・・」この 誰もが知っている冒頭の文は、現在の一万円札に載っている福沢諭吉その人の言葉です。一 般的に、この言葉はただ単に「人間の平等」を説いたものであると誤解されがちですが、実 は当時の封建的身分制度の風習を打ち破る宣言であり、そこに人権の平等を主張し、個人の 独立を説いたのです。

★福沢諭吉といえば、高尚で真面目で偉大な人物だというイメージで捉えている人も多いかもしれませんが、実は大酒飲みで幼い頃はやんちゃでいたずらをしては、よく怒られていたというユニークな人です。本著は口述筆記なのですが、何と言っても口調が面白く、時には荒々しさも感じさせるほどの負けん気の強さも垣間見えます。

★私たちは現在、中学校までは義務教育であり、大半の人が大学まで進んで学問を行いますが、それがどんなに有難く、素晴らしいことなのか、今一度考えてみるとよいと思います。福沢諭吉が目指したもの、それは西洋に引けを取らず、世界中に遅れをとらない強国にすることでした。そのために個々人のレベルアップを図ることを目標に、人材育成に着手していき、日本の文明改進に尽力したのです。福沢諭吉には、ただ西洋の文明をまねすればよい、という発想はなく、それをもとにどのように取り入れ、日本に適応させていけばよいか、そこまで考えていたと思います。

★福沢諭吉に学ぶべき箇所は、その当時の時代が何を欲しているのかということを常に考えていた故の行動をしていた点です。そのため、蘭学から英学への大胆な方向転換、授業料の制定など、当時の人々にとっては理解しがたいものも、見事にやってのけ実際に成果を表すことで、人々の指針となりました。福沢諭吉はまさに、自ら「独立自尊」の精神を実行し、自分の身をもって教え、常に学ぶということを惜しまず、好み、自らそのチャンスを得、自分を高めていくといった姿勢は、現在の私たちも多いに学びとるべき箇所です。

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⑯日本そして日本人  渡部昇一[著]  祥伝社 

Nihon_1 ★みなさんは、自分が日本人であることをどう思いますか?自分のルーツを知りたいと思った ことがあるでしょうか。人類を「農耕型」と「騎馬型」の二つに分けることで、発想や組織のあり方、リーダーシップ、など日本人の性質に迫った本著は、そんな「日本人の日本人たる所以」が見事に解明できる内容となっています。

★いわゆる「農耕型国家」とされる日本人は、土地への執着心の強さから始まり、それが「和」の人間関係を生み出し、リーダーには実力よりも徳を重んじる「徳治主義」的性質を求められます。その根本には、隣人が変わらないという「安心感と定住」の意識が強いことから発していますが、これは同時に「嫉妬」を生み出すにも十分な状態であることも言えます。

★私達も実は、この方式に見事に当てはまっているなと感じますし、組織の「和」の尊重は、現在の学校でも、友達でも、会社でも、家族でも、社会でも重んじられ、根本的に日本人の中に流れている共通した性質であることは間違いないでしょう。

★またこの、「嫉妬」の力学とされるものは、組織の「和」を乱すような行為を為されたときに起こるもので、そこには随時、潰れない組織である為の農耕型原理が働いているからと著者は指摘しています。つまり、個人の能力も周囲の和を尊重しなければ、「嫉妬」を引き起こし、排除されかねないのです。そのため、騎馬型社会では誇示すべきことも、農耕型社会では隠すべきことであり、まさに「能ある鷹は爪を隠す」状態が起こります。

★このことからも日本人がなぜ「謙遜」をするのか、由来が分かってくるようではありますが、こういう風に見ていくとあまりよくないイメージを抱くかもしれません。しかしこれは全て、人々が安心と安泰を図るための組織が「存続し続ける」には有効で必然的なことであり、騎馬型社会のような実力主義ではないからこそ、徳川幕府時代のように長い間一つの政権で保ち続けることができたのです。

★また、今だ長子相続を重んじる背景や、いかにして日本がこれまでの経済力を築き、発展してきたか、という謎も一挙に解けます。本著は神話時代にまで遡り、現代に通ずる日本人の性質をその行動原理をもとに、見事に解き明かしているので、自分の性質や日本人の思考傾向などが明らかになること間違いなしです。さらには、組織の人間の心理や行動特性なども知ることができ、これからの組織作りにも一つ、生かしていけそうだと感じています。

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⑮ホイラーの法則  E.ホイラー/[著]  ビジネス社

Hoira ★1971年に初版が発行された本著。ホイラーとは、一流の経営コンサルタントであり、 一流の販売コンサルタントでもあります。彼が発見した「ホイラーの法則」とはセールスの 古典として、長く人々から愛されているものでありますが、現在読んでも学ぶことが多く、 読まないと損だと思えるくらいの内容です。

★恐らく「営業」と聞けば、「ものを売ること、買ってもらうこと」を目的とすることだと思いますが、それはただの手段に過ぎず、本当に売るべきものは「その商品を買うことで、お客さんにどんな幸運がもたらされるのか」ということです。それが、ホイラーのいう「ステーキを売るな―― シズルを売れ」ということですが、これには気づくようで、なかなか気づくことができず、簡単なことのようで簡単ではない、すごく奥深い発見です。

★私たちは、商品を売ることに限らず、「相手に何かしてほしい」という思いを達成しようとする時、つい自分の要望や思いばかりをぶつけてしまいます。それはきっと、「○○をして欲しい」という自分の要求しか頭にないからだと思いますが、これを「相手」に置き換える努力をするだけで、状況は劇的に変化します。そして面白いことに、自分が言いたいと思うことより、相手が聞きたいと思うことのほうをより多く考えることが、本当に自分が欲しいと思っていた反応をもたらす・・・「えっ?」と思うかもしれませんが、その実例は本著の中に数多く載せてあり、証明されてあります。

★ここには終始、トークの話題が載せてありますが、その基本には「関わる相手の気持ちを良くする」というまさにコミュニケーションの極意なるものが描かれています。そして忘れてはならないことが、お客様とトークしている時だけが、勝負ではないということです。ホイラーの法則には、相手を思いやる気持ちが根本にあると先に述べたように、「購入後も、この人だったら相談できそうだ」と思わせる信頼を築くことにあります。そこに、真のコミュニケーションというものが生まれるのでしょう。人間、誰しも自分のことで精一杯ですが、いかに人のことを思いやれるかで、どんなことも好転させることが出来るのだなと感じます。否、誰もが自分のことで精一杯だからこそ、人のことを思いやれる人が重宝されるのでしょう。

★本著は、「営業」を身につけたいと思う人には最適な著ですし、自分の人生やあり方を見つめなおすにも、最適な著だと思います。いわゆる自己啓発と呼ばれるものではなく、こういうビジネス書から自分を省みるのも、案外面白いです。

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⑭教育 (常識について)  小林秀雄/[著]  角川文庫

Jhideo_2 ★わずか1ページ半の文章の中、こうも青少年の性質を見事に解き、明確に示している著 者のすごさに大変驚きました。一言で言えば、「なんでこんなに、分かっているんだろう」と いうのが率直な感想です。人間誰しも青年期というのは経験するわけですが、年をとるにつれ て段々そのときの状況や思いも忘れてしまいます。私は仕事がら学生にも毎日会いますが、一 方では学生を相手にしたビジネスを行っている人や企業の人にも会います。そこでは、「学生 のことを知りたい」という気持ちはやまやまなのですが、結局年の差を理由に「学生の気持ち は、自分たちじゃ分からない」という結論に落ち着き、的確な策を打ち出せないというのが多 いようです。著者も「残念ながら、私たちは幼年時というものをどこへやろうかと置き忘れて、 いつの間にか大人になるようにできているらしい」といっています。

★「こどもはこどもと言われるのを嫌う、青年は未成年という言葉に深い嫌悪を抱いている、青年は観察されることを嫌う、観察されていると知るやすぐその仮面をかぶる。その点で青年ほど気難しく、誇り高いものはない。青年は困難なものと闘うのが最も好きだ」――だからこそ、青年の 理想の火を感じ、青年の向上心を大人がまっすぐに目指し近づく時に、青年は一番正直に自分を表わす……..見事な洞察力だと感服しました。 

★10年の教師生活の中で、それだけは教わったという風に言っていますが、そこには著者が真剣に、「一人の大人」だという同等の意識で若者と接してきたからこそ、得られたものでないだろうかと思います。

★青年の向上心や理想を受け止め、そこにアプローチしていくにはまず、その青年の可能性や将来を見つめること、そこを信じて接することが大事だと思いますし、青年自身も「今の自分で判断されたくない、評価されたくない」という思いが強いのではないでしょうか。私自身もまだ未熟な若者にすぎないのかもしれませんが、自分が若者に抱いている思いや傾向を、この著者は的確に、そして見事なまでにシンプルに描いていることに大変共鳴しました。この著は、これから教育者を目指す人にも十分なよいきっかけを与えてくれるでしょうし、今現在子供たちとの接し方に悩んでいる人がいれば、その解決の糸口をつかめるヒントになるのでは、と思います。

★この本文は「常識について」の中に収録されているものですが、他のエッセイもさほど長くはありません。しかも、タイトルも「文化について」「詩について」「自由」「感想」「常識」・・・など、抽象的で幅広いものですが、そこに書いてあるものは大変深く、表現も研ぎ澄まされており、一度読んだだけでは悔しいことに、その真髄は容易には分かりません。しかし「スルメイカ」のように、読めば読むほど少しずついろんなヒントを掴めるような内容です。

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⑬読書について (常識について)  小林秀雄/[著]  角川文庫

Jhideo_1 ★趣味は?と聞かれて、「読書」と答える人は多く、特に世代間の差があるわけでもないよう に感じますが、果たして人々は、「読書」というものをどこまで深く捉えているのでしょうか 。「文は人なり」それは、文は目の前にあり、人は奥の方にいる、という意味だ――著者の小 林秀雄さんは、「書物が単なる書物に見えるのではなく、それを書いた人間に見えてくるのに は、相当な時間と努力とを必要とするとし、本当にその作家に迫っていけば、どんなにいろ いろな事を試み、いろいろなことを考えていたかが分かる」としています。私たちは、「読書をする」と一口に言っても、そこには各個人で様々な動機付けを持っているように思います。「書物の数だけ思想があり、思想の数だけ人間が居るという、在るがままの世間の姿だけを信ずれば足りるのだ」

★よく人々は、本や映画の世界に浸ることで、「違う自分を体験できる」との感想を口にしますが、それは著者によれば、「自ら行動することによって、我を忘れる、言い代えれば、自分になりきることによって我を忘れる、という正常な生き方から現代はいよいよ遠ざかっていく」ということであり、自分を忘れるためには他人になった気になりさえすればよく、外からの刺激に屈従するのが一番効果があるという心理傾向は、健全な傾向とは言いがたい、としています。確かに、私たちは心理の世界をさまざな妄念で充たすことで、我を忘れたつもりになり、それが一種のストレス解消になるということも現代社会では言われていますが、そこには現代人の都合のよい錯覚があるにすぎないように思います。

★そのように考えれば、私たちの読書の仕方も実は自分の都合のよいようにしか、読めておらず、それで分かった気になっているとしたら、危ういのではないでしょうか。文章は、一人の作家の壮大な人生や思想、経験、苦悩、から生み出されたものであり、それを読むということは、一人の人間に迫るということであると考えます。こうして、書評を書いている私自身も読みが甘く、本当に言わんとするところがまだよく分かっていないことが多々ありますが、それでも少しでもその作者にその文に迫ろうとすることが大事であり、同時に自分の状態や知識、思考を改めて気づかせてくれる、そんな読書をしていきたいと思っています。

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⑫日本企業・存亡の条件 ~迫り来る危機に対応せよ!~  坂本藤良[著]  PHP文庫 

Sonbou_2 ★本書は、1982年に出版されたもので、第一章で日本企業というものが、想像しているほど 安定しているものではないことを明らかにし、第二章では日本企業を襲うと思われる外的危 機の五大要因を取り上げ、第三章では、「日本的経営」と呼ばれるものがこれからの危機に 十分対応できるかどうかという観点からその歴史的役割を考察し、第四章では世界各国の企 業動向を、第五章では著者により「日本企業の構造改革試案」を打ち出す、という内容のも のです。

★なかでも、「日本的経営」とされている終身雇用制と年功システムの確立要因を明治期の日本から考察している点が非常に面白かったです。現在、企業は終身雇用と年功序列から成果主義へと移行し、またその必要性が叫ばれていますが、それも終身雇用と年功序列制度が今後の日本企業の停滞や衰退を招くものとして捉えられているからだと思います。

★そして現在では、一般的に終身雇用と年功システムは社員の働く意欲を喚起しづらく、会社への依存率を高める要因が高いとされ、日本的経営の象徴ともされていた制度だと捉えている人が多いと思いますし、学生のみなさんでしたら、このような評価制度は「古い、ふさわしくない、安穏としている」というイメージが既についてしまっているかもしれませんね。そして、これからは二極化が進み、実力主義の時代だと身構えている人もいるでしょう。

★しかし実は、日本は以前も、実力主義と労働移動率が世界で最高水準だった時期がありました。それが明治期です。今でこそ終身雇用の崩壊から、「一つの会社に身を寄せる」人は減少し、転職を考えている人がほとんどのようで、現代特有のように思われがちですが、実は明治期こそ転職率が世界でも高く、日本の企業構造は、極めて弾力的で流動性にとむ、実力主義構造だったのです。そのため、社内の人事異動も激しく、成果を出せない者は容赦なくクビを切り、実力派の若手人材の登用も積極的でした。例えば、三井銀行の中上川彦次郎や三井物産の益田孝、また三井・三菱の歴史に残る死闘は、まさに当時の状況を如実に表わしています。

★しかし、こうした驚くべき労働移動率の激しさが原因で、年功序列・終身雇用・温情主義の「年功システム」が確立されていったのです。つまり企業は労働力、特に熟練労働力の確保に苦慮し、定着率を高めるために考案されたのが年々昇給させるシステムでした。そして、それが現在「初任給」と呼ばれる新卒一律の給料制度を確立するきっかけとなったのです。(「なぜ、新卒だからといって初任給が一律でなければならないのか不思議だ」という疑問を抱いていた私は、明確な回答の一つをもらったようで、大変感激しました)

★このように、明治期には実力主義を、後に終身雇用・年功序列・温情主義の形態をとってきた日本の企業構造は、現在また大きく変化しようとしつつあります。一概に企業構造を「欧米的」「日本的」と分けることはナンセンスであり、歴史の一定段階に現れた変化に捉われることなく、対応していくことが必要だと感じました。(本書は、その後外国の企業構造の変化をもとに、日本の企業構造改革の行方へと続いています)

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⑪手造り文化の時代 (腐敗の時代)  渡部昇一/[著]  PHP文庫

Huhai_2 ★人は現在起こっている事象を改善したいとして、しばしば対策案を考えますが、それは 時として「違う結果をもたらした」ということはよくあります。ウィリアム・モリスはイギリスの産業革命がもたらした、厖大な数の年貧民階級とともに膨大な量の無趣味な工業生産物を憂い、それを生んだ資本主義体制に反発し、社会主義者連盟の指導者にまでなりました。しかしそれは、モリスの「美的な」ものを求めていた故に起こった心情でした。「余はいかにして社会主義者となりしか」という中で、「要約すれば、そのとき芸術への愛と実践と歴史の研究とに強いられて、私は文明の嫌悪者となったのである」と回想しています。

★しかしモリスは、職業人としては何よりもまずデザイナーであり、産業革命が生んだ醜悪なる生産物に反発すべく社会主義の理想として作り上げた建造物が、皮肉にも非常な人気を呼び、当時としては資本主義者もうらやむほどの大企業に成長し、商業的成功をしていたというから不思議です。その理由を著者は「彼は手づくりの仕事をする人間、つまりクラフツマンとしての仕事が立派な出来映えだったからである」としており、モリスの仕事に対する深い追求の姿勢が、結果的に富をもたらしたといえます。

★では、社会主義体制は、モリスの理想とすることに答えたかといえば、まさに逆の減少を起こし、新しい税制の下維持費を捻出できなくなった政府は、歴史的価値のある建造物を次々に壊さざるをえない状況になってしまいました。つまりモリスが、よきクラフツマンシップが保証され、美的によい品物が出来るためには、社会主義や共産主義がよいと信じたことが実現せず、全く裏目にでたというのが、歴史的真実となりました。

★そこには、クラフツマンとしての根本的条件である「自分の店」を持つことで、よりクラフツマンシップに情熱が入るという簡単な構図が浮かび上がり、その自分の暖簾を守る姿勢が、最高の仕事をもたらすということにあります。最近、手造りのもの、大量生産と反対のものを見直そうという風潮が出てきているそうで、確かに現在、職人の存続も危ぶまれていますが、その「手造りの思想」主張が、しばしば心情的に反体制思想に結びつき、それが左翼ラデカリズムになったモリスの二の舞を踏まないことが大切で、私達にその事実を見る目を、養ってくれる内容だと思います。

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2006年7月28日 (金)

⑩英語教育考 (腐敗の時代)  渡部昇一/[著]  PHP文庫

Huhai_1 ★「中・高・大、と10年近くも英語を勉強したにも関わらず、全く英語を話せないのは 学び方が悪い」そう思った人は、数多くいることでしょう。学校教育における英語の学習 法については、それぞれ一言物申したいと思う人がほとんどかもしれません。本文は昭和 49年、参院議員の平泉渉氏が「受験英語をなくし、本当に英語を学習したいと意欲のあ る学生だけに集中的に訓練をするべきだ」との英語教育法に一石投じた改革案をもとに、 著者の見解を述べたものです。(この二人は、当時英語教育大論争を繰り広げている)

★なぜ、日本の英語教育は会話重視ではなく、英文解釈・英文和訳・文法といった机上訓練ばかりを重視しているのか、聖徳太子のころまでさかのぼりながら日本の外国語学習法の意義を 説いた本文は、英語を潜在能力の開発の一つの手段として捉え、その過程における母国語との格闘が必要不可欠であるとしています。

★現在は、英語に対する関心がますます強くなっており、そこには「外国語を話せない日本人」というコンプレックスから一刻も早く脱却したいという思いがありありと感じられますが、私はこの本文を読んで、今一度「英語を学ぶ」ということは、個々人において何を意味するのかを、自ら問う必要があるのではないかと感じました。つまり、国際化と呼ばれる中で、猫も杓子も「英語」といっている状況にあるように思いますが、その「英語を話せる」ということで、何を求め、何が得られ、どうしていきたいのかという思いが果たして確立されてあるのだろうかと疑問に思うからです。

★著者が本文の中で「ルサンティン(恨み)」という言葉を使用していますが、まさに現代の日本人も外国語コンプレックスが強く、そのコンプレックスを打破したいという想いが「英語を話せる」ということのみに執着し、それだけで全てが解消すると勘違いしているのではないでしょうか。

★これは、就職活動をする学生が、内定をもらうことで、未来の自分も掴んだかのように錯覚してしまい「内定=ゴール」と目標を摩り替えてしまう心理に非常によく似ているなと思います。

★つまり、「英語を話せない」という現実が、学校における英語教育の無意味さを露呈しているかのように感じ、「無駄な勉強だった」と思い込むことで、さらに英語に対するイメージをマイナスにし、「早期からやる必要がある」と、時期を早めるか、やり方を変えるかに人々は解決策を求めるのですが、著者が述べているように古来から行われている外国語習得法の意義や成果にも目を向けてみると、決して現在の英語教育が悪いとは一概にはいえないのです。

★そこには、日本人の知性を啓かせる要素があり、日本人の潜在能力を開発するうえでは、申し分のないものとして捉えることができます。同時に母国語でもある日本語との格闘が、さらにその能力をより強固なものを形作るとの見解には、納得せざるおえない事実があります。

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⑨歴史を見る目 (腐敗の時代)  渡部昇一/[著]  PHP文庫

Huhai ★「人間は進化している」このいわゆる"進化論"は、誰もが疑いないかのように信じている ふしがありますが、実はそれが幻想にすぎないとしたら、みなさんはどう思いますか?よく「最近の若いものは・・・」という言葉を現在もよく耳にする人がいるでしょうが、なんと古代エジプトかどこかの遺跡にもそのような文句が刻まれていたということだから、驚きです。こ れは、単純に「同じことを感じていたなんて面白いね」と片付けられる問題ではなく、"進化論"のあり方を見つめなおすのに、分かりやすいエピソードだと思います。

★つまり、目の前にあることがどうも進化しているとは思えないのに進化論を信じているとなると、現象の解釈が大いに苦しく、自分が捉えている事実が正確に受け入れられなくなり、必然的に今と過去の事象を勝手に別物として自分の中で判断せざるおえなくなります。

★ここに、現実を正確に判断できない大きな落とし穴がある様に思います。著者は、進化論は生命の発生から人類の出現に至るまで、重要な点において全て科学的な裏づけがないと指摘し、その意味において進化論を哲学、またはイデオロギーとすることで、唯物論的世界観の合理化の努力であるとしています。

★私たちは普段の自分を考える時もそうですが、必ず自分は何らかの形で進歩しているはずだと思っているおり(誰しも常だと思いますが)、既に進化論的発想が自分自身身にしみていることが分かります。そのため、正確な現状を捉えにくい状態にあり、私たちが人間の問題を考えるときは、はっきり進化論を頭から追い出してから現実を見なければならず、進化論のものさしを使用せずに、歴史を鑑にすることが有効だとしています。

★そうすれば、歴史の教訓から事実と法則を学び取ることができ、今後起こる様々な事象にも冷静に対処できる姿勢が保てるのはないでしょうか。「歴史は前進ではなく、反復しているにすぎない」まさに、この言葉をもってして、これからの現実を見ていきたいものだと思いました。

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⑧モーツアルトとその時代 (新常識主義のすすめ)  渡部昇一/[著]  PHP文庫

Jyousiki_4 ★みなさんは、音楽を聞く際に「これは心地よい音楽だ」とか「この音楽はいつ聴いても美 しい」と感じることはありますか?やはり「心地よい音楽」といわれると、すぐに思い浮かぶのはクラシックではないでしょうか。胎教に良いとされたり、リラックス効果があるとされたり・・・その効果は様々だと思いますが、「どんな時に聴いても良い」とされるものは、実はモーツアルトの音楽であるとここでは述べられています。なぜなら、モーツアルトの音楽を生んだ時代は、宗教的情熱や情熱的正義を理性で抑制した時期が約150年間続き、この時代こそが西欧が最も西欧らしく、しかも人類史上ほとんど例を見ない美事な文化を作り出したとされるからです。

★つまり、モーツアルトの音楽はまさにこの時期に生じたものであり、この期間以外には生じ得なかったものなのです。この時代とは、三十年戦争が終わってから、フランス革命が始まるまでの150年間のことを指しますが、国際法の理念が自然発生的に生まれ、その理念が何の強制もなしにほぼ完全に守られた時代というのは、あまり過去を見ても例がないとされています。そのような理性的な人間の規範というものを重んじていた当時の人々にとって、音楽というのは客観的に美しいものでなければならなかったというのがあり、だからこそ音楽家は主観=自分の感興を発表するだけでは、人々の耳を喜ばすことができず、モーツアルトのように、客観的に美しい=いつ聴いてもよいという音楽が必然的に求められていたというわけです。

★著者の身近な例として、夕食時に子供たちがベートーウ"ェンの第9を流すと、母親が怒りっぽくなるということを挙げていますが、これは、ベートーウ"ェンの「我」よく言えば、個性が出すぎて、聴き手は専心して聴かない限り、何か他のことをやっているときには耳障りになってしまうという特徴があるからだとしています。「音楽こそ、情念の表現そのものというのが通念であるけれども、その音楽が情念否定の時代に生まれた時、人類の音楽至上に比類ない大音楽家の時代が作り上げられたのである」それが、モーツアルトの音楽だったのであり、モーツアルトの死と共に西欧は、過酷な運命を辿っていくことになるのです。

★このように、当時の時代背景から音楽を楽しむのもまた、面白いと思わせるものでありますが、同時に現在の若者の音楽の好みが何であるかによっても、よき時代の好尚が分かるかどうかの判断材料にもなり、人々の心も反映しているかのように感じられる点は非常に興味深いものがありますね。

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⑦日米ファカルティ雑感 (新常識主義のすすめ)  渡部昇一/[著]  PHP文庫 

Jyousiki_3 ★英語では教員のことを「ファカルティ」といい、これはつまり「タレント=能力」を意 味しているといいます。上智大学文学部教授である著者は、アメリカでも教員として教壇 に立った経験から、日米の大学教授=ファカルティのあり方を比較し、日本の大学事情に 言及しています。

★アメリカの大学のファカルティは、年齢やメンツに関わることなく、タレントとしての能力があれば、給料も地位も日本のように年功で上ることはなく、どんどん自分の力で開花させることができます。そのため、学位論文に関しても日本では一人の学者の学問生活の総決算=ライフワークとして考えているのに反し、アメリカではこれから学者として、生活していく人の一度は通過すべき煉獄なのであり、ここを乗り越えることで初めて一人前のタレント仲間に入れるものと位置づけています。そのため、大学の教員として教壇に立ちながらも、自らのタレント性を磨くために、数年間試験やレポート、論文に時を過ごし、学問の客観性を高め、学者としてのモビリティを高めるといいます。

★このように、日米の大学教員のあり方にも大きな違いがあるわけですが、著者は、教員の流動性や教員の本職である学問と授業に専念するためには、アメリカのような形が好ましいとしており、日本の大学では教授会のために様々な雑務に追われ、本来ならば、科長レベルで済む話も全員が集まって討議していることはいかがなものかとしています。

★これらを見てくると、いわゆる「すみわけ」のような形をとることが好ましいのでしょう。これで、大学の授業内容や質のレベルが上がるのであれば、ぜひ検討してみて欲しい内容であると、関心を持ちました。

★現在の大学事情は、学生の側に学ぶ意欲や姿勢に問題ありとする風潮が強く、学問のレベルが低下していることも学生に非があるとされることが多いですが、一つは大学教授のあり方にも問題があると感じます。講義の無断欠席や、長期休講、レジュメをただ読み進めていくだけの授業内容、「教える」という態度すら感じられない授業・・・など、果たして、この人たちは何を伝えようとしているのだろうと、疑問に思うことも多々あります。

★著者が述べているように、現在の日本の大学が、教員の学問の自由を阻んでいるような状態にあるのなら、少しずつでも改善していく必要があると思いますし、また、教員自体も大学に固定化し、教授会の権限に捉われその活動に力を入れていくという、教員としての本来あるべき姿と違うのであれば、自覚し自らも改善に従事してほしいと思います。大学教員というのは、学者としてのファカルティ、つまりタレントで奉職しているのであり、自らの学問に対する意欲や謙虚な姿勢が、学生たちの指針や学びになることもぜひ、忘れてはならないことだと思うからです。

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⑥不確実性時代の哲学 (新常識主義のすすめ)  渡部昇一/[著]  PHP文庫

Jyousiki_2 ★「人間の歴史は常に不確実性の時代だ」ということを、理論的にも実際にも見事に示して いたデビット・ヒュームの再評価が今、進んでいる。彼が残した「英国史」の価値も、徐々 に見直され、人々はもう一度ヒュームの残した偉大な功績を正しく理解しようとし始めたの です。 ★ヒュームの史観の中心は、「習慣」であり、人間は慣習に導かれて事を処理していくもので、しかもその時々で方向を変える流動的なものだとしています。つまり、人間の理性によって社会契約を結んで歴史を作っていくものではないので、予測も予断もなかなかできないのです。ここには、ヒュームと相反する思想を述べたフランスのルソーの存在がでてきますが、経済学者のハイエクは以下のようなことを述べています。 ★「ルソーの生きていたフランスには政治的自由がなかったから、頭の中で自由を考え、民主主義を捉えたのだが、ヒュームのイギリスにおいては、既に政治上の自由が相当に実存していたので、自由の問題を具体的に考えることができたのだ」これは、自由が既にあるところはそれを守り、広げることを考えうるのに対し、まだ政治的自由を知らないところでは、頭の中で空想しただけの民主主義を革命の形で敢行し、恐怖政治に終わるというフランス革命以来のパターンを示しています。 ★もう一つ、ヒュームが個人の自由を守るために必要としたこと、それは「正義」の配慮がなされているということです。ヒュームは人間の知的構成力とその妥当性には常に懐疑的であったことから、人間によって発見される法のわく内に法規を構成するべきだとしています。これは、君主を含む全ての人間の上にある法の存在を知り、その法の下での自由という考え方に基づいているからです。そのためには、「財の所有には安定性がなければならない」「この安定的な財産が移動する時には、その当事者の同意がなければならない」「契約の履行は法によって強制されなければならない」以上3つが保証されなければ、個人の人間が平和に、自由に生きることができないとしています。★これが正義の根源であるとしたヒュームの自伝の中には、自らの財産などについても隠すことなく公に述べていたとされていますが、このような考えを持っていたことが根本にあったことから、ヒュームにとって記述することは何の違和感もなかったことが分かります。ただ当時の人には哲学者が、そういうことまでも記述をするのには、理解しがたいものがあり、ヒュームの正確な理解を阻めたものの原因の一つにもなりました。 ★人間の歴史は不確実性の時代だということを示したヒュームの、「人知の限界」を受け止め、歴史とは誰も予測できないことの連続だとし、だからこそ事の本質に従って考えていくことで、現在の不確実性の時代が常態であることを捉えることができるとする考えは、現在の共産主義・社会主義国家と、資本主義国家の状態を冷静に見ることができる重要な視点だと思います。

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⑤新常識主義のすすめ (新常識主義のすすめ)  渡部昇一/[著]  PHP文庫

Jyousiki_1 ★「常識がないよね」「あれは常識だろう」「常識的に考えて」・・・私達は日常的に 「常識」という言葉を頻繁に使用していますが、いささか否定を込めた発言の時が多い ように感じます。

★では、この「常識」という言葉とは一体なんなのか。そこに、著者は迫っているわけですが、現在の日本で認識されている「常人でも持っているような知識」という意味ではなく、「常人でも持っている識別力」という意味での「常識」として捉えることを定義しています。そこに「知識」という意味はもともと「センス」という語源の中から考えてもないことから、「知識」の意味を含ませてはいけないとしており、これには誰もが「なるほど」と感じるところではないでしょうか。

★著者も、教育を満足に受けていない伯母の戦争に対する状況判断は正しいものがあったが、逆に本をよく読める人ほど、戦局に対する判断は甘かったという実体験から、不思議なことであると常々思っていたそうですが、それは西洋の哲学史を学ぶことで、一つのヒントを得ます。つまり、「捨象」という概念が、知識と知恵の乖離現象をもたらしているのではないか、ということであり、その捨象能力が物事の適切な判断の有無を左右するというものです。

★このことから一般的に「常識」というものは、万人に共通する概念として、表面上は捉えられていますが、なぜ巷ではよく「常識が違う」という言葉が出てくるかの解明も出来ると思います。「捨象」という概念から考えれば、知識がある人はかえってその知力をもとにして現実を素直に受け止めることをせず、恣意的に物事を捨象していることから、適切な判断を下すことができず、ますます悪化の一途をたどることになるのです。では、知識のあるなしが問題なのかといえばそうではなく、いかに目前にある現実を直視できるかどうかということだと思います。つまり、捨象するということは、自分の頭の中で恣意的に行うことができますが、現実ではなに一つとしてなくなってはいないことがポイントです。

★著者は社会主義理論を一つ例としてあげていますが、社会主義理論はその出発点において、階級闘争だけを重視して、国家や私有欲などを捨象したのではないかとしており、国家がいらないとか、階級がない社会とか、所有欲のなくなった人間というのはいずれも重大なことを捨象して、出来上がったイデオロギーの中にのみ存在するが、現実はそういう捨象作用によって少しも変わらず、さらには悪質化しているとし、これは最もな指摘だと思いました。このように、「捨象」を一つの概念として判断していき、悪質的な結果を生み出している現代の狂気から逃れるためには、「重要なことを捨象しないで、バランスをとりながら現実を見つめること」であり、これからの私達に重要なヒントを与えてくれる内容です。

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④文科の時代 (文科の時代)  渡部昇一/[著]  PHP文庫 

Bunka_3 ★文学部と理工学部、医学部。どれが一番役に立つ学問かと問われれば、恐らく大半の人が 医学部・理工学部を口にし、文学部の名が出てくることはほぼないでしょう。何故かと問え ば、「そりゃ、文学という精神世界に浸り、何の生産性もない文学部に比べれば、人の命を 助け、これから日々進歩していく医学は、役に立つに違いない」という答えが返ってきそう ですね。ではその、医学部・理工学部が目指す技術の進歩が、現在頭打ちの状態にあり、技 術文明としてはかげりが見え始め、自然科学にも先が見えてきた、という事実が分かったと したら、どうでしょうか。

★アメリカの超音速旅客機の開発計画中止、アポロ計画の終了、 イギリス・フランスのコンコルド停滞、造船の最大規模の固定・・・巨大技術は今や重宝さ れることはなく、かえって公害問題や環境問題の原因になるものとして、人々から遠ざけら れていることが事実です。また、医学に関しても医学の進歩を目指して人間がどんな形であ れ、生きていくというよりも、現在の最高の医療技術でよい医者・よい看護婦・よい病院で 手厚い看護を受けることを、患者は望んでいるのではないかと著者は最もな指摘をしていま す。

★現代で最高の物理学者ハイゼンベルクの「もう知らないことはほとんど残っていない 」という言葉もまさに、自然科学の限界が見えてきたことを象徴しているかのようです。そ んな中、ガガーリンとシェパードの「地球は一種の宇宙船のように見えた」という言葉は、 そんな船内を保つために、拡散や汚染を断固として拒否し、それがつまりは科学の進歩停滞 、地理的拡大終止、生産に歯止めをかける時代の幕開けとなり、まさに私達はその時代に生 きなければならない、と著者は説いています。

★では、そんな時代をどう生きれば良いのか・・・そこに日本の「外的発展をやめて内的な充実を目指した時代(鎖国)」の在り方が、救いの手を差し伸べてくれる要素となるのです。それは、人間の知的エネルギーを詩作などの文科的なことに使うことで、人間本来の創造への意欲の満足と内なる充実を与え、まさに詩作に耽っている間は長期な平和と高度な文化が確立され、そこには美や愛が存在し、個々人の感性は磨かれ、情感は深くなっていき、互いを認め合う状態にあったからです。このような文科的精神は、人々に共通した意識をもたらし、まさに「宇宙船地球号」内を安泰にすることを可能にします。

★また、日本の公害防止運動が市民運動として一挙に広がったのは「田子の浦ゆ うちいでて見ればま白にぞ ふじの高嶺に雪は降りける」という和歌が、万葉の時代から現在まで読み継がれてきたから反応できたとの事例は、まさに文科的精神は過去と現在、未来を繋ぎ、また共有することで同じ郷土意識や民族意識を芽生えさせ、ひいては「宇宙船地球号」の一員としての意識をも共通して芽生えさせることができ、私たちが住んでいるこの「地球」の安泰を保つことができるのではないかと思います。

★「文学部は無用の学問」とする現在の風潮や一般的な認識は、まさに自らの郷土意識や民族意識を否定するも一緒で、愚かな考え方ではないしょうか。先代の文科的精神を基にして、知識的・領土的拡大不能の時代を過ごした先駆的事例は、これから改めて日本のみならず、世界規模で見つめられる日が来るに違いないと感じた文章です。

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③新聞の向上? (文科の時代)  渡部昇一/[著]  PHP文庫

Bunka_2 ★新聞に目を通すのは、日々のニュースを把握するためだと思いますが、その捉え方も読む人 によって様々でしょう。経営者の方ならビジネスチャンスのヒントを得たり、証券会社のサラ リーマンなら株価に関連してくる記事、学生なら社会の動きを知るために・・・など、読者に とって同じ内容でも、捉え方は違います。

★これは、新聞のあり方が「ニュースの事実を由来するところを説明し、解釈して、判断は読者に任せる」というスタンスをとっているからであり、これは楚人冠がいう「文明社会の新聞」ということになります。

★本文は、杉村楚人冠の『最近新聞学』という著書をもとに、新聞のあり方を見つめなおし、問いたものです。今でこそ、新聞といえば「ニュース」ということを思い浮かべるでしょうが、そもそも新聞は、ニュースよりも政治論の議論の場としての公表機関だと捉えられていました。しかし、それもやがてはニュース第一主義というものになったわけですが、通信社が発達し、ニュース自体を手に入れることに躍起にならなくてよくなった記者は、そのニュースを収集する時に本物かどうかを見極めるため、「疑念から始まって信念で結ぶことを重要視せねばならなくなった」ということを、楚人冠は説いています。また、ニュースを扱う人間は自己の利害や特定の人物との親疎の関係によって、ニュースにするか否かを判断するべきではないとしていますが、これとは実に、逆のことをしているのが、現状の新聞ではないかということを著者は問題視しています。

★このように、新聞のあり方が今だ、楚人冠がいうような状況にないということは、新聞の真のあり方としてはまだ、満足がいくものではないという証拠であり、改善の余地が残されています。

★これには、情報(ニュース)というものが、受け取り手によって変化し、加工されていく中でその一つに、記者としてのあり方があるわけですが、現在の学生の情報の採り方にも警鐘を鳴らしてくれる文章ではないかと思います。情報環境としては、現在恵まれた環境にいる学生は、すぐに様々な情報を得ることができる立場にいるわけですが、楚人冠が言っているように、「初めて新聞記者になった者は、とかく人の談に迷わされやすいもので、少し変わったことを聞けば、すぐにこれを事実のように早合点してしまう」だからこそ、楚人冠は「疑念から始まって信念で結ぶ」ことを大事にしており、これは学生が就職活動をしている際によく起こる現象と似ているかもしれませんね。

★初めて就職活動というものに向き合った時に、それに関連する情報は何でも事実のように感じられ、あれもこれもとなってしまって、その信憑性も分からないまま、情報に翻弄される学生も少なくないのではないでしょうか。そうではなく、「これは本当にそうなのか」と疑念を抱くことで、情報の判断基準を養っていき、真に自分に必要な情報を手に入れることが出来る。新聞のあり方を見つめることで、情報の扱い方を見ることができ、また同時に自分の情報の捉え方にも気づかせてくれるそんな一冊です。

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┃┃②労働について (文科の時代)  渡部昇一/[著]  PHP文庫  

Bunka ★「働く気力がない、意欲が湧かない、・・・働きたくない」現在、ニートやフリーターの増加は 日本でも深刻な問題と化していますが、学生時代からその『予備軍』と言われる人たちもいます。 「できればこのまま、学生のままでいたい」「就職活動しても、働くことに魅力を感じない」。 このような学生(若者)は、「働く」=「労働」というものを、手や頭を垂れてぐったりした感じ を受ける、キツイもの・嫌なものとしてイメージしているのかもしれません。だからこそ、「でき ればそこから逃れたい」、「やらなくて良いなら、やりたくない」という思いに支配され、なん とかして自らの人生に「休暇」をとることを望むのでしょう。

★このように労働が必要悪であるとい う捉え方は18世紀に芽生え、「労働」という単語は、アダム・スミスの『国富論』において、 「社会における物質的必要を満たすために振り向けられる肉体的活動」という意味で、最初に用い られました。また、語源については、日本のみならず西欧においても、「ぐったり」や 「ぶら下げる」という意味を持つ暗いイメージとして捉えられていることにも、本著では言及して あります。

★つまり、このような考え方の下では、週一日の休みよりは二日の休みが良く、「休みは 多ければ多いほどよい」ということを正当化して訴える傾向にありますが、それはどうも違うので はないか、というのが著者の主張です。

★「労働は生活の質を獲るだけの手段として切り売りされた時に、人を最も辛くする」という言葉はまさにその通りで、そこに「自分が働くことの意義」を感じていない、つまり帰属意識の有無が労働の疲労に大きく関係することは、皆さん自身もアルバイト等で経験したことがあるのではないでしょうか。

★では、「労働」とは一体なんなのか。著者は、19世紀から20世紀にかけて西欧の有閑階級の人々が精神的にも、肉体的にも不幸である原因が、「労働しないことに起因する」ことを洞察したカール・ヒルティから、労働の必要性を説き、聖ベネディクトからは、「祈りかつ働け」という言葉を下に、労働とは「人間らしさ」の中に本質的に組み込まれているものだと説いています。

★つまり人間、精神的自由や安定だけを求めて自分の好きなことばかりやっていても、労働だと感じられるものを意識的に、意志的にやり続けないと、そのうち虚しさや厭世的な感情が襲ってきて、精神の荒廃を招く、というもので、これは実に鋭い指摘だと思います。

★私たちは(特に若者に顕著だと思いますが)、アイデンティティの確立を求めながらも、冷静に考えればそれを実際に感じるのは周囲との関わりあいの中からです。「労働」とは、まさに周囲との関わりあいなくしては、成り立たないものであり、同時に自らの労働が組織や共同体存続の一つとして貢献していることを感じることで、アイデンティティや、「生きる」ということを実感するのではないでしょうか。そのように考えると、労働は「必要悪」ではなく、私達人間にとって「必要」であり、今一度労働に対する定義を見つめなおすべきだと思います。

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2006年7月27日 (木)

①氷川清話  勝海舟/[著] 勝部真長/編 角川書店

Hikawa2_1 本書は、勝海舟晩年の語録で、海舟の口調のまま書きとめられたものである。 内容は自己の経験から人物、政治、経済、外交など多岐に渡って言及してあり、その独特の語り口調は、 読んでいるだけでまるで海舟が傍にいるかの様に感じられ、なんとも面白い。

海舟の青年時代のエピソードを一つ紹介。 22、3歳で蘭学の勉強を始めた海舟は、ある時本屋でオランダの兵書「ヅーフ・ハルマ」を見つけた。 どうしても欲しい海舟は金策をして、買いにいくが既に売れた後。買い主を訪ね、譲って欲しいと願い 出るが、無理。では、貸して欲しいと願い出ても無理。そうしてようやく承諾を得たのは、買い主が寝ている 間に読むのなら良いというもの。しかも、貴重な本の為、門外不出という。

海舟は、毎晩1里半の道を通い 続けて、なんと全58巻を半年で写してしまった。しかも、残り半年でもう1部写したというから、驚き である。現代であれば、すぐにコピーが出来る時代。海舟の根気強さや、気力、物事への執着心は現代の 私達の生き方、学ぶ姿勢に喝を入れられ、その身を正される思いだ。 特に、社会的背景から人間としてのあり方を語っている箇所は、現代でも共感できるところが多分にあり 思わず、苦笑してしまうほどである。

例えば、「今のやつらは柔弱でいけない。冬が来ればやれ避寒だとか 、夏が来ればやれ避暑だとか騒ぎまわるが、まだ若いのに贅沢すぎるよ。そんな意気地なしがなんで 国事改良などが出来るか。昔の人は根気が強くて、確かであった。」人間晩年になると、共通して 昔のことをよく思うものなのかもしれないが、現代の私達にはさらに耳が痛い内容だ。

また、人材について も「世間ではよく西郷がいたら、大久保がいたらというが、あれはひっきょう自分の責任を逃れるための 口実だ。人をあてにしてはだめだから、自分で西郷や大久保の代わりをやれば良いではないか。」これも 今となんら変わりはない。思わず、『すべての歴史は現代史だ』との言葉を実感してしまうほどである。 と、同時に自信たっぷりの口調から繰り出される勝海舟の見識の深さや洞察力に、感服させられる一冊。

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