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2006年8月30日 (水)

外国語学習。

顧問の小島さんからのメルマガ「内定への一言」より、FUN韓国語塾④期のお知らせがしてあったので、私も少し「外国語=韓国語」について思っていることを述べたいと思います。

「外国語を話せるようになりたい」と思うのは、結構多くの人が一度は抱く思いかもしれませんね。ですが、なかなか自分で学ぶスタイルが定着せずに途中で断念・・・という人もまた数知れず。私も英語なんて特にそうでしたが、一年前FUNをきっかけに何故か見たことも聞いたこともない「韓国語」を学ぶことに。(こういうと、無理やりのように思うかもしれませんが、”いい機会だ”と自らですよ笑)

初めは文字だか記号だか分からないし、韓国にさほど興味もなかった私だったので、すごく軽い気持ちで受けました。・・・が、「なんと、簡単な言語だろう」とすぐに『韓国語』自体が面白く、目からウロコの連続。

「簡単?」本当に、仕組みが簡単なんです。

勿論、文字を読めるようになるには2、3日必要かもしれませんが、すぐに読めるようになります。というのも、行う韓国語塾の講義やオリジナルテキストが、「覚える」ではなく「分かる」という視点の下展開されているからです。私も、例えば単語や文法は「覚える」ものだと思っており、そのプロセスが苦痛だと思っていたのですが、全くそんな苦痛はありません。なぜなら、「この単語はこういう仕組みで出来ている」とか、「こういう由来がある」とか、「現地ではこのように使われている」、と頭に残る形で教えてくれるからです。ちなみに少しタネを明かせば、韓国語の文法が日本語と全く同じだというところもミソです。

なので、「自分にも分かる」という箇所が増えてくるので、先に進めば進むほどどんどん分かってきます。そうすれば、自ら率先して勉強するスタイルが確立されてくると思いますし、FUN韓国語塾では「K-POP」を協力なサポート役として、オリジナルテキスト化しているので、一人の時にもその協力なサポーターが力を発揮してくれるので心強い限りです。

みなさんも、いつの間にか歌詞やメロディーを覚えていたという経験があると思いますが、その効果が「K-POP」テキストにも含まれています。しかも、好きなアーティストを見つければさらに効率良く、韓国語に触れる機会が多くなります。ちなみに私は、テキスト収録の015Bというアーティストの歌が大変気に入り、同じ曲を2時間も3時間も聞き続けていました。(ある意味効率がいいのかどうかは分かりませんが・・・気に入ったものはエンドレスで流し続けても飽きないんですよね)

・・・とまあ、こんな感じで一年前から韓国語に触れているわけですが、つい先日終わった3期では受講者の補習なんかも講師の小島さんに変わって務めさせて頂き(そんな自分にも少々驚きですが)、より深く韓国語に触れた次第です。「韓国語塾」と聞けば、通常の語学授業なんかをイメージするかもしれませんが、全く違います。みんな和気あいあいとしながら必ずグループワークを取り入れ、質問も自由にできるので、楽しく&疑問も即解決、といった感じでしょうか(^^

もともとあった語学コンプレックスのようなものも「自分にも出来るんだ」と思えるようになることで、全く捉え方が変わってきますし、それと同時にどのように勉強していけばよいのか、いわゆる「発想法」のようなものも見出せるので、私個人としては機会があれば受講してみることをオススメします。

多分、意外なところで自分に自信が持てるようになるのではないでしょうか(^^

10月から開始する4期では、福岡女子大2年の永吉さんがサポートしていくようなので、彼女に詳しく聞いてみるのもいいかもしれませんね。(今K-POPの翻訳をしているそうだから、すごいです)

もし、興味がある方は見てみてください→韓国語塾案内

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2006年8月29日 (火)

FUNの学生。

「学生」といっても様々でしょうが、FUNの学生も大変個性があり、いろんなことに興味や関心を持って考えているので、話すだけでよい刺激を与えられますし、なんといっても自分の将来やあり方をしっかりと見つめている学生が多いと感じます。

よく、雑誌発刊や企業取材、ビジネス勉強会という活動から、「すごい学生の集まり」と思われ、「自分じゃ、ついていけない」と思って躊躇している人もいる様ですが、別にFUNは普通の学生の集まりだと思います。バカ話しもよくしますし。(部員から怒られるかな)

私自身も普通の学生でしたし、またFUNは文系学部が大半を占めているので、経済の仕組みにもあまり関わる機会が少なく、そういった方面の知識には疎い人も多いです。

ただ、そういう「学部や学科、学年」に関係なく、自分の将来を真剣に見つめ、そして仲間の応援をすることに喜びを感じ、積極的に行動しようという意思や心は大変強い人が多いですね。そういう意味で共通していると言えば、「向上心」だと思います。

きっと、入部の動機は違えどそれをどうにか形あるものにしたくて、FUNで一緒に活動していくのだと思いますし、入部してから数ヶ月経つとみるみるうちに表情が変わっていくのも大変頼もしく感じています。

それは、きっと最初は「自分のため」だと思って入ったものが、一生懸命活動に関わっていくことで「後輩や先輩、取材先の方」など周囲に目を向けて、人のために動いている自分がいるからだと思います。そして講義を受けたり、取材をすることで、さらに自分の好奇心が刺激され、自ら調べたり、本を読んだりしながら、それをまた活動に反映させる・・・そうやって次の行動に繋がるような動きをすることで、どんどん充実した日々を送っている部員はいつも楽しそうです。

私は一緒に同じ時間を過ごすなら、そういう気持ちを互いに共有していきたいと思っているので、もっともっと部員のみんなが活動しやすい環境作りをしていこうと考えています。

★FUNゼミでの部員★

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2006年8月26日 (土)

forFUN9月号!

今日は、forFUN9月号発刊日。

Forfun9 今回の特集は、『女性×仕事×家庭』ということで、育児休暇制度などはあるものの果たして、女性が働きやすい環境は整っているのか、という疑問から特集テーマに。

学生100人(男女)アンケートや、対談、企業取材など盛りだくさんのforFUN9月号は、来週福岡都市圏の13大学に設置されるので、ぜひご覧になってください(^^

forFUNは、発足以来毎月欠かさず出し続けていますが、企業取材のアポ取り~記事執筆、編集作業を全て学生の手で行っています。また、刷り上ってきた一冊一冊の折込・ホチキス留めと、製本作業まで関わってから、各大学に分担して配本しており、9月号で通巻35号となりました。

雑誌としてはまだまだ改善すべき点がたくさんありますが、それでも「前号よりも、良いものを」という気持ちで作成を行い、試行錯誤しながら一つ一つ取り組んでいます。

近いうちにこのforFUNが、大学生を始めとした読者の深い感動や考えるきっかけを作りだせる様にしていきたいですし、まさに「ニュースが記事になるのではなく、記事がニュースになる」ということをFUNの部員と共に実践していこうと思っています。

ぜひ、毎月のforFUNの成長ぶり=学生の成長を楽しみにしていてください(^^

もちろん、一緒に活動していけるともっといいですね!学生であれば大丈夫なので、ぜひあなたも気軽に見学に来てみてください(^0^ FUN・HP<http://forfun.zzkt.com>

ちなみに、今日の折込の様子です☆

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2006年8月25日 (金)

コトバ。

「言葉」って自分の思考を形にしてくれるものであり、普段なら言葉を発することは何不自由なく感じます。

でも、じゃあ自分が思っていること・感じたことを、いつも正確に言葉に表せるかといえば別。

例えば、自分が受けた衝撃を言葉に表そうとしても、「すごい」か「面白い」か「なるほど」しか言えなかったり…そのような思いをみなさんも感じたことありませんか。そういう時は大変もどかしい思いをして「自分では分かってるけど、相手には伝えられない」と解釈していますが、そんなことはありません。

実は大抵そういう場合、何をどう思ったか自分が「分かっていない」んだと思います。つまり、何をもってして衝撃を受けたか、そこには自分の経験や知識が相重なって、対象に敏感に反応したのでしょうが、本当に「反応した」だけ。

つまり、反応した知識や経験が、まだまだ自分の中に落とし込めていない証拠だと思います。

それなら、またその分野を勉強すればいいこと。そういう自分に出くわすことで、客観的に現状も図れます。

また、自分でなかなか言葉に出来ない時は、人の言葉を借りたりすることでその思考を表現したりしますが、同時にその言葉を言った人が誰もが知っている偉人であれば、説得力が一段と増します。時には、相手の反応をも変えることが出来るので、人物の言葉の威力なるものを感じます。

例えば、”ただの24歳の小娘である私”が、「尊敬している日本人は、上杉鷹山だ」と言っても、大抵の人は「ふ~ん、そう」としか思わないでしょうが、あの”ケネディ大統領”が「尊敬している日本人は、上杉鷹山だ」と言ったと知ったならば、「えっ?、そうなんだ!」とか「それって、どんな人?」と興味・関心を持つ人は多いことでしょう。同じ言葉でも、その発言者によって受け取り手の印象はかなり違います。何故ならその言葉の背景には、人物の功績や実績、また人生があることを知っているから、その言葉の重みを感じるんですよね。

自分が発言力ある人間になるかどうかは別として、少なくとも人の言葉を借りずに「自分の言葉」で、思いや考えを表現できるようになっていきたいですね。

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2006年8月24日 (木)

「分かる」ということ。

斉の桓公が、ある時本を読んでいると車大工の輪篇が「殿様が読んでいる本は何が書いてあるのか」と尋ねた。

すると、桓公は「昔の聖人の言葉だよ」と答えた。

「では、それは昔の人の抜け殻を読んでいるということではないですか」と輪篇は言った。

桓公は怒って、「私が読んでいるものを、お前があれこれ批評することはないぞ。今の発言に対して納得のいくことを言えればよいが、もし出来なければ無礼の罪で殺すがよいか」

すると、輪篇は臆することなくこう答えた。

「私は、私の仕事の上から申し上げたにすぎません。実は、私の作る車の輪は、木を一つ一つ組み合わせて作るのですが、その組み合わせを少し緩めると甘くなり、硬くするときつくなって入らない。この緩めならず、きつめならずの加減は、手で感じて心で悟る以外に方法がないもので、口ではとても言い表せません。

このコツは私の子供にも教えることはできません。子供も私から学ぶことはできないので、それぞれ自己の工夫によって知るほかありません。昔の人もこのコツを伝ええないで、コツと共に死んでいきました。これを考えてもらえば、殿様に古人の糟粕をお読みだと申した意味が理解していただけると思います」

参考:「荘子」の読み方/竹村健一:(『荘子』にある寓話の一つ)

「分かる」ってこと。
これは、安易に使えるものじゃないと思います。例えば、先の壮士の話し。きっと何人もの方が「その通りだな~」と感じたのではないでしょうか。そして、その瞬間壮士の言わんとしていることまで分かった気になっている…これは、実は怖い錯覚だって気付いてました?人って、「分かった」と思う瞬間瞬間がありますが、その中に「知らなかったことを知った時」と「知っている事柄と新たに知り得た事柄が結びついた時」。特に、私自身はこの2点において喜びを感じる傾向が強く、同時に「我、意を得たり」の様な錯覚に陥ってしまうことがありますが、全くそんなことはないということを知っておくことが必要だと最近よく感じます。

実は、人って自分で実体験して肌で感じたものしか、本当に落とし込めないんじゃないかということを思うようになってきました。だけどそんなこと言ってたら、人間として短い人生、恐ろしく限定されたものしか触れ得ないし、正直つまらないと思います。でも、だからこそ現在の自分の実体験や経験だけでは分かり得ないこと、思いつかないことを知るために、本を読んで、人に聞いて、学ぶのでしょう。

だけど、読んだだけじゃ、教えられて聞くだけじゃ、「分かる」ということはないんだと思います。よく「コツ」を教えて欲しいとか、言ったり思ったりするかもしれませんが、そもそもコツというのは先に挙げた「壮士」の話にもあるように、当人がいろいろ工夫してやってみて初めて体得できるものであり、よく考えてみればそれを口で説明するのは逆に容易なことじゃなさそうですよね。だから、例え言葉で聞くことができたとしても「こうすれば、こう出来るよ」と、いわゆる原理原則のようなことしかそこには表わせていないんだと思います。

よく日本では、職人や芸事の世界では古くから「技術や芸は教えられて覚えられるものではなく、見て盗むものだ」と言われていたというそうですが、考えるとなるほどなと思います。常に、そういう精神をもって物事に取り組んでいきたいですね。

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2006年8月22日 (火)

「○通」事件。

さて、FUNといえば”企業取材”。

その取材数は発足以来3年間で300社近くに上っており、今でこそ過去の実績のおかげで企業様から断られることも少なくなってきました。

ですが、発足当初はアポ取り自体が大変な作業だったことは、設立者の安田さんが一番身を持って感じていたことだと思います。(それがあって今のFUNがあるので、大変有難いことです)

今回はそんな安田さん(当時西南大4年)と一緒に、ある会社に取材依頼をしに行った際の珍事件。

・・・というか、一人勘違いの話し。

その時は、「これから企業にFUNの説明をしに行くから来る?」と、半ば強引に連れられ、もう一人西南大3年の○川さんと3人で、とある企業へ。

私はその道中、「どこへ行くのか?」と尋ねたところ、

「・・・通」という答えが。

全てを聞き取れなかった私は、「ふうん、日通かぁ」と一人納得し、ビルに入れば「ここが日通なんだ」と解釈。

そしてオフィスに通され、社員の方々の仕事をしている姿を横目に見ながら奥の部屋へ。

「ちょっと待っててね」と、案内してくれた女性社員の方は部屋を出て行き、私達は3人に。さすがに、企業に来るのは安田さんも少々緊張気味と見え、同行していた○川さんも同様。私も勿論「一体どんな感じなのか」と多少緊張はしていたものの、それ以上に私には腑に落ちない点が、頭の中をぐるぐると巡っていました。

というのも、今しがた通ってきたオフィスにいた社員さんの机の上は、出版社さながらに本やら何やらが所狭しと置いてあり、壁にはポスターがいくつも貼ってありました。しかも、通された部屋の中にも何やらアイデアを促すような社内向けのポスターが。

「日通って確か物運ぶ会社だったよねぇ・・・何か違うんだけど、ここは一体どこ!!??」

・・とまぁ内心「?」マークで一杯だったのですが、他の二人に今さら「ココハ、ドコデスカ?」と一人記憶喪失の様な失態をさらけ出すわけにもいかず、そうこうしているうちに男性社員の方が入ってこられて互いに挨拶を。

その際に名刺を渡され、私が目にした会社名は・・・「株式会社 電通九州」。

しかし・・・バカな私は、その会社名を目にしても、

「電通?電気??・・・電気が何かアイデアと関係あるのか?」と、

「日通」でなかったことだけは確認出来たものの、今だ一人謎は解けぬまま。そんな私を尻目に、話しはFUNの活動説明へ。

謎が謎を呼んだ数分間でしたが(といっても、社名を知っていれば済むことなんですが)、落ち着いて先方の話し振りを聞いていると、どうやら「広告代理店」であることが判明。ようやく、全ての事柄が一本の線に繋がり、私の一人謎解きは、誰にも被害を被る事なく、無事解決を迎えることが出来ました。

それでも、「電通」という会社がどれだけすごい会社だったかは、全く分かっていなかった私。(恥ずかしながら・・・)何故ならその時の私は、「○通」といえば「日通」という社名しか頭になかったぐらい会社名を知りませんでした。

それにしてもおかげ様で、その後取材をさせて頂く機会を得ることができ、さらには本で「広告の鬼」として知られる吉田秀雄さんの”鬼十則”や偉業に触れ、自分が勘違いしていた「電通」がどれだけ日本のマスコミを変え、広告のあり方を変えたかを知り、感銘を受けたかは後日談です。

ちなみに、「”電通”を”日通”だと勘違いしていた」と、真面目だった私は(?)、律儀にも安田さんに報告したところ爆笑され、その話しは顧問の小島さんにも知られることとなり、案の定目の前で爆笑された後、この話しは隠れた秘話として、今でもFUNの珍事件の一つに残されています。

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2006年8月21日 (月)

「錯覚」の効用。

私の初取材は大学3年の11月。まだ入部して間もない頃、日興コーディアル証券(当時の記事アップしてます)の営業マン取材でした。・・・といっても、同行ですが。

取材の何たるかも知らず、証券会社の事業内容もチンプンカンプンでしたが、それでも事前に「証券会社とは何たるものぞ」ということを調べに調べて、初取材に臨みました。当時の私は会社の仕組みも全く分かっておらず、文学部ということもあって「こういう世界は、自分とは無縁だ」とさえ思っていました。だから、内心「何も質問できないけど、果たして行っていいものか」と初取材にドキドキしていたものです。

取材内容は、それは見事なものでした。担当記者が経済学部の子だったこともあり、何やら難しい言葉を用いて、先方と会話している・・・私は、その話しを聞き入ることに必死で、時折「これは、昨日調べたあのことかな」とか、「あぁ、これはあそこに書いてあったことか」と、少しでも自分が知っている情報とすり合わせるので精一杯。

それでも、社会人の方が時間を割いて下さって、私達に一生懸命語って下さる事自体が自分にとっては未知の出来事だったので、仕事内容やその方の人柄も含め「今自分達って、すごいこと聞いてるなぁ~」としみじみ感じていました。

そうこうしているうちに、話題は取材をしている方のプロフィールへ。

それを聞いた瞬間、私は「えっ!?」と驚き、それ以降変な緊張も解け、リラックスして会話したことを覚えています。そう・・・実は、その方は私と同じ「文学部出身」だったのです。しかも、「文学部国文学科」で、全く専攻内容が一緒でした。この時の親近感と、驚き様といったらなかったですね。(内心はそういう風にフィーバーしていたのですが、周囲から見れば普段と変わらず冷静だったかもしれませんが)何故なら、「文学部でもこういう仕事ができるのか?」と一瞬にして、自分の目の前が広がったからです。

当時の私は、学部の勉強は仕事に関係あると勝手に思っており、そのため学部によって就ける職業も限定されると思い込んでいました。それぐらい何も知らなかったのです。

だから、自分とは無縁だと思っていた仕事をしている人が、同じ学部出身にも関わらず今では全く違うことをして活躍していると知り、当時の私にとっては衝撃を受けるほどの驚きを得、且つ「これは・・・社会にはチャンスがありまくりっていうことではないのか」と、天にも昇るほどの喜びを、実は一人かみ締めていました。

しかも、取材をした方が立派な人で、「証券会社は夢を売る仕事だ」という言葉の裏側には、仕事に対する意識や目標をはっきり持っている姿があることを知り、大変感銘を受けたものです。

それにしても、自分と同じ学部学科だったということだけで、将来が一気に明るく思える様になったことは単純といえば単純かもしれませんが、その単純さがその後の私に、良いきっかけを与えてくれたのは事実です。多分、「やっぱこの人とは違うから」。そう思ってしまってたら、その時発見した社会の捉え方も狭いままで、今の私はないかもしれません。

どうしても、すごい人なんかに会うと「自分とは、所詮出来が違うから」と思ってしまいがちかもしれませんが、その人の考え方や性質が同じ箇所があったり、プロフィールだけでも同じ項目を見つけると「自分にも出来るかも」と、錯覚してしまえばこっちのもんではないでしょうか。・・・多分、嬉しくなります。ただ、それを「錯覚」に終わらせないことが重要でしょうけどね(笑)

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2006年8月20日 (日)

FUNでいう「仲間」とは。

今日は何とも不思議な一日。

9月に行うFUN合宿の話し合いを行うため、お昼過ぎから赤坂にある○ローチェへ。

するとそこに偶然、西南大のI橋君登場。そして、さらには顧問のK島さんとFUN設立者のY田さんに出会い、しばらくすると今年福岡女子大を卒業したO江さんに遭遇。

話し合いを終えて、天神西通りを歩いていると福大のM本さんがバイト中でビラ配り。

「今日は、FUNの人によく会うなあ」と思いながら、オムライスを食べて夕食を終え、「さすがにもう会うことはないだろう」と思いながら、再び天神を歩いていると最後は、福岡女子大卒で今年から広告代理店で働いているH田さんとK裟丸さんにバッタリ。思わず興奮して、今日の偶然っぷりを話してしまいました。

それにしても設立者のY田さんをはじめ、今年卒業したみんなの元気そうな顔を見れて、すごく嬉しかったです。ぜひぜひ、FUNゼミに顔出して後輩達に会いに来てくださいね(^^

さてさて、天神~赤坂間ではFUNの部員や知っている学生に遭遇する確率は、年を追うごとに高くなっています。個人的には、嬉しいですけどね。現在のFUNは参加大学6大学、部員も50名弱、学年も1年生~4年生まで満遍なくいます。一人一人が大変個性的で、長所も違えば、短所も違う。入部の動機はそれぞれ違うでしょうが、それでも「ここで成長したい、向上したい」という思いは共通していると思いますから、やはりその気持ちを一緒に実現したいと思っています。

以前、日経新聞から取材された時、記者の方から「最近の学生(特に学生団体)は、”仲間”という言葉をよく使うんだけど、それって何でだと思う?」と聞かれたことがあります。

その時は、「コミュニケーションが減っている」とは言われながらも、一方では「仲間意識」を持って活動している学生の存在が2003年を機に増えていることから、そういう質問が出たことを覚えていますが、さて「仲間」って何でしょう。

一般的な「仲間」の定義は特に分かりませんが、FUNでの「仲間」という意識は、「将来事を成し遂げあえる存在」であったり、「互いにトコトンまで突き詰めあって、苦楽を共にする喜びを共有できる存在」だと思っています。少々硬いかもしれませんが、個人的には「今だけ」付き合う存在なら”仲間”と呼ばなくてもいいんじゃないかと思っています。また、何かの組織に属する場合、いつまでも「受身」の姿勢や「参加者」という意識では多分得られるものが「自分だけに役立つこと」でしかありえないので、随分もったいない様な気がしますし、少し寂しい感じもします。

そして特に学生団体であれば組織とはいえ、極端に言えば社会人の「給料」のように縛るものが何もないのが事実であり、いかに活動を充実させ続け、長期的に所属してもらうかは至難の業です。FUNの場合は、発足当初から現在もお手伝いをして下さっている顧問のK島さんによるところがそのほとんどであり、設立者のY田さんの熱意や行動力をきっかけにして現在のFUNがあります。

私の夢でもある「学生や若者が、夢や目標を臆することなく自由に言える環境作り」というのは、このFUNという小さな組織から既に始まっているのですが、「FUNの部員=仲間」になったのなら、活動を始めてとして一緒に壁にブチ当たったり、達成を喜んだり、後輩は先輩を、先輩を後輩を、互いに尊敬し合える間柄として付き合っていきたいと思っています。

文章が上手くなりたいなら取材記事を書いたり、連載をしてみたり、パソコンが上手くなりたいならホームページ作成したり、編集作業に加わってみたり、人前で話すのが上手くなりたいなら3分間スピーチやグループワークの発表をしてみたり、自分の思考や問題意識を深めたいなら企業取材をしたり・・・・FUNでは、ただ自分が「こうなりたい、ああなりたい」と言うだけではなく、そんな自分を実現させるための環境やコンテンツは整っています。そこで、今は自分の成長や先輩、後輩の成長を実感し、将来、社会で最強の人脈やネットワークを築くことが出来る。そんな風に考えれば、楽しい来るべき未来のために、「仲間」として一緒にFUNで頑張っている、私はこう捉えることが適切だと感じています。

組織が何たるかは、まだまだ私は何も分かっていませんが、夢や目標に対して同じ思いを共有し、互いに応援しあうことできる仲間がいるってことは、会社にしても学生団体にしても素晴らしいことだと思います。

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2006年8月18日 (金)

「夢」を持つことは必要か。

さてさて、みなさん。「夢」って必要なものだと思いますか?

私は大学入学時、4年間を決して無駄にしないことを心に誓い、その一つの目標に「早く自分の進路を見定めて、準備をすること」がありました。

なぜなら、私は一浪しているんですが、大学進学を具体的な将来と結びつけて考えられず「1年人より遠回りした」と思っていたからです。そこには「早い段階で、やりたいこと、行きたい学部を見定めなかったことが原因だ」と思っていました。

なので、大学入学時は「自分が実現することリスト」を書き、その中の目標の一つに上記の様なものがあったわけです。でも、いざあれこれやってはみたものの「まだ見つかってない」そう気づいたのが3年の夏だったのです。それから前回書いた様にFUNに入ったんですが、そこにははっきりした夢を持った人ばかりで、正直「何で自分には見つかってないんだろう」と焦ってばかりいました。しかし、「見つかる」と考えていること余計見つからないもので、結局就職活動に突入しても「やりたい仕事、自分に向いている仕事」が分からない、という状態でした。そこで、自分の興味ある分野や、好きなことから見つけようともしましたが、所詮それは趣味の範囲。どうしても"仕事"としては捉えられませんでした。

さて、賢明な読者のみなさんならお分かりかもしれませんが、この当時の私は「自分がやりたいこと」「夢が見つからない」と、全て『自分自身』を中心にして考えていました。だから今思えば、見えている世間が狭くて当然だったかなと思います。

極端に言えば、「自分がやりたいこと、好きなこと、向いていること」なんて、最初から限定されているということですよね。そんなわずかに限定されているモノの中から、むりやり見つけようとしても、元々少ないんだから簡単に見つからなくて当然です。

さらには、「夢」って無理やり見つけようとするもんじゃないと思うし、自分の気休めのために仮初めのモノを設定したとしても、いずれズレが生じてくると思うんです。「本当にそうなのか」って。それなら、また堂々巡り。「じゃあ、結局自分は何がしたいのか」。

だから、私はそれに気づいてから、変に気負うことを辞めました。なぜなら、そのときの自分は「夢を見つけることが、目標」みたいになっていて、「なんか、変だ」と思ったからです。それよりも、日々起こる出来事の方を大切にしようと思いました。例えば、取材で起こった感動や体験、記事の執筆、FUNで学んだ講義だったり、紹介された本だったり、バイトだったり、友人関係だったり・・・。

そうやって、特に取材活動などを通して外に目を向けていくことで、社会の仕組みや働いている人のかっこよさ、収益構造の仕組みなど、いろいろ「面白いな」と思うことがあり、自分の中での価値観の様なものがまた一つ、プラスされたような気がします。

そんな中、自分の過去の経験や社会に対する問題意識を含め、日本の教育や若年者雇用などに課題点を感じる自分に気づくわけで・・・、そこから「じゃあ、どうすれば良いのか」と考えていったところ、自分の「夢」と呼べるようなものが出来たわけです。つまり、以前のように「自分がやりたいこと」じゃなくて、この社会で解決すべき問題点は、ということで視点を変えたんですね。

だから、夢が見つかっていないことが悪いとか、どうしても夢を持たなければならないということではないと思うんです。ただ、「夢=自分の価値観、人生観」だと思うし、「夢」を持つということは、将来や後世に思いを馳せることが出来る点において、長い人間の歴史の中で自分の存在位置を形づくることでもあるかなと思います。そして、一口に”夢”といっても様々な分類に分けられると思いますが、私がここで話題にしていることは「社会の中で、いかにして生くべきか」ということで、どんな貢献が出来るかということですね。

先人達は、日本の将来を思って、自分の人生を賭けて現在の産業構造の基盤を作ってくれました。これはつまり、私達のこと(後世)を思っていてくれたに他ならないと思うんです。それなら、自分もその思いを有難く思い、受け継ぎ、今度は私達が努力する番かなと思います。そう考えたら「夢」って必要だと思います。

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2006年8月17日 (木)

私とFUN

私の夢は、「若者が夢や目標を臆することなく生き生きと語れる環境を作り、諸外国から”あの国はすごいよ!なぜならどの若者と接しても、自分の夢をはっきりと持っているからね”っていわれるような日本にすること」です。

ここには、日本の戦後教育に対する思いや、若者の現状、世界の中の日本としての位置づけなどいろいろな思いが混じっているんですが、そのことについてはおいおい明かすとして(適切に表現できるか分かりませんけど)、実はこういう夢を昔から抱いていたかというと違います。

今でこそFUNは参加大学が7大学に増え、部員数も毎回増えていますが、私が知った当初はまだ大学内でサークル化もしておらず、喫茶店などを使い数人で勉強会をしていたような状態でした。勿論出会うまで、FUNという存在など全く知らなかった私は、自分の将来に対して大きな不安を抱いていて、大学3年の夏というのに進路を見出せていない自分を不甲斐なく思っていました。

そんな時、同じ大学で同じ学部で同じサークル(テニス)で一緒だった吉谷さん(今はリポーター)に紹介を受け、発足当初から顧問である小島さんに会ったのが全ての始まりです。

そして、設立者である安田さん(当時西南大4年)に会って、「将来に前向きで、自分の力を信じて努力する姿がすごいな」という思いから、「自分もここでなら、何か見つかるかもしれない」そんな期待を抱きながら、一緒に頑張っていくことを決意しました。

なので、私は当時誰もが悩み、不安を抱くような思いを自分も例に漏れず持ち、就職活動というものにも恐れを感じていました。そのときの自分は”夢”なんてことは、これっぽっちも考えていなかったんです。それよりも、自分はこの先どうすればよいのか、そればかりが気になっていました。

でも、初めての取材や活動を通して過ごしていくうちに、自分の捉え方が狭いことや自分が知らなかっただけのことに気づき、それからは少しずつ世間の見方が変わっていったことを覚えています。それでも、「やりたいことが見つからない」自分に焦りを感じ、当時の同期の仲間が自分の夢をはっきり持っていたことを羨ましく思い、FUNで活動するようになってからも、将来に対しての葛藤は継続中の状態でした。

そんなこんなで活動しながら、徐々に自分の目が拓かれていって今に至るわけですが、これから少しずつ「そんなこんな」の部分をブログ上に書いていきたいと思ってます。

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2006年8月16日 (水)

「青春」は今も昔もすぐそこに。

先週末久しぶりに実家に帰省していました。私の実家は長崎ですが、情緒溢れる町並みが個人的には大変好きです。

さて、実家に帰省して必ずやることといえば、鍵盤に触れることです。

・・・ピアノを習い始めたきっかけは、母がベートーベンの「エリーゼのために」が大好きだということを知り、自分がピアノを弾いて母に聞かせてあげたいと思ったからです。幼稚園から高校生まで約10年ほど習っていたピアノも、今では実家に帰ってから少し弾く程度になりましたが、その際に決まって弾くのは「エリーゼのために」です。難易度はさして難しくないのですが、それでも久しぶりとなるとつっかかる(汗

10年習ってこれか・・・と思わないでもないですが、それでもピアノの音は好きですし、必ず弾きたくなります。個人的にはショパンのノクターンなんかが好きですね。(みなさん聞いたことがあると思います)

さて、実家に帰ると友達と遊ぶというよりも、こうやって気ままに好きなことしたり、家族とよく会話します。そんな時に感じるのが、やっぱり時が経つのは早いなということ。昔はよく兄弟げんかをしたものですが、最近は互いを理解し合う姿勢というものが出来てきたと思います。

「青春」  サムエル・ウルマン

青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう。

・・・・・ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。

歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心はしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い、精神は芥になる。・・・・・・

『「青春」という名の詩』という本にある詩です。本書は、幻の詩人サムエル・ウルマンを追って、その実像を解明していく物語となっています。上記の詩はあのマッカーサー元帥も愛して自室に掲げていたり、日本でも松下幸之助や松永安左エ門など実業家の人々から愛されていたそうですが、「なるほど」と感銘を受ける詩だと思います。

”青春”ってよく若い頃のことを懐かしんだり、若者に使われる言葉のような気がしますが、実は心の持ちようで、実年齢は関係ないということを指摘しています。こう考えると、まさに10代であろうが、20代であろうが、情熱や理想がなければ老いも同然ということで、これは特に若い人々こそ読んでおくべきものじゃないかなと感じます。

人の生き死にというのは自分で決められるものではないですが、自分自身をどのように表現していくかは自由です。自分の人生をどう完遂するかは、自らの意思で左右できる、その思いが”情熱”であり”理想”であるのかなと思います。

実家に帰って、ふとこの詩のことを思い出し、こう感じました。

”青春の詩”を全文読んでみたい人はぜひ(^^

Seishun 「青春」という名の詩

宇野収、作山宋久著/産業能率大学出版部

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2006年8月11日 (金)

50)逆説の論理 会田雄次 PHP

Gyakusetu 日本人の性質や古来からの思考法を知りたいならオススメです。

本書は、高度成長期を終え、これからの80年代を日本人はどのように生きればよいかというものを説いたもので(1980年発刊)、第10章から成ります。著者は、ドラッカーの「断絶の時代」やジョン・K・ガルブレイスの「不確実性の時代」が当時の日本人の知識層や経済人に大きな影響を与え、大変な反響を巻き起こしていることに着目し、なぜこんなにも日本人が反応するのかという疑問を抱きます。

これは、つまり断絶の時代=不連続性、不持続性や不確実性といった思考は、日本人が太古から身につけていたものではないか、ということから端を発し、日本人の生活様式や歴史的推移から、日本人の思考を中心に論を展開し、今後の在り方を示唆しています。

私は、現在の若者のあり方や学生、また日本の教育に大変興味・関心があり、特に若者の思考について、「こんな風な思考法が横行しているのは、現代の特徴なのか」と思う部分が多々あったのですが、それは今に始まったことではないんだということが分かりましたし、日本人の思考や性質を、その時代、その時代でどのように発揮されるかが違うだけなのかもしれないと感じました。現代の日本人の劣等意識の強さや、どこかに持つ漠然とした不安・・・それは自分達で「考える」ことを辞めてしまったことに起因するのではないかと個人的に思っているのですが、その解決策の糸口を少しでも見つけようという思いでいます。

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2006年8月 9日 (水)

明治時代のM&A

経済人としてみる幕末偉人伝も第3回目。今回は岩崎弥太郎をテーマに、三菱商会
を作り上げるまでを追いました。さてさて、日本放送をめぐるライブドア対フジサンケイグループの攻防はまだ記憶に新しく、最近は王子製紙なんかも賑わしていて、みなさんもM&Aという言葉にはさほど抵抗を感じなくなったかもしれませんね。

そんな、昨今においての企業買収劇。これって、現代特有のものだと思いますか?
実は、昔から当たり前の様にやられてるんです。岩崎弥太郎自身も、いわゆるM&Aを上手く繰り返していって、事業を拡大させた一人。資本は政府から引き出し、次々と鮮やかな買収をしていきます。後にアメリカ人経営の大平洋汽船会社もしまいには買収してしまい、東洋一の船隻を持つ巨大企業に成長。

最初は土佐藩士だけで細々とやっていた九十九商会からの発展は、まさに目を見張るものがあります。さすが、「これからの日本は海運と貿易だ」と見抜き、海運で世界を制覇する夢を抱いた弥太郎の素晴らしい心意気を感じます。

今回は、「岩崎弥太郎の企業成長を追うことで、M&Aを知ろう」というテーマのもとみんなで一緒に学びましたが、明治初期の海運業の実態や三菱創業のきっかけなどにも迫り、より身近に企業というものを感じたようでした。

ビジネス的視点から歴史の人物に迫ると、現代の企業にも十分置き換えられたり、通ずることが多いので、過去と現在が繋がるような感じがしてオススメですよ。

ちなみに次回は、三野村利左衛門です。

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2006年8月 8日 (火)

ズーマーと私

今日は、ま○もと君のブログ(8/7)に、上手く特徴を掴んでるなぁと笑わされました。

それにしても、「大月」ってもろ本名で載せてるし!と一人で突っ込みながら、韓国語塾に来るま○もと君を待ち構えていたわけですが、「夜はテンションが上がるんですよ~」と、少しの後ろめたさも感じていないあの爽やかな笑顔に、さすがの私も「いいよ、いいよ(笑」と返すしか出来ませんでした。

でも、やっぱり少し悪いと思ったのか、韓国語塾の帰りがけに「大月さん、ズーマー乗りたいって言ってましたよね!乗ってみます!?」と、またまた屈託のない笑顔で言ってきたので、約一ヶ月前に事故って以来(自損です)、ケガが完治するまではバイクに乗らないと思っていたものの「これがあの、ズーマーか~」と思うと『ズーマーと僕』愛読者としては、この機会を逃すまいと乗せてもらい、西南大の体育館の周りをぐる~っと一周してきました(狭っ!)。

この時ばかりは、ま○もと君の愛車「ズーマー」も”私のもの”。

まさに『ズーマーと私』のひと時(一瞬?)を楽しんだ後、私のものだったはずのズーマーは、持ち主であるま○もと君のもとへと素直に帰っていきました。

「このズーマーが、ま○もと君といつも行動を共にしてるんだね~」というと、「そうですよ!」と、さらに満面の笑み。そして、丁寧にズーマーについてる付属品をいろいろと説明してくれました。ズーマーを語る時のま○もと君は、本当に大好きなんだろうなと思うほど、キラキラしてます。さすが、「ズーマーと僕」というタイトルで人気のブログを書くだけのことはあります。

そういえば、ま○もと君が問い合わせをしてきて、初めて会ったのは合同説明会の開場でしたが、あの時も100人近くいる学生の中で真ん中の一番前の席に座って、目を輝かせながら真剣に私の講演を聴いていてくれてたなぁと、思い出しました。あれから、一緒に活動していく仲間として、私にとっても大切な存在の一人になりました。

『ズーマーと私』・・・・じゃなくて、『ズーマーと僕』。

これからも楽しみにしてます(^^

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2006年8月 7日 (月)

ゲーテ=文化=標準化

「趣味というものは、中級品ではなく、最も優秀なものに接することによってのみ作られるからなのだ。だから、最高の作品しか君には見せない。君が、自分の趣味をちゃんと確立すれば、他のものを判定する尺度を持ったことになり、他のものを過大でなく、正当に評価するようになるだろう」(byゲーテ/斉藤孝著「座右のゲーテ」より)

「最高を知れば、あとは自ずと分かるようになる」というゲーテの発想は、なるほど、と私も納得しました。最高峰のものに触れておけば、あとはそこから相対的に位置づけていく=つまり、自分の判断基準が確立されていくというわけで、さらには自らの発想も引き出されていくことに繋がるんじゃないかと思うわけです。

そして、これって「文化」や「標準化」とも似た発想だなあと、またさらに思いました。

「文化」と「標準化」

この二つの言葉。一見すると、違うもののように思えますが、実はこの二つの性質って似てるんじゃないかと思ったのが先日。そう思ったきっかけは、ヘンリーフォード自伝の「藁のハンドル」を読んでいる際に、気づいたことなんですけどね。フォードは、真の意味での標準化とは、商品と生産過程の最良の点とを結びつけることであり、物事を行うのに最良の方法とは、私達が現在までに生きてきた全ての良い方法を総合することである→だからこそ、それは標準化になる、と述べています。

そして、「文化」とは・・・
文化の歴史って実は、「昔の方が個々としての文化的作品の質は高かった」というのがあると思うんですが、その代り背景としては文化の担い手自体の数が少なかったという事実があります。これは、特に和歌なんかを考えてみると良いと思うんですが、現代でも和歌を作る人間はいますが、作品の質としてははるかに昔の方が良かったと思うんです。だから極端に言えば、万葉集なんかは今でも優れた歌集として読み継がれているわけですし、その限られた言葉の中に当時の人々の思いを知って胸をうつからこそ、現代でも残っているんですよね。

つまり、個々の作品の質は時代とともに下がっていくという現状があるのとは逆に、その作家の数は時代とともに増大していくという傾向があります。これは、いわゆる”大衆化”しているといっても過言ではないと思うんです。(このような考えは、坂本藤良著の「指導者の条件」に収録されてある『人間を動かす人間学』の一節にあります)そして「文化」とは、大衆化することで個々の質は下がるといえど、その担い手が多くなるということ自体が文化の向上に繋がるという面もあって(新たな価値観とかが出てくるわけですからね)、結果的に「文化」の広がり方も「標準化」としての意味を大いに含んでいるなあと思ったわけです。

ゲーテは、センスを磨くために一番いいものとして「古典」を挙げているそうですが、これはまさしく「文化の最高峰を知る」ということに繋がるではないですか。そうやって、一流のものに触れていくことでやがては自分自身も一流に近いものを作りだせるようになる、もしくはそれを目標とする、そしてそれを今度は標準化させていく・・・面白い流れだと思いませんか。

<考えるきっかけになった本>
他にも、面白い箇所はたくさんありますよ。

「座右のゲーテ」斉藤孝:著、光文社新書
「ヘンリーフォード自伝/藁のハンドル」竹村健一:訳、祥伝社
「指導者の条件」坂本藤良:著、潮出版社

Gete_1

Warano_2

Sidousha_2

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2006年8月 3日 (木)

龍馬に思ふ

今日は、先週水曜日から始まった「経済人としてみる幕末偉人伝」の日。

第二回は『坂本龍馬と海援隊~無から有を生み出した近代ビジネスマン~』をテーマに、龍馬のビジネスセンスに迫りました。参加者も前回よりも増えて、一緒に勉強できることを大変有難く思った次第です。(参加してくださったみなさん、本当に有難うございます)

さてさて、個人的に坂本龍馬は大変好きな人物の一人なのですが、それは調べていくほどにその魅力にはまったことはいうまでもありません。もともと好きになったのも「こういう人物になりたい」と思ったからですが、それは今も惹かれる理由としては変わってません。

それにしても、日本に名を残す偉人達って、よく考えると必ず経済的視点を忘れていないんですよね。勿論自分の志高く、様々な理想を描いてきたとは思うんですが、そこには常に「経済」を見る目がベースにありました。つまり、「日本経済」を見ることで大局を掴むことができ、実際に国家を動かすほどの大事業を成し遂げるわけなんです。ここに気づいた時は、過去の偉人を見る目が自分の中でも変わりましたし、一つまた納得することができました。

人物って、よくその人柄とか成し遂げたことを取り上げられ、そこに焦点を当てられがちですが、実はその人のどんな思考のもと、その事柄が為されたのかという箇所を知ることが一番面白いと思いますし、その事柄を行ったことでどこに利益が生まれ、どんなメリットがあったのかを追求していくと、また違った見方が出来て、その人物の新たな表情を読み取ることが出来ると思っています。確かに政治的に影響力があると、そちらをクローズアップされがちですが、実はその影には必ずお金や利害関係が働いているんですよね。そこに迫っていくと現在の社会なんかも全く同じなので、歴史が過去だという風にはあまり思えないから不思議です。

「これって、今と一緒やん!」と思った時の自分は、当時と今が繋がったような気がして、そして当時の人をすごく身近に感じたりして、毎回一人一人友人が増えていくような感覚です。(決して妄想ではないので、あしからず)

この国に生まれてよかった、過去の人物達に感謝の念を持てるって、そう思えるのはすごく幸せなことなんじゃないのかなって・・・思います。

※ちなみに、坂本龍馬のビジネスマンとしての活躍を知りたい人は、坂本藤良さんの「坂本龍馬と海援隊」という本がオススメです。巻末にある、著者の生き様にも心打たれて二度も三度も美味しい本だと思います。

<勉強会の様子>

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ちなみに次回は「岩崎弥太郎」を取り上げます(^^

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2006年8月 1日 (火)

始動。

「ブログ」始めます。

基本的に自分の考えを公開することを苦手としていたわけですが、ちょっとやってみようかなと思いまして。............といっても、思い立った理由はあります。

個人的に、”文章”ってその人の思想や価値観、人間性を映し出す鏡として捉えているんですよね。なので、”自分自身”を”文章”として表現することに躊躇していたわけです。でも、人間何故生きるのかっていったら、自分の生き方や信念を様々な形で表現していくことに尽きると思うんです。それが、仕事であったり人間関係であったり、日常であったりするわけで、文章もその一つですね。そして、その形は様々。形作られていくのも様々。

人間の一生ってほんとに短いと思うんですが、生き様ならぬ「死に様」は自分で形づくることができます。この世界で「大月舞」という人間をどのように表現していくか、やっぱりそれって自分にとって重要なことだなと改めて思ったわけで。

そして、もう一つは自分の思っていること、言いたいことを素直に表現していきたいなと思ったからです。

なので、ここには基本的に自分の興味・関心あることや考えていることを、ジャンルを問わずに書いていくつもりです。勿論、書評もその都度のっけていきますが、ぜひ私の「頭」や「生き方」に興味を持ってもらえれば、幸いです。

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49)戦い好まば国亡び 戦い忘れなば国危うし 三浦朱門[編] 

Bouei ★サマワから自衛隊の撤退が決まり、ご家族は一人の犠牲者もなく無事帰還できることに、ほっと安心されていることでしょう。しかし、撤退の頃が最も危険だということもあり、ぜひ気をつけて帰ってきてほしいものです。ただ、陸自の変わりに空時が大幅拡大ということのようですから、まだ日本の責務を負う場面は大いにあるようです。

★自衛隊といえば、憲法上の解釈の中これまでにも様々な位置づけの問題等あり、今だ明確に、国民にもその理解を得られている状況ではないのが現状だと思いますが、その自衛隊の幹部を養成する教育機関が防衛大学校です。

★本書は、防衛大学校の卒業祝辞集で、時の総理大臣や日本を代表する芸術家等の来賓祝辞が収録されています。私達は、自衛隊の存在を知ってはいるものの実際にどのような信念を持ち、どのような葛藤がありながら自らの職務を全うしようとしているのか、推し量れないものがあります。ましてや、自衛隊としての明確な位置づけがなされないまま、厳しい世論も目の当たりにし、自らの責務は勿論のこと、自らのあり方にも苦悩するであろうと思います。

★そのような葛藤や厳しい訓練を経て卒業する学生は、自己の職務の重要性を感じながらこれからの日本を守るべき存在として踏み出すわけですが、祝辞にはそんな彼らへのメッセージもさることながら、今だ混沌として明確な結論が出ていない状況の中、オブラートに包むような表現しかできないという背景も見受けられます。

★しかし、本書に収録されてある祝辞には、日本という国を大切に思い、一国の文化を守り続けたいという想いがありありと表れ、それを担っていく若者への尊敬の念が込められています。私達は、日本という国に生まれ、日本人として生きるという運命のもと、今日まで繁栄してこられたのはやはり、先代からの文化や歴史を絶えることなく繋いできたからだと思います。祝辞の中にもそのような文化や歴史を振り返る言葉があるのですが、中でも「短歌」のようなものは、今だ日本人の精神を眼に見える形で受け継いでいるものだという言葉は、本当にその通りだなと思います。

★文化や歴史といっても、そこには有形のものや無形のものがあるわけですが、そのどちらも良い形で後世へと繋いでいくことが、今私たちが生きている証になりえるのではないかと思います。「平和」とは何か、国家にとっての「武」とは何か、深く考えるには良い機会だと思います。

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48)ウェルチ リーダーシップ・31の秘訣 ロバート・スレーター[著] 

Weruti ★ジョン・F・ウェルチ・ジュニアは、1981年4月GEの八代目最高責任者兼会長に就任しました。本書はそんなウェルチの経営手腕を明かす内容となっていますが、組織をいかに活性化させ続けるか、「不要なものはそぎ落とす」という彼の選択が何をもたらしたのか、大変参考になります。肥大化した組織には、余計な作業工程や管理職の増大、モチベーションの低い社員など削るべき要素はたくさんありますが、当時のGEも例外ではありませんでした。社会の変化に気づきながらも、巨大企業であることに安穏とし、むしろ「時代が合わせてくれるようになる」とまで考えていたGEの本当の実態を見抜いていたのは、ウェルチただ一人だったのです。

★GEが置かれている現実を受け止め、大改革を行う彼の前には様々な障害もありますが、ビジョンを明確にし、一心に突き進む彼の改革はやがて世間に賞賛されるまでになります。GEをコングロマリットと呼ばれることを嫌った彼は、徹底した「選択と集中」を取り込み、社員とのコミュニケーションの流動化も図りました。

★GEという巨大組織にメスをいれ、無駄な贅肉をそぎ落とした彼の見事なオペ裁きは、もとのスリムな体系に戻し、動きやすい組織を作り上げました。ウェルチは「管理という言葉は嫌いだ」と言います。その場にいる人間をいかに奮起させるか、それに全力を注ぐ彼はまさに“環境”を作っていっているに他なりません。また「経営というものは、実はシンプルなんだ」とも語るウェルチのこの言葉は、「自分の思考」も“無駄なものをそぎ落とす”ということに繋がってくるということを感じざずにはいられませんでした。

★そういえば、余談ではありますが、将棋の羽生さんも「省略する」という言葉をよく口に出していたなと思い出し、ウェルチの言葉がさらに実感されるものとなった次第です。最近はまた、根本的に通ずる事柄や場面に出会うことが多く、まさに以前、倉田百三さんの本を読んだときに「本を読むということは、自分の思想を作ることだ」という言葉に触れましたが、”本当にそうだな”と感じる今日この頃です。

★ウェルチのリーダーシップ論はそういう意味でも、現在のことに共通することが数多くありますし、トップに立ちたいと思っている人はぜひ読んでみるべきです。

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47)日本農業大改造論 竹村健一[著] 

Nougyou ★日本の農業といえば農家の方が一生懸命働きながら、頑張っているというイメージしかなかったのですが、実は政府からの補助金や食管法などで保護されている一面を知り、少々驚いた次第です。本書は、そんな日本の農業の現問題点を真っ向から指摘し、独自の改善策を提案しています。

★また、サラリーマンの減税など、農業問題から税金や土地、経済などを読み解くことができ、非常に興味深く、面白い一冊となっています。日本は、食糧の自給率を上げることを目標に膨大な補助金を農業に費やしてきましたが、結果的にはそれがかえって日本の農産物価格が国際価格に比べて高くなってしまうという現象をもたらしました。しかも、日本人の主食である「米」に関しては、国際価格の約10倍もするというから驚きです。確かに、日本人好みの「米」という点においては、海外のものと比べ物にならないかもしれませんが、逆に保護してしまうことで、価格競争などをする必要がなく農業から「競争力」というものを奪ってしまったのです。この現象は、理にかなったものだと思います。

★もともと農業保護策は、生産性を高め、農家の自立を目的とするはずであり、その根幹にあったのが補助金と価格維持、生産・流通を握る農協への保護の3つです。端を欲したのは、勿論「米」ではありますが、ここには「競争の原理」を奪う要因が含まれていたのも否めないでしょう。

★竹村氏は、「日本が今後工業国として名を轟かせるなら、食料は海外輸入に任せたほうが、価格の面においてもやりやすい」と言及しており、自力でどんなに頑張っても賄えないものは、どんなに保護していこうとも衰退の一途を辿るばかりだということを指摘しています。そのため、本当によい形で日本の農業改革を行うなら、農業に競争を持ち込むことを、一つ提案とし、企業との連携を図ることを二つ目にあげています。

★私たちは、今現在生活しているだけでも、ありとあらゆるものに囲まれており、そこには様々な世界が繰り広げられているわけですが、違う視点から日本経済を見るのは大変有益なことだと本書を読みながら感じました。一つのことを知りたいなら、多角的に物事を見ようとすることが大事で、そこから得られるヒントは数多くあります。「農業」から見る、日本経済の実態や、なぜ経済大国でありながらサラリーマンは貧乏にあえでいるのか、そして土地活用の問題など、本書は「日本」という国を捉えるうえでも大変面白い一冊ですので、ぜひ一読してみることをオススメします。

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46)平和論に対する疑問~文化人というもの~(日本を思ふ)

Nihonwo ★土曜日の朝から行われているビジネスカフェで読んだ一冊です。「文化人」といえば、すぐに意見を聞かれる存在でありますが、だからといって、全ての質問に答えられるわけでもなく、また明確な答えを出せるものではありません。しかしそんな実情がありながらも、すぐに聞きたがる人と、それに答えてしまう文化人。両者の立場は違えど「分からないことへの後ろめたさ」という共通した劣等感からくる姿勢は、尋ねる方も答える方も本当の意味で解決していないことが多い、ということを著者は指摘しています。

★私達は、自分が思っていることへの整合性や事象の確認をしたがる傾向にありますが、それは「何か意見がもらえればよい」という感覚で尋ねていることも少なくありません。それが、表面的な解決策に過ぎなくても、聞くことで満足してしまう、ここに落ち度があるのではないでしょうか。これは、様々な情報を取得することにも共通してくると思いますが、「聞く」ことを目的にしてはいけないと思いますし、それが無意識に「劣等感」からくるものならなおさら、見直す必要があると思います。

★日本人の「劣等感」というのは、欧米に対しては当時特に強かったと思いますが、何らかの形で国民全体での劣等感は、現在も共通しているように思います。それは勿論、日本の歴史観に深くは起因するのかもしれませんが、そういう根本的な心理が「思考を養ううえでの情報」にも影響しているとしたら、著者が憂えているのも分かります。本内容は、文化人としてのあり方や問う側の姿勢に問題があることを示し、その態度を改めることを求めていますが、ひいては日本人の根本的な心理も顕著に表わしてる事例ではないかと思います。

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45)簡単に、単純に考える 羽生善治[著] PHP文庫

Kantan ★またまた、将棋の本。といっても、今回は羽生氏を中心に、二宮清純・平尾誠二・金出武雄氏との対談3本立てです。3人とも将棋界の方々ではないですが、その分世界観が違う人間との対談なので、中身がより深く、本質的な内容になっています。

★41)で、米長邦雄氏との対談の「人生惚れてこそ 知的競争力の秘密」を紹介した際には二人とも将棋界のプロだったので、将棋界を中心にして展開する話が多く、それもそれで面白かったのですが、今回はさらに複眼的な思考を養えることもあり、結構オススメです。

★やはり特筆すべきは、タイトルにもある様に「考え方」でしょうか。特に、平尾氏との対談では、平尾氏がラグビー部のゼネラルマネージャーということで、勝負の世界としては共通しているところもあり、考え方や物事の捉え方が非常に深く、大変興味深いです。さすがに、スポーツも土俵は違えど一緒か…..と思いながら読んでいると「これって経営にも通じることではないのか」とハッとしました。(「経営」を語れるほど、まだ何も分かっていませんが)というのも、どこかで見たり聞いたりしたものと共通するところが多々あるからです。経営者の話や本も基本思想は、似ているのを感じるのですが、やはり「物事はシンプルだ」とよくいわれるように、考え方や捉え方も、その世界でトップを極めたことがある人のいうことは結構同じなんですよね。これは、例えば極端にいえばホストなどの世界でも共通するところがあります。(行ったことはないですよ)

★少し話題がそれましたが最近思うのは、トップを極めるかどうか、ということもそうですが、いかに自分が「プロ意識」を持てるかということが大事なんじゃないかということです。例え、今の自分がプロじゃなくても別に関係なく(それは世間的な評価が入るので)、自分が現在行っていることに対して、どれだけの責任感とミッションを持てるか…….それが「プロ意識」に繋がるのではないか、と思うわけです。そして、誇りと自信を生み出し、やがてはそれが「トップを極める」ことになるのではないでしょうか。

★平尾氏との対談は「論理思考、感性を昇華したものが創造力である」というタイトルがついているのですが、集中力やミス、分析、情報判断力などなど、言及していることが納得です。しかも誰かの成功哲学ではなくて、自身の経験からきているので、非常に分かりやすい。特に羽生氏の「斬新なアイデアは、評価されないものの中にある」という箇所は、「将棋でも同じなんだ」と、面白く思った次第です。「簡単に、単純に考える」。ぜひ、一読してみてはいかがでしょう。

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44)異なる悲劇 日本とドイツ 西尾幹二[著] 文春文庫

Higeki ★現在は、W杯一色のドイツですが、本書はドイツのことを述べながら、日本の戦争行為やその後の対応など、日本人自身に自国のことを考えさせるような内容となっています。というのも、いかに日本が戦争で悪いことをしたかという罪悪感なるものは、現在の日本人にも根強くはびこっており、日本の姿勢としても、いまいちはっきりしたものがなく、その場限りの対応で謝罪の意を示し、乗り越えるという状況が続いているからです。著者は、日本とナチスの戦争犯罪に対する認識や行為の違いを示し、それを同じに扱うことがいかに間違っているかを事細かに説く中で、普通に学校の歴史教育を受けただけでは知らない事実が所狭しと並べられています。

★日本は、敗戦後にそれまでの日本人としての魂を抜き取られたかのような状態に陥ってしまい、現在もその後遺症は尾を引いているように感じざるおえませんが、ただ「あの戦争は悪かった」と捉えるのではなく、本当の戦争の意味は何だったのか、そしてそれがもたらしたものは何だったのかということを、正面から捉えようとすることが必要ではないかと思います。特に今の若い人たちは、自国の歴史にやはり興味を持つべきであると思いますし、そのような状況が作り出されない学校教育にも問題があるには違いありませんが、そのような中でもこのような書物に触れることは、自分の眼を開かせるには大変良いことではないでしょうか。

★本書の中に、「日本的単純さ」を説いた箇所があり、これは日本が島国であり、単一の民族しかいないということにも起因するのかもしれませんが、「日本人の世界を見る目は相変わらず単眼的だ」という指摘は、なるほどなと思いました。日本の盲目的な戦争突入や、終わってからの逃避的、自閉的な姿勢は、「レービィットの指摘したある種の非現実性の中で、日本人は戦前、戦後の現実世界に対応してきたといえるかもしれない」とのことで、これが正しいのかどうかは分かりませんが、日本人の気質や集団意識等は、何か感ずるところがあります。

★日本はこれからも、過去の戦争行為の罪に苛まれ続けなければならないのか、受け売りや学校の拙い歴史教育の中だけで判断するのではなく、日本人一人一人が自ら考え、確固たる判断ができるような状態になることが必要ではないでしょうか。私自身も、もっと様々な歴史に関する書物に触れていこうと思っています。

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43)面白すぎる 「大物たちの頭の使い方」 竹村健一[著]

Oomono ★竹村健一氏曰く、本書の中で取り上げた5人の経営者はいままでの日本の経営者とは、ちょっと違うという。それまで、もたれあいや系列の助け合いなどでやっていた経営者とは違い、自分の頭だけが武器で、自分の力だけでほとんど無一文の状態からスタートした人ばかりを取り上げ、その発想力にはこれからの日本の経営者に必要とされるものがふんだんに詰め込まれています。

★5人の経営者とは、藤田田(マクドナルド)・和田一夫(ヤオハン)・千本倖生(第二電電)・江副浩正(リクルート)・加藤義和(加ト吉)の以上です。藤田田氏の発想や竹村氏の質問に対する切り替えし方は、相変わらずの毒舌ぶりを発揮し、あの竹村氏も舌を巻く場面はありますが、それでもそのデータや考え方は目を見張るものがあります。また、江副氏も女性社員を多く採用するなど、まさに時代の逆を行くという発想は、ある意味“先見性”と呼ばれるものになることを示しています。

★本書を読んでも分かることですが、経営者は自分の意見やビジョンに対しては、ハッキリした口調で答えており、そこに自ら現実を合わせていくという姿勢がうかがえます。つまり、よく言われることかもしれませんが「~と思う」という言葉づかいや曖昧な表現は決して使用しないということです。そこに、それぞれの自分の事業に対する自信やミッション、信念なるものを感じていることが分かります。

★例えば、竹村氏も印象に残ったとありますが、私も同様に感じたのがリクルートの江副氏の話。竹村氏が開いていた会で江副氏に話をしてもらったとき、聴衆の一人のある経営者が「リクルートの媒体は効果があるけれど、値段が高すぎる。もう少し、やすくならないでしょうか」といった。それに即座に江副氏は「他の媒体に変えたらどうですか。私共はよその倍効果があるから倍の料金を頂いている。いいものにはいい値段を払わなければなりません」と答えたという話は、江副氏の天邪鬼ぶりを発揮しながらも、そこには江副氏なりのビジョンが見えていることが分かります。

★また、新卒初任給の格差促進に対する提案など、江副氏の“先見の明”と呼ばれるものは、読んでいる人にも「なるほど」と思わせることでしょう。

★本書は業界はバラバラながら、一経営者の頭の中を竹村氏の視点から探るという大変ユニークで、また大変参考になる一冊であり、本書を読むことで自分の頭を刺激するのも良いでしょう。勉強にもなり、一石二鳥です。

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42)時差は金なり 内側からみた総合商社 三菱商事広報室[著]

Jisa ★「商社マン」と聞けば、何だかカッコイイ感じがするかもしれませんが、実際にやっていることは果たしてどのようなことなのでしょうか。ましてや総合商社となると、様々なものを扱っているため、名前は知っていても事業内容がよく分からないというパターンも少ないかもしれませんね。

★本書は1977年に出版されたもので随分古いんですが、約30年前の三菱商事の様子がリアルに分かり、まさにその当時の商社マンたちの奮闘ぶりが心に響く一冊です。当時の三菱商事の15のビジネスを取り上げ、総合商社の理解を深めようとして書かれた本書は、巨大な情報網と資本力と人材を駆使して、日本経済の発展を支えていく様が分かり、今私達が普通に生活していること自体も、尊く思えてきます。

★本書の中で、総合商社の基本機能を「情報と流通の時間的、空間的ギャップを先取りし、活用する機能」、「リスクとの総合対決能力」とし、当時は情報網やリスク管理能力を重要な経営インフラとしていました。まさに時差を超えて奮戦する商社マンたちは、私たちの想像を絶するほどの困難に会いながらも、その一つ一つを乗り越えてきたということが分かります。

★森林開発や石油開発、畜産事業、大豆取引、運輸・保険、資金調達、外食産業・・・などなどこれら15のビジネスで、現地に出向き交渉や開発指揮を行う商社マンは、現在抱くようなイメージとは程遠いほど、泥臭くて、人間臭い仕事です。しかし、どの仕事も日本経済と大きく関わり、采配一つで事も変わるという状況は、使命感や責務という言葉を感じぜずにはいられません。

★現在では、業界再編や情報のボーダレス化、情報通信ネットワークの進展などにより、総合商社のあり方も「事業投資を軸として、グローバルに顧客と市場に多種多様な商品とサービスと機能を提供する事業体へと変貌してきている」とのことですが、それでも当時の「時差を先取りする機能」として前線に立っていた総合商社には目を見張るものがあります。

★本書は、今はもう絶版となっているようで入手困難かもしれませんが、商社マンになりたい人や海外勤務に憧れている人は、ぜひ読むといいと思います。商社のイメージがガラリと変わると思いますし(より具体的に分かるという点で)、海外勤務の様子も想像から現実的なものへと感じることができるはずです。

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41)人生惚れてこそ 知的競争力の秘密 米長邦雄、羽生善治[談]

Jinseihorete ★FUNのビジネスカフェで「人間における勝負の研究」という本を読んでから、米長邦雄氏のことを知ったのですが、その時同時に思い浮かべたのが羽生名人でした。ちょうど羽生氏が七冠を取って世間の話題に上った時、私は中学生で「若いのに、こんなに頂点を極めた人がいるんだ」と驚いたことを覚えています。

★今回は、そんな将棋界のトップを極めた米長氏と羽生氏の対談ということで、「やっぱりこの二人は、どこか共通しているんだ」と思いながら、楽しみにして読みました。本書は、将棋の話を中心にしてはいますが、それが人間としての生き方であったり、勝負師としての考えなどがふんだんに盛り込まれているので、将棋のルールが全く分からない人でも十分読めます。

★また、米長氏は大変知識の幅が広く、論語や仏教の話などを例に挙げながら、人間としてのあり方を説いています。また、二人の話しから物事を極めていくということもどのように捉えればよいかが分かり、「なるほど」と思う箇所も多々あります。さて、本書の中で頻繁に出てくるのが、「将棋を打つ」「勝つ」という目先の勝利だけを追わないこと、というものです。やはり、二人とも今の強さを維持していくにはどうすればよいか、ということには常に考えているようですが、「今は、すでに過去である」という心構えのもと、常に前進し続けているのが二人の共通している点です。また、羽生氏がよく口にしている「先行投資」という考え方は、羽生氏を現在もなお活躍させている所以ではないでしょうか。

★米長氏と羽生氏は、プロになるまでの過程や、環境、時代背景に違いはあるものの、トップを極めるという点においては、強固な意志や独自の世界観があります。その言葉や考え方は、将棋界だけに通用するものではなく、普段の私たちの生活にも通用することが多分にあり、頂点を極めたいと思うなら、様々な世界のトップの考え方に触れることもまた、違う角度から物事の本質を見ることができるので、良いと思います。本書を読めば、将棋にも興味を持つこと間違いなしですね。

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40)人心掌握の天才たち 童門冬二[著] PHP文庫

Jinsin ★“組織は人なり”といわれますが、リーダーはいかにして組織をまとめあげるのでしょうか。また、人々のモチベーションを上げるには?「相手の心を掴むこと」が何よりも大事で、「人の心をつかむ者が成功する」という時代はいつの世も変わらないものなのかもしれません。そんな、人と人のつながりを、戦国時代の武将たちのエピソードから学び取ろうというのが本書です。

★本書には、豊臣秀吉や加藤清正を始め22人の武将たちが連なり、あまり知られていない武将の名前も数多くあります。これは、著者が他の本にはあまり出てこないような人々にもスポットをあて、知って欲しいという思いのもと、ピックアップされているからです。

★現在でも、組織のあり方は追求されていると思いますが、戦国時代の武将たちも部下のモチベーション管理には相当な気苦労をしていたように思います。しかし、ここに紹介されている武将は、全員が名君とされていて、「人の心をつかむ」のが上手いとされている人ばかりです。そのエピソードには、何気ないしぐさや言葉ながらも、部下の心を動かし、人望を集めていった所以が数多く載せてあり、時代は違えども通ずるところはまるで一緒だということが分かります。

★人心掌握をスキルのように捉えることもあるかもしれませんが、それが目的ならばすぐに部下に見破られてしまうでしょうし、スキルとして身につくものではないかもしれません。

★しかし、心がけ、つまりリーダー自らが魅力的な人間に変わることで、人の心を次第に獲得していくと考えれば、リーダー自体の人間としての本質や魅力を磨いていくことが、人心掌握への道を辿ることになるのではないでしょうか。また、ここに紹介されている武将のほとんどが部下を大切にしているということは欠かせず、きちんとした評価を与えるということにも事欠きません。

★人心掌握とは、ただ人の心をつかむだけではなく、人を見抜く目、また適材適所に人員を配置できる、そして相手を喜ばせる術を知っているという、まさに人間学としての要素が強いことを感じぜずにはいられません。歴史は過去のものとしてみれば、ただの記録物にすぎないかもしれませんが、今私達が生きるための教材だとして捉えればこんなに役立つものはないと思わせられる一冊です。

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39)Google 既存のビジネスを破壊する   佐々木俊尚[著] 文春新書

Google ★みなさんもよくご存知であろうGoogle。Googleは検索エンジンというより、今や世界をまたにかける巨大広告代理店と化しています。そのGoogleの収益を支えているのが、キーワード広告や個人HP広告の「アドワーズ」や「アドセンス」。これらをベースに「グーグルニュース」「グーグルマップ」「Gメール」「グーグルネット」「グーグルベース」「グーグルブックサーチ」などのサービスを、利用者に無料で提供しています。まさに“既存のビジネス”を破壊するという言葉が適切に思えてくるに他ならない、Googleの巨大ビジネス。

★Googleの成功は、アドワーズなどに加えロングテールの活用など、まさにピンポイントで消費者の要望にこたえることを実践できたからであると思われますが、何といっても根本にはその技術力にあるのではないでしょうか。

★スタンフォードの大学院生であった、ラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンの2人が創設者であるGoogleは、どこまでもアルゴリズム(計算式)をもとに作られています。「アルゴリズムこそは人を裏切らず、公平で公正なシステムを社会に提供する」という理念のもと、今も走り続けているGoogleは常にデータベース化の先端を行き、やがては全てを検索可能にする時代がくることを予期しています。個人の人生までもが、データベースに収められる「ライフログ」は、まだまだ思案中とはいえ、そのような時代がくることをより実感させられる例です。

★まさに、社会のインフラとして存在する日も近いGoogleは、やがては全てを支配化におくことができるほどの力を持つかもしれませんが、何といってもそのGoogleが存在する「インターネット」の進化そのものが私には、驚きでなりませんでした。現在の私たちが暮している日々の日常とは比べ物にならないほどのスピードで変化し、次々に繰り出されるアルゴリズムの答えは、私たちの生活に知らぬ間に入り込んでいます。

★本書は「Google」とはありますが、Googleを中心としたネットビジネスを幅広く考察し、その利便性を説きながらも、同時に懸念も示しています。ネットの成り立ちから今後の展開まで分かる本書は、はっきりいって面白いです。絶対に一度は読む価値ありだと思います。

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38)外国語上達法  千野栄一[著] 岩波新書

Gaikokugo ★「外国語を話せるようになりたい」と一度は、思ったことがある人も多いことでしょう。でも、なかなか「話す」までに至らず、断念ということも。著者も、思うように外国語を習得できないという悩みから、一転し英・独・仏・チェコ語などを習得できた方法を、当時の様子を振り返りながら詳しく示しています。まさに本書は実用書として使えるもので、読んでなるほどと思うのは惜しいぐらい、語彙・文法・テキスト・教師・辞書・発音・会話と、語学を学ぶうえで必ず必要であろう項目について、より効果的な勉強の仕方が書かれてあります。

★また、言語習得には一目を置かれている“シュリーマン”の話も話題に出し、いかに現在の私達が語学を学ぶうえでは、恵まれている環境にいるかを示し、学習への意欲を高める必要性を説いている箇所は誰もが納得させられるはずです。私達はとにかく情報や知識(語学習得も含む)において、それらを知る・学ぶことだけを目的としてしまいがちですが、よく考えれば「学ぶ」ことが最終目的であってはいけないと思います。目的は、それらを習得することで、何をやるのか、何ができるのかということで、外国語を話せることは自分がより、やりやすくなるための道具でしかないはずです。ですが、やっている自分に満足したり、途中でやめてしまうのは、その先が描かれていないからではないでしょうか。著者も、「語学習得の理由のうち一番有力なグループは、“手段派”と呼ばれるグループで、この派に属する人たちは、語学を習得してそれを手段にしていこうとする人たちである」とし、学習の目的がはっきりしているため、成功率が高いと触れています。

★また、その言語の文化や歴史、社会生活を知るという「レアリア」があるか無いかだけで、どんなに翻訳も違ってくるかということも最後の方に述べており、その大切さを説いています。つまり、語学習得を目的するなら、ただそれだけしか得ることはできませんが(むしろ途中で挫折することが多い)、「語学を手段に」という考えで臨むなら、それだけに限らず、その国の歴史や文化、社会背景にも詳しくなり、思考もさらに鍛えられていくということではないでしょうか。

★何故なら「語学」は、その社会を開く玄関口だと思うからです。このように考えると、みなさんが現在やっている語学も楽しく思えてくるかもしれませんね。

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37)論語物語  下村湖人[著] 講談社学術文庫

Rongo ★「論語」といえば、中学時代の古典の時間に少々触れたことがあるかもしれませんね。その「論語」を簡素な物語風に仕上げ、孔子の思想を一つ一つ分かりやすく描いているのが本書です。物語には28編の話が含まれており、孔子を始め子貢や顔回、子路、などの弟子たちが登場し、日々の生活から孔子の教えを学んでいく様子は、自らを振り返りながら読むことができます。

★孔子の教えはいつも、穏やかにそして深い部分を捉えた内容を示していますが、全て教えを受けている人が自らを省みることができるような形をとっています。なので、弟子たちは自分で自問自答し、孔子の言葉からその気づきを得るのです。勿論中には、孔子が気づいて欲しいことに気づかない弟子もいますが、それもまた未熟な部分であったり、今はまだ考えるに及ばない状態であったりと、本当に現代の私達でも思い当たる部分が大いにあり、「論語物語」で展開されている話は、身近な出来事といっても過言ではなく、私達自身も孔子の言葉から学ぶべきことが数多くあります。

★「教え」といっても、「言って、聞いて、はい終わり」じゃ、師も弟子も何もしていないに等しく、そこには人間としての信頼関係も生まれません。やはり、生に対して自ら「気づく」ということが、人間にとって質を高めていくことに必要なことではないでしょうか。「気づく」ことが、自分の生を豊かにするきっかけになり、行動を正していく要因であればいいと思います。

★そして、自ら「気づく」ということには及ばないこともたくさんあるからこそ、孔子のような“師”というものが存在し、そこから学んで(気づく、考える)いくことで、人間として成長していく・・・・まさに周囲との関係がなければ、このようなことも構築できず、人間としてのあり方も一人よがりなものになってしまうのではないでしょうか。本書の中に、「志をいう」という一編があり、孔子が子路、顔淵の2人に自分の“理想の生き方”を問うといった内容がありますが、ここでは自分をいかに忘れて、周囲となすがままに生きていけるかという一見平凡のように見えて、実はなかなか、成し難い孔子の深い思想に、顔淵共々、気づかされます。

★自分のあり方や、指針、生きる術を考えるなら、ぜひ本書を一度手にとってみるとよいと思います。

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36)青年社長 上・下 高杉良[著] 角川文庫

Seinen ★今、雑誌やテレビでもよく目にする「ワタミフードサービス」の社長、渡邊美樹。彼は、父の会社の倒産をきっかけにして、「将来は絶対社長になる」と決意し、母の死や佐川急便のSDなどを経て、ついに自分の夢を実現するべく歩みだします。

★最初は「つぼ八」のFCから始まり、お好み焼きの「唐変木」、居酒屋「白札屋」、など様々な店舗を手がけ、ついに「和民」の看板を掲げます。渡邊氏は、「人が笑顔を絶やさず、大好きな人々と同じ時間を共有し、くつろげる空間を作りたい」との思いを胸に日々邁進し続け、その行動力と、夢にまっすぐな姿勢には誰もが心を打たれます。「夢に日付を」は、渡部氏の代名詞といっても良いぐらい、よく聞かれる言葉ですが、自ら信じた将来に対して貫き、困難な事態もその不屈の精神で乗り越えていくさまは、読んでいる人にも元気を与えてくれるはずです。

★“社長”といっても様々なタイプがいると思いますが、何を信じ、何をもって生きていくのか、そして、創業当初から店頭公開するまで、本書では若かりし頃の渡邊氏の様子が鮮明に描かれているので、とくに「何かしたい」「成功したい」と思っている学生は一度読んでおくことをオススメします。

★よく学生は、社会人や会社を別世界と感じてしまい、「今の自分はダメだけど、社会人になれば変わるはず」という錯覚をおこしてしまいがちになります。しかし、今の自分が変わらなければ社会人になったときの自分が変わるはずもなく、また突然何でもできるようになるはずがありません。自分はどういう社会人になりたいのか、この社会で何をなしとげたいのか、ある程度考えておく必要があると思いますし、考えたならそれに向かってコツコツ準備をしていく必要があると思います。本書は、そういった意味でも、背中を一押ししてくれるようなものでもあり、また現在の学生生活にもチャンスがたくさん転がっているんだということを気づかせてくれます。現在も走り続けている渡邊氏の、創業エピソードをぜひ一度読んでみてください。就職活動のあり方にもヒントを与えてくれるはずです。

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35)逆発想術 竹村健一[著] 徳間文庫

Ghatu ★「この情報化時代をどう生き抜くか」というテーマのもと、竹村健一氏の著書です。私達は“常識”ということを常に頭に入れながら生活しているかもしれませんが、でもそれが自らの発想や行動を抑制していたとしたら?従来の私達の固定観念を見事にひっくり返し、どのようにこの社会を生きていけばよいのか、ヒントを与えてくれる内容です。「モーレツからビューティフルへ」「二重思考」などといった言葉を広めた竹村氏は、本書で「内から外へ」という言葉を頻繁に多用します。

★つまり、簡単にいえば「自己」から「他子」へということだと思いますが、人間の在り方にしても、企業のあり方にしても、「内」を判断基準に行動していってはナンセンスだということです。この目まぐるしく動く社会の中で、落ちぶれることなく生きていくには従来の発想をしていては、社会から取り残されてしまうという警鐘を鳴らしています。最近の若い人たちはよく「自分を探す」「自分を見つめる」という言葉を使用しますが、それこそ自己に埋没してしまって、探したり、見つめたりすることは逆にできないのではないでしょうか。また、「自分」「自分」といいながら、連帯意識や仲間意識はある意味大変強く、「流行」が連鎖的に大変なスピードで広がっていくのも、そのような性質を裏付けるているように思います。

★竹村氏の、若い人たちの傾向を洞察し、言及している箇所はとても20年前には書かれたとは思われないほど、実は的を得ていて、現代でも十分通じる内容です。その時代を見抜く目をこの「逆発想術」で学べると考えるとより、本著を読むのが楽しみになってくるのではないでしょうか。

★大学という限られた枠の中だけで、自分と似たような人々とばかり生活していると、いつしか自分の頭の中も、小さな枠の中だけしか発想できなくなってしまいます。そのような状況を回避するにも、様々な人の考え方に触れ、自らの発想の枠を大きくしていくことも学生時代には必要なことと思います。

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34)こんな「歴史」に誰がした  渡部昇一、谷沢永一[著] 文春文庫

Konreki ★「日本人として、誇れるか?」「日本という国が好きか?」このような質問をされたなら学生のみなさんは、どのように答えますか。答え方は様々でしょうが、少なくとも自分が生まれた国を否定するような気持ちは持ちたくないと思います。私たちは、中学・高校の歴史といえば、何故か日本の悪態をつくようなことばかり学んで、日本って悪い国だなあという印象を持ったことも少なくないと思います。

★本書は、そんな中学の歴史教科書を真っ向から批判し、本来ならどうあるべきなのか、また、そのような状況がなぜ起こりえたかを、渡部・谷沢の両氏が対談の中から明らかにしています。

★それは一貫して、日本のよさを正しく理解したい、そして事実をきちんと把握してもらいたいという思いから、聖徳太子と隋の国交や日本とシナとの関係、日本の美意識に至るまで、学校じゃ教えてくれなかった日本のもう一つのあり方に触れることができます。歴史の認識は、様々な解釈があると思いますが、それでも自国の歴史のよさを見つけていこうとする姿勢は必要だと感じさせられます。

★昨今の若者は海外志向が強く、すぐに憧れを抱いて、在学中に海外を訪れたりすることもしばしばありますが、帰国してからよく聞かれる感想の一つに「もっと日本のことを勉強していけばよかった」ということがあります。これは、旅先での現地の人々との交流から感じたことでしょうが、このように実際に行かないと気づけないという人が多いことは、まさに自国の歴史に対して関心が薄いということを表わしている証拠だと思います。

★きっとその根底には、日本人としての誇りを持てるような歴史を学んでこなかったということもあると思いますが、先人たちとの「日本に対する思い」を共有できていないことが、原因にあると思います。つまり、表面的な歴史的事実ばかりを知り、そこにはどういう思いで人が動いていったのかという一番大事な箇所がすっぽり抜け落ちているため、「過去と今は違う」という風に自ら日本人としての繋がりを断絶せざるを得ないからです。本来なら、国を作ってきたのは「人」であり、「未来への思い」だと思います。それが受け継がれていくからこそ、国は存続するのであり、発展していくのではないでしょうか。特に日本の場合は今まで一度も文化や文明が途切れることなく上昇していった国としては、世界的に見ても一目を置かれる存在です。

★そんな、人間としての繋がりを、そして「日本人」としての繋がりがあることをむしろ誇るべきであり、そのように思えるようになるのが、大事だと思います。本書はそういう意味でも、「日本」という国を今一度考えることのできる内容です。

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33)いかに書を読むべきか(読書と人生) 倉田百三[著] 教養文庫

Ikani ★本を読むということの必要性、重要性、緊急性を感じぜずにはいられない内容です。それは本当に人間として成長していきたいなら、学生時代だからこそ、若いからこそ、「読まなければならない」ということです。「本を読む時間がない」とは、むしろあり得ない話として、認識することができるでしょう。

★著者の倉田氏は、「学生時代においては読書をしないとは、怠惰の別名であるのが普通である」と指摘し、「読書をしない青年には有望なものはいない」と一刀両断しています。また、「生を愛し、人類を思う青年は読書せずにいられるものではない」といい、「あの中から世を驚かす未来の天才が出てくるのであろうかと心強い気がする」と読書に励む若者を称えています。ただ、私たちが読書をするといっても、「じゃあ、とにかく読めばいいんだね」と、「読む」ということを目的にしてはいけないと思います。これは本著の中にもあることなんですが、書物が何でも与えてくれ、書物から全てを学び得ると考えてしまう没我主義になってしまうと、自分が「本を読む」ということの真の意味を取り違えてしまいます。

★「書物は他人の生、労作の記録、贈り物であり、決して自分の生、労作ではなく、他人の生と労作との成果をただ受容して、済まそうとするのは怠惰である」本を読みながら、「なるほど!」「すごい!」と心を動かされる場面はよくあります。ですが、感情が動いて読み終わった後はそれで終わり・・・なら、最初から何をもってして自分がこの本を読もうとしたのか、という「問い」が浅いに過ぎなかったのではないでしょうか。

★自分の生は、体験するにも観察するにも、“期限”があります。これは、生物ならやがてはくる終焉の時ですが、それを考えればいかに残された時間が少ないことか。本当に自分の人間の質を高めたいと思うなら、「書物」という他人の生や体験、研究の遺産を受けて、その2倍も3倍も自分の生への質を高めていくことが必要なのでしょう。

★つまり、「書物を読む」ことは、人間が豊かに、そして人間としていかに生きていくべきか、そのように一緒に自分の生を作り上げていくパートナーとして捉えるとよいのかもしれません。ただ、書物に自分の生への答えはなく、答えを出していくのに必要な道具をいろいろと目の前に差し出してくれ、それをどう組み合わせ、どのような使い方をし、何を生み出すかは自分で判断していくしかないと思います。このように考えれば、倉田氏が、「読書をしないことは怠惰だ」といっていることも、「自分の生に対して、関心がない」ということだと解釈しても過言ではないかもしれませんね。

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32)これがサンリオの秘密です。 辻信太郎[著] 扶桑社

Sanrio ★「サンリオ」の “キティちゃん”と聞けば、今やもう女子中高生の中に知らない人はいないほど、愛されているキャラクターです。最近は、三菱自動車のCMに出てたりなんかして、宣伝・販促に一役買っているようですね。これも、キティちゃんの幅広い年齢層から支持されている特長をいかして「展示会を中心とした販売」を強化していくそうですが、このようにキティちゃんは、現在世界60カ国で年間約5万種類もの商品が販売されているほどの売れっ子ぶりです。

★さて、本書はそんなキティちゃんの生みの親であるサンリオ社長の辻氏が「サンリオ」という会社の成り立ちから今後の展望を書いたものです。著作権ビジネスがまだ日本に全く存在しなかった頃、辻氏は版権を売ろうにも、ロイヤリティーをいくらにしたらいいかも分からないという、全く手探りの状態から始めました。そのころは、あのディズニーでさえはっきりとした基準を持っていなかったというから、その先見性には驚きです。また、当時はモノを作ればどんどん売れるという時代。そんな時代に、わざわざ著作権料を払ってまでキャラクターという名の付加価値をつけて売りたいと考えるメーカーもいなかったということで、やがてはビッグマーケットになるであろうことを夢見ながら、コツコツとキャラクターを育てていき、今では世界規模へと展開していけるまでになりました。

★この、設備投資もなにもいらない著作権ビジネスを日本で先駆的にやっていこうとした辻氏の発想と、市場でキャラクターが必要とされるまでの恐るべき忍耐の強さに、本書を読めば誰もが「すごい」と感じるのではないでしょうか。よく、学生時代「こうなったらいいな」と夢を描くことも多いかと思いますが、それを実現する手段までは考えませんし、明確な行動へと結びつかないことも少なくありません。一度抱いた自分の社会に対する思いを実現するには、何らかの形でそれを社会の中で具現化していかなければならないということを、この辻氏の著作権ビジネスの確立から教えられます。

★辻氏は、人間にとっての幸せを追求していく中で実現したいその思いを、どのような手段を使って実現してきたのか、それから今後どのように展開していきたいのか、学生時代に将来を考えるうえでもヒントになる書だと思いますよ。

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31)本はどう読むか 清水幾太郎[著] 講談社現代新書 

Honha 「若者の活字離れ」そんな言葉を、よく耳にしますね。これは、日本に限らず中国などでもそのような現象が起きているということで、その原因も「時間がないから」と日本の若者とも、似たり寄ったりの感想です。日本では読書率の低下が叫ばれてから、大幅に改善されたかといえば、今だそうでもないようです。ただ、大学生のみなさんは、「本に触れる」機会をより多くもつことが、学生生活をより充実させるうえでも必要なことだと思います。本書は、「本を読む」ということをどのように捉えればよいかを、著者の経験も踏まえたうえで書いてあり、非常に読みやすい内容となってます。例えば、本には、実用書・娯楽書・教養書の3つがあり、「教養書」を読むことが自分の生活の質を高めていくということに繋がっていくとしています。つまり、教養書とは実用書や娯楽書とは違い、必要・強制・欲求・誘惑を感じる要素が欠けていますが、自分の生活を高めよう・豊かにしようと思うなら、読むべき本だとされています。そのため、自分自身の決断と努力によって読むほかなく、そこに立派に生き、立派に死ぬための読書ということも同時に感じられるのです。また、本を読む際には誰もが感じるであろう、読み終えれば「内容を忘れてしまう」という現象。これに著者も頭を悩ませたらしいですが、読後感を書きとめるということで、その方法も著者自らが試行錯誤しながら確立させていきました。「本を読んで、理解したということは、心の表面に成り立つうえでの理解しかなく、自分の文章に表したとき、初めて深い理解が生まれる」という言葉は、まさに私たちも、一度見直すべき事柄ではないでしょうか。このように、いわゆるハウ・ツー本というよりも、著者自らの本に対する考え方や接し方からいろいろと言及してあるので、著者の清水幾太郎氏の魅力にも同時にひきこまれてしまうはずです。「読書とは、書物と交際すること」。著者の言葉でありますが、私自身「なるほどな~」と感じた箇所です。みなさんも、「本を読む」ことの面白さや、もっと効果的に読みたいという読み方を知りたいなら、ぜひ本書を読むことをオススメします。きっと、読書は勿論、レポートや論文の文献も、読むのが楽しくなってきますよ。

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30)経営の勉強はこうするんだ! 磯田一郎ほか12人の経営者[著] 中経出版

Keieis ★京セラ、セコム、リクルート、ユニ・チャーム、ミサワホーム…….どれも聞いたことのある企業名ばかりでしょうが、これらの企業はどういう社会的使命をもって存在しているのでしょうか。また、誰のどんな思いを実現すべく、商品やサービスを提供しているのでしょう。学生に限らず、一般的に「消費者」としての視点しか持ちえていないなら、このようなことは触れる機会がないかもしれません。ですが、一度触れると社会の見方も変わってくることだと思います。

★本書は、13人の社長それぞれが、創業時の苦労やどのようなことを経験してきたのか、また経営というのは何なのか、ということを書いたものです。例えば、ワコールの塚本幸一氏は、経営の起点を戦争体験にあったことを明かし、奇跡的に生き残れた自分の人生を精一杯全うすることで、その“生かされた”身を亡くなった戦友の分まで生きようとしました。そこで、「一生を賭ける仕事がしたい」というその思いに適ったのが、“女性の美しさ”を追い求めることだったのです。終戦直後は、食べるものにも汲々とする状態であり、そのような中「ぜひ、日本人の女性に女性らしさ」を取り戻して欲しいとの想いから、ブラ・パットを扱い、やがて、下着へと展開していきます。軌道に乗るまでには、勿論様々な困難や難問が目の前に立ちはばかってくるのですが、それをどのように受け止め、どのように乗り越えてきたのか、また塚本氏の信念がどこにあるのかが描かれています。

★学生時代は、「就職活動」というものが目前に迫ってくると、自ずと企業に目を向けるようになるのですが、「企業のどこを見て判断していけばよいのか」ということにまず悩む人も少なくありません。そんなときは、まず企業というものが、どういう思いを持って存在しているのかを知る必要があると思いますし、それを創業した人は未来にどのような思いを描いたのか、そこに触れるだけで随分捉え方が変わってきます。先にも述べましたが、“消費者”としての視点だけでは、特に何の感情を抱くこともないかもしれませんが、そこには「人」の思いや情熱が詰まっていることを知れば、自分の未来のビジョンや思いも同時に見えてくると思います。そんな機会を学生時代に作ることは、就職活動を行ううえでも社会人として働いていくうえでも、自らの糧にしていくことができることでしょう。

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29)松翁論語 松下幸之助[述]江口克彦[記]  PHP文庫

★「論語」と聞けば、思い出すのは孔子の教えということでしょうが、本書は長い間、松下幸之助の傍で仕事をしてきた著者が実際に松下氏から聞いた言葉や、松下氏の著作の中で感銘を受けた章句等を「論語」になぞらえて、作成されたものです。本文も「子、曰く」に変えて「松翁ある人に次のように言われた」との書き出しから始まります。松下幸之助は「経営の神様」と呼ばれるほど日本ではメジャーな人物でありますが、その言及するところは、経営だけに限らず、政治や教育、家庭、人生など多岐に渡っています。本書を読むにあたり感じたことは「この人、本当に経営者?」と思うほど、氏自身の哲学たるものがしっかりしていて、大変奥深い言葉が多いです。

★松下氏は、何事も「考え抜く」という作業においては妥協しなかったそうですが、そのような姿勢が経営や人生の目をも啓かせたのではないかと思います。学生時代は特に、「自分の思うように時間を使える」という状況の中、約4年間を充実させる人もいれば、無駄に過ごしてしまう人もいます。この過ごし方の違いは、やはり信念を持つかどうかではないでしょうか。「信念」といえば少し堅苦しくなるかもしれませんが、自分がどう生きていきたいか、それに素直に従っていけば、自分の信念もより強固になり、人として生きる術を見出していくのかもしれません。

★本著の中でも、「巻九」に“素直な心になれば”という箇所があるのですが、その中で「素直な心になれば、心の目がひらけて、自然の理法を感得できるようになる。……..」という言葉があります。つまり、私たちは普段物理的に目を開いてはいますが、もう一つ目をひらく必要がある。それが心の目をひらくということではないでしょうか。人間の意思というものは強固なもので、自分の行動を全て支配しています。その意思を、自分が健全だと思う方向に保っていくためには、松下氏が述べているように「素直な心」になり、「自己観照」をしていくことが、大事だと思います。しかし、この「自己観照」という言葉、一見簡単そうに見えて、実はものすごく自分を律さなければ見えてきません。

★「学生時代」という一つの限られた時間もどのように過ごしていくかは、日々模索中であるかもしれませんが、やはり定期的に自分を冷静に捉えることも必要だと思います。そんなときに、この「松翁論語」を手にとってみると、実に幅広い分野に渡って言及してあるうえに、松下氏の人生観や哲学にも触れられるので、自らの心の目をひらくきっかけにもなりえる書なので、ぜひ一読してみると良いです。

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28)③金持ちラッパの吹き方  藤田田[著]  ワニの本

Rappa_1 ★「頭脳産業」まさにこの言葉がぴったりあてはまるなあと、本書を読み終えて第一に感ずるところです。本書も以前紹介した二冊同様、藤田氏の金儲け哲学満載でありますが、またまた、氏のその発想のいくところを学べます。

★藤田氏の中に良く出てくる発想は、時代の少し先を行く・時間を意識する・科学的視点の三つですが、いずれもビジネスを生み出すには必要不可欠なものだと思います。とくにこれからはハードウェアの時代ではなく、「ソフトウェア」の時代とし、土地や設備がなくとも大儲けできるということで、いかにして知恵を絞り、それを時代の波に乗せていけるかを鍵としている点は、納得させられるところです。「マクドナルド」も、全ては厳密に計算され、分析され、日本人の口に自然に入るように計画されていました。その予測は見事にあたり、わずか10年で売り上げ1000億円までになったことは有名です。

★藤田氏の考え方の中には、常に物事を大局的に見る、ということが一貫して感じられます。例えば、マクドナルドなら、「お客さんが店舗に足を運んで食事をして帰る」そこだけを見るのではなく、お客さんが店舗にくる前から、また帰った後も、そして果ては親から子へ、孫へと、人間の連鎖的性質も全て考え、見抜いています。決して「ハンバーガー」を売ることだけは考えていないのです。「時間を売る」「新しいライフスタイルを売る」そして、「文化を売る」――恐らく消費者の視点だけでしたら、「マクドナルドは、安いハンバーガー屋さん」としか捉えることができないでしょうが、創業者の藤田氏の考えを一度見れば、いかにして計算されていたかに驚きます。

★そして、藤田氏を語るに忘れられないのは「克己心」のすごさです。若いころに、毎月10万円ずつ30年間貯め、一度もその貯金に手をつけることのなかったという氏の意志の強さは、私達若者は特に敬服すべき点ではないかと思います。(結果30年間で、一億二千四百万円貯まったそうです)単純に考えれば、そのお金だけでも暮していけたでしょうが、結局それに手をつけることないまま息子に引き継いでもらおうということだったので、ここに氏の並外れた心の強さを感じることができます。藤田氏の発想はさることながら、人生論も学べる一冊です。

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27)天下取りの商法  藤田田(デンと発音して下さい)[著]  ワニの本

Tenka ★「ユダヤの商法」「頭の悪い奴は損をする」に続く、藤田田氏による金儲け学の一冊。現在でも外食産業で一位を誇る「マクドナルド」の礎を築いた藤田氏は、本書を見れば「分析の達人」という印象を抱くのは間違いないと思います。何故なら、口調は毒舌で何事もはっきりと断言し、そこに実は、いつもいつも数字の裏づけがあるからです。「先見性」という言葉はみなさんもよく耳にするでしょうが、まさにマクドナルドの発展も藤田氏の優れた先見性によるものです。

★昭和46年に日本にハンバーガーを持ち込み、予想通り売り上げ一千億円を到達し、まさに新しい「文化」を築きあげた彼は、マクドナルド第一号店を銀座に出店する際にも、日本初の「ドライブスルー」を立ち上げた時も、自ら現場に赴き、その観察眼から見事に自分の予測どおりに事を成し遂げました。

★この観察眼は、周囲の状況を把握・判断し、また自分の考えや勘だけに頼るのではなく、人口や車の台数、他店との売り上げからみる予測、などその判断を下すのに必要とする情報を集め、そこから解決策を図るという点において特に優れていたように感じます。また、数字だけではなく、人の行動特性や心理状況、日本人の気質など、全てがビジネス成功への架け橋となっていることもわかります。

★まさに本書の中で彼が述べてあるように「科学する心」を十分に生かしているのです。マクドナルドは、実にあらゆることが科学的な根拠によって組み立てられていることに本書を読めば驚きますが、例えばハンバーガーの厚さは人間の口に入ったときに一番美味しいと感じる厚さ17ミリに統一されたり、そのパンの気泡も5ミリが美味しいということで全て5ミリになっていたり、ハンバーガーと一緒に進めるコーラの温度は摂氏4度に確実に管理されていたり……..とありとあらゆることが、科学的に研究された上で、私達の口元に運ばれているのです。

★このようにして、「日本にハンバーガーを根付かせるには、どうしたらよいか」という問題解決を図るに必要な情報を取り出し、それを分析し、アイデアへと繋げていく発想は、まさに私たちにも必要とされている能力だと思います。

★「先見性」といってしまえば、「自分にはそんな大それた能力はない」と思ってしまいがちですが、その「先見性」には、自分の中で考えて判断して「恐らくこうだろう」というギャンブル的要素は実は全くなく、未来を予測するに足りる情報をかき集め、そこから傾向を見出し、その流れに乗る――ということではないか、ということを本書の中で藤田氏が教えてくれているような気がします。自分のやり方そのものをまねるのではなく、どのように考え、その考えたことをどのようにビジネスに生かしてきたか、それを学ぶことが儲けへの近道だ、それを気づかせてくれます。

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26)言葉(考えるヒント)  小林秀雄[著]  文春文庫

Hinto ★「言葉は似せがたく、意は似せ易し」(本居宣長)――これは、言葉は真似し難いが、意味は真似しやすいという意味ですが、「えっ!逆じゃないの?」と思う人もいるかもしれませんね。確かに私達は、言葉を真似るのは簡単だけど、その意味を理解するのに時間を要するという考えが一般的です。しかし、著者の小林秀雄氏は、「意には姿がないから、意を知るのに似る似ぬのわきまえは無用。だから意は似せやすい」としています。

★私たちはよく、有名人や偉人の言葉に感動すると思いますし、それらの言葉を支えにして、「座右の銘」としている人もいることでしょう。そして、その言葉に出会った時に自分の中で生じるのは、「この気持ちわかる」とか「なるほど」、「確かにそうだ」…….など、共感や発見、気づき、衝撃、感動、羨望、憧れ――つまり、湧きあがる感情を自分の心で「感じ取る」ものです。そういう「感情」は自ら求めずとも、人間なら自然にあります。しかし、私たちはその湧きあがった感情に従う中、「この人の言っていることが“分かる”」と思い、さもその人が経験したことを体験し、全てを理解したような気になっているのが、実は錯覚にすぎなかったんだということを、深く深く、気づかされます。

★いわゆる人々の感情を動かす「言葉」は、発した人の経験や体験、苦悩や喜び、感動や悲しみ、思考傾向など、その人のこれまでの人生や知識から裏打ちされ、搾り出された「結晶」のようなものだと思います。人々はその「言葉」の後ろに、広大な“人生=人が生きる”を見、感じ取るからこそ、深く心に響き、何らかの感情が湧き上がるのです。にも関わらず、「本当は何を言っているのか知らずに、意見をいうということは、私達には極めて普通」である世の中、いかに自分の言葉に責任を持たず、物事にしてもなんにしてもうわべだけをすくい、そこで浅はかな思考を繰り返しているかが、垣間見えるようでもあります。でも、それで通ずる世の中であり、それで意思疎通をしている、だからこそ「言葉というものは恐ろしい」のだと思います。

★「詞(言葉)は求めて得るもの、情は求めずとも自然にあるもの」とし、“形のないものから形が、不安定なものから安定が求められている”とした宣長の考え方を、小林秀雄氏は「生きとし、生ける物の努力」だと述べています。そう考えるとまさに、「言葉」というのは、私達が「生きる努力」つまりその“姿”から生まれたものであり、だからこそ、「言葉は似せ難い」――そう言っているのではないでしょうか

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25)DenFjitaの商法① 頭の悪い奴は損をする

Atama ★アメリカから「ハンバーガー」を輸入し、日本人を「色白の金髪に改造する」という大胆な発想を持ち、日本に「マクドナルド」を広めた人――その名も藤田田(デンと発音して下さい)。当初、「日本にはパンを食べたり、立って食する習慣がないから、日本でやっても無駄だ」と周囲の非難を浴びたものでしたが、その周囲の反応をものともせず、日本にうまく取り入れ、「マクドナルド」を現在も続く超巨大産業に仕立て上げました。

★なぜ、ここまでマクドナルドが成功するに至ったのか・・・それは、彼が輸入したのはただの食品ではなく、「文化」を輸入したからです。つまり、新しい文化を人々に根付かせればよいわけですね。人々の生活様式に介入してくる文化は根付けば、また新しい文化が織り成されるまで次の代もその次の代も・・・と続いていくものですが、そこに彼は「ハンバーガー」というものを見抜いたのです。

★「頭の悪いやつは損をする」というタイトルも少々過激ですが、中身はもっと過激です(笑)しかし独特の語り口調と、歯に絹を着せない言いっぷりは面白く(たまにヒドイと思いますが)、また、流れ行く情報の波に乗り遅れないように、常に先を予期しながら、先手先手を打っていく彼の発想は学ぶべき箇所が多分にあります。そこには、いかにして私達が自分の頭を駆使しながら、物事を創造し、実行していくかに限られるわけですが、各章で「~だ」という断定を必ず使用しながら進められていく本書を見ると、「実は儲けるのはシンプルなことなんだ」という声が聞こえてきそうな気がします。私たちは、普段から物事を複雑に捉えようとする傾向がありますが、それは根本に「情報収集」つまり、「知識」をつけることばかりに執着しているからではないか、と思います。

★本書の中で藤田田(デンと発音して下さい)氏は、ウォーレンシュタイン氏の「人間は知識よりも知恵を尊重すべきだ」という言葉を借りながら述べており、「情報を集めることによって付いたその知識を、何かを創造することに活用することで初めて生きてくるものだ」としています。それがつまり、頭を使うことであり、頭の回転を早くする源になるのではないでしょうか。

★本書の内容も、一貫して藤田田(デンと発音して下さい)氏が、どのように情報を捉え、それを実行してきたかにつき、その発想を学べるようになっています。「頭の悪いやつは損をする」というのは、情報を掴んだだけで満足している人々にもう一度、自分の考え方の鈍さを気づかせ、日本人を元気付ける、実は優しさに満ち溢れた書ではないかと思います。

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24)代表的日本人  内村鑑三[著]鈴木範久[訳]  岩波文庫

Nihonjin ★今、世界で活躍している日本人は分野を問わず数多くいることでしょうが、みなさんは自分が日本人であることに誇りや自信を持っているでしょうか。本書は、著者内村鑑三が日本人を紹介することにより、日本文化、価値観を紹介した本です。明治初期の当時、世界の列強と呼ばれる国々はその殆どがキリスト教世界であり、異国の道徳、異文化と言ったものは理解どころか想像さえ難しい状態にありました。そこで著者は、日本と日本人の素晴らしさを知ってもらうために英文で書き、世界の人々に日本という国を伝えたのです。

★そのため、原題は“Representative Men of Japan”となっており、これをまた翻訳したものが私達の手元にあるので、最初読んだ時には少し違和感を覚えるでしょうが、このような背景を知っていれば、さらに本文を読み進めていくことも面白く感じます。特にこの「代表的日本人」に関しては、その執筆背景を知ってから読む方が、著者がどのようにして日本人を外国人に紹介しようとしたのか、何を優れているべき点として捉えているのか、を考えながら読めるので、ただの人物本として読むよりは得られることが多いでしょう。

★さて、代表的日本人として挙げられているのは、西郷隆盛・上杉鷹山・二ノ宮尊徳・中江藤樹・日蓮上人、以上の5人です。恐らくこの5人を見たとき、「知らない」という人もいるかもしれませんが、いずれも日本の発展に尽くした人で、日本人として誇り高く生きた人々でありました。また、彼らには、その考え方と行動力に敬服するものがあり、西郷の「機会には2種類の機会がある。求めずに訪れる機会と我々の作る機会とである。真の機会は、時勢に応じて理に適って我々の行動するときに訪れるものである。大事なときには、我々が作り出さねばならない」、「どんなに方法や制度のことを論じようとも、それを動かす人がいなければ駄目である。先ず人物、次が手段の働きである」、鷹山の「賢者は木を考えてから実を得る。小人は実を考えて実を得ない」、尊徳の「利己心はけだもののものだ。利己的な人間はけだものの仲間である。村人に感化を及ぼそうとするなら、自分自身と自分のもの一切を村人に与えるしかない」「一村を救いうる方法は全国を救いうる。その原理は同じである」という発想は、現在の私たちでも多いに学ぶ点があります。

★これらを見るとこの5人は自らの発想を以てして、財政再建、雇用拡大、人材育成など、人々の悩みや問題を見事に解決し、その結果を残しえたことから、有能なビジネスマンとしても捉えることが出来るのではないでしょうか。やはり、国を支える・将来の子孫に繋げていくということは、いかにして自国の人々を奮起させ、よりよいシステムを構築し、繁栄させていくことができるかということだと思うので、当時の日本人にも欧米とは負けず劣らず人格的にも、能力的にも優れた人物がいたということを、著者の内村鑑三は身をもって述べたかったのではないかと思います。

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23)いやでもわかる財務諸表  太田昭和監査法人[編]  日本経済新聞社

Zaimu ★みなさんは小学生や中学生の頃、通知表をもらうことにどきどきしていませんでしたか?それまでの自分の頑張りが、どう評価されているのか、気になったことでしょう。「財務諸表」と聞いて、「私には無理」と反射的に拒否反応を起こすかもしれませんが、実はその「財務諸表」が年度の終わりや中間に公開される会社の通知表と思えば、少しは興味が湧いてくるかもしれません。

★実は、財務諸表はただ数字が並んでいるだけではなく、そこから企業の経済活動や現状を把握でき、自分で実体を掴むことができます。学生のみなさんなら就職活動で企業を選ぶ際に、ネットで得る情報や先輩からの情報、説明会での情報が主で、「どこの会社も同じアプローチで、どう選定すれば良いのか分からない」ということをたまに耳にしたりしますが、企業の財務状態を一つの情報源にするのも良いと思います。何故なら、数字だけはごまかすことが出来ないからです。

★例えば、「うちは○○業界では、売上・利益ともに業界一位なんだ。テレビCMでも有名なアイドルタレントを使って人気商品の宣伝をしているし、主力商品のシェアは、50%を超えて業界一位、資産規模も一兆円を超えて業界一位だしね」という風に聞いたら、それだけ財務体質もよく、順調のように感じるかもしれませんが、果たして企業規模が大きく、資産規模・売上・利益が業界一位ということが、超優良企業といえるのか・・・。実は資産をどのように有効活用しているかがポイントになってくるのですが、そのようにただ良い数字を出されただけで、「良い」と判断することが、いかに表面的で情報に振り回される原因になるかが、同時にわかってくることでしょう。「財務諸表」も、ただ数字だけをみれば、数字が大きいほうがよく見えたりするものですが、その数字の比率や変動、どこにお金を使っているかを見抜く目を持つことが重要だと思います。

★このように見れば私たちは、「情報」に結論や答えを求めるのではなく、情報は一種の結論や答えを見出す「手段」にすぎないということもわかってきます。「情報化社会」「情報の氾濫」といわれる時代ですが、私たちは使える道具が増えたと捉えることで、今度はどの道具を使えばよいかに、意識を向けることが出来、それが、「情報の選別・取捨選択」になります。私自身も数字には苦手意識があり、何とか数字から判断がつくようになりたいものだと思い、本著を手にしたのですが、「財務諸表」一つとっても、こんなに会社の状態が分かるのかと、思わず読みながらニヤケてしまうほどでした。同時に企業やお店に関する普段の「?」も解消でき、すぐに読んでしまえる面白い内容です。

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22)学問(考えるヒント2)  小林秀雄[著]  文春文庫

Hinto2_1 ★現在、「学問」という言葉を聞けば、「知識を身につけること」だという意味合いのものが多く、それは「読書」に関しても「何か知識や情報を得たい」という思いのもと、私たちは、読書していることが多いかもしれません。

★しかし、古来の人々は読書をするとは知識の収集ではなく、いかに生くべきかを工夫することだと捉え、逆に道理や心理を求めようとするからこそ、自己流に陥り、勝手に聖人の思想を再構成することになる、ということを著者は述べています。つまりそこには、自分が捉えられるように、捉えてしまい、本来書かれてあることには深く追求せずにわかってしまった気になっていることが、愚かな行為だということが含まれてあるのですが、これは私達がものの理解をしようとする時に頻繁に起こりうることではないでしょうか。

★私たちは学校の授業のように、何に対してもすぐに答えを求めようとすることで、自らを安心させ、納得させることが出来ると思っていますが、その思考傾向が実は現在の若者の忍耐力や精神力を奪っていることに繋がっているのかもしれません。例えば身近な例でいうならば、業界を一つに絞った方が対策も立てやすく、無駄な努力がないと思い込んでしまう学生の就職活動に対する姿勢にも顕著に現れており、そこには最短であまり労力をかけずに自分に適した将来像を見出したいという心理が感じられ、「仕事」というものをじっくり捉えようとする忍耐や我慢強さというものとは無縁のように思われます。

★素行や仁斎、徂徠は、みな読書の達人ということで、ただひたすら言を学んで、我が心に問い、紙背に徹する眼光をいかにして得ようかと、肝胆を砕いたと言います。つまり、何の努力をしないでも耳に聞こえてくるがままに理解できる知識に頼らず、眼前にある事物を信じず、書物の奥から現れてくる「心」を見る目を養うということでありますが、ここにはそうすることで、じっくりその事物と向き合う忍耐力も同時に養われてくるはずだと思います。

★古来の人々は、それがごく自然なことだと説き、読書にいたっては精読・熟読を常だとしましたが、今日の私達の学問においても、今一度先人に見習うべきところがあっても良いのではないかと思わせるような内容です。

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21)徂徠(考えるヒント2)  小林秀雄[著]  文春文庫

Hinto2 ★「理」というのは物事を捉えるうえで必要であり、それを追求していくことが「分かる」ということに繋がる…….そう思っている人は多いと思いますが、それはきっと「歴史」に対しても同じかもしれません。

★「一理のうちに収まったこの世の如きは死物である。この無尽の変動が歴史であり、これは理に酔った眼に見えるものではない。歴史というものが見えず、歴史という事実を知らず、歴史に理ばかり読んでいるなら、いっそ歴史という言葉を口にしないほうがいいのだ」著者の小林秀雄氏は、徂徠の「見聞広く、事実に行わりたり候を、学問と申事に候故、学問は歴史に極まり候事に候」という言葉から、歴史や学問というものをすぐに「理」で分かろうとするということは良くないと説いています。私たちは、これまでの教育で「事物から問題を発見し、そこから改善策を見出し、解決する」といういわば、問題解決能力を養う勉強法よりも、与えられた問題を適切な方法で処理すれば点数がもらえ、それが学校教育においては、賞賛すべきものだとして捉え、自然と、一つ一つの事物にすぐに答えや知識を求めようとする傾向があります。

★しかし今それが、果たしてよい思考傾向なのか、と問われれば私は疑問を持ちますし、もう一度見直す必要があると思います。

★徂徠は「理ハ定準無キモノ」という事をしきりに述べ、「理」を求めることの落とし穴を説きました。つまり、「理」とは事物に自然にあるものではありますが、この条理を推度するのは「心」であり、実は物の理をいうといっても、各人が自分に見えるところを見えるといい、見えないところを見えないといっているに過ぎないということであります。そのように考えると私たちは、いかに浅はかなところで満足しようとしているのかが分かりますし、自分勝手な生き物だということも同時に垣間見えてきます。私たちは「智」に溺れ、「智」を求めすぎではないか、「智」にあまりにも崇高なイメージを抱きすぎていないか、とさえ思いますし、だからこそ「理屈」ばかりで行動が伴わない、頭でっかち人間になってしまっているかもしれません。

★学生や若者の将来に対する考え方や就職活動も一緒です。先に頭で考え、答えを求めようとする。しかしそれがいかに、逆に自分の発想を限定し、枯渇させているかに気づくことが重要ではないでしょうか。徂徠の基本的な思想は、理を言って智を喜ぶより、生きる方が根本的なことだ、つまり知るより行うのが先であるというものでした。私たちは先に述べたようにすぐに合理的、理路整然……などを求めすぎる傾向にありますが、それが返って物事を複雑に捉え、情緒不安定な自分を作りだしているのかもしれません。

★「道は行フ所ヲ以テ言フ。活字ナリ。理ハ存ズル所ヲ以テ言フ。死字ナリ」仁斎の言葉です。歴史を見るとき、事物を捉えるとき、物を得ず理しか得られないという愚かなことはやめて、それに応じ、習い、熟し「我ガ有ト為セバ、思ハズシテ得ルナリ」という心情を経験していくこと、これが今の若者に求められていることかもしれません。

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⑳私塾が人をつくる  大西啓義[著]  ダイヤモンド社

Sijyuku ★現在教育問題は専ら頻繁に議論されており、それがひいてはニートやフリーター、若者の離職率(現在3年以内で辞める割合は35%)などに関わり、青少年犯罪の低年齢化など、若者を取り巻く問題は、あとを絶ちません。

★なぜ、このような状態になったのか・・・それは戦後教育に問題があり、「人間教育」を怠ったのを原因とし、江戸時代の吉田松陰の松下村塾を初め、さまざまな私塾からその根本的な教育を学び取るのを目指したのが本著の内容です。

★「至誠を貫いて感じないものはいない」これは、松蔭が塾生に接する時に心がけていたことですが、どんな塾生に対しても誠心誠意全力を尽くせば通じないものはないとし、その結果、松下村塾からはその後の日本を担う数多くの若者が輩出されました。また、「志を立てて、以て万事の源となす」ということを重要視し、塾生に志を持つことの大切さを説きながらも、同時に自らのあり方も省みています。適塾の緒方洪庵もしかりですが、現在も語り継がれる「教育者」として名高い人々は、リーダー自身が身をもって実践し、また塾生に愛情をかけ、現状ではなく未来の可能性と付き合うことで、人々の支持を集めていった人が多い。まさにこれらの人々は、「公然の気」を保ち、それを塾生一人一人に植え付けていったのではないでしょうか。つまり、心に「感動」を持つことで、その人を生き生きとさせ、創造力や行動力の原点を養うということですが、果たしてこれが現在の若者ではどうかと問われれば、「否」という方が正しいかもしれません。

★著者は、作家の堺屋氏の言葉を借りながら「現在の“優秀な人材”というのは“試験上手な人”」であるということに触れ、それが支持待ち人間や、横並び人間を育ててきたと述べ、これから求められる人材像へと言及しています。

★「教育」とは一言で言っても、そこにはさまざまな事柄が含まれているわけですが、私は人間が人間らしくあるための根本的な営みがそこにはある、と感じています。教育者は、一人一人の若者の人生を預かっているも同然であり、それを責任回避したりするのは毛頭おかしいことでありますし、若者の意欲や野心、向上心、エネルギーを受けとめられることのできる人々が必要であり、教育者の使命だと思います。それが、ひいては「人間性を育て、個性を伸ばす」という教育に繋がるのではないでしょうか。教育者自らが、正面から若者を受け入れようという姿勢がないのに、どうその個人の個性を見抜くのか・・・シンプルに考えれば、「個性を伸ばす」という教育のあり方も見えてきそうです

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⑲人生を変える80対20の法則  リチャード・コッチ[著]  TBSブリタニカ

Pareto ★私たちは、投下した分の労力や時間に、その成果も比例してくるという考えが根付いており、それが当然のように日々生活している人も多いでしょう。この「80対20の法則」とは、「結果の80%は、20%の努力によって生まれる」という、「パレートの法則」を使いながら、様々な事象を検証し、どれだけ効率のよい時間や生活、仕事ができるかを説いています。この著書を読めば、最初は衝撃を受けるかもしれませんが、2、3回読むと自分の発想や考え方を冷静に捉え、どのように変化させていけばよいか、徐々にそのヒントを掴めてきます。

★同時に自分の発想や考えがいかに枯渇していたかにも気づかされますし、自分で自分の発想を限定していたということにも気づくはずです。「価値ある仕事の80%は、使う時間の20%で達成される」という法則も嘘のように聞こえるかもしれませんが、実は驚くほど仕事や勉強がはかどった時間もわずか20%の時間帯でやっており、時間のごく一部が、残りの大半よりはるかに価値を持っているというのが、事実なのです。

★人々は平等だという理想をかかげながら、実際に勝ち組負け組と呼ばれるような形で、二極化が進んでいるのはなぜでしょうか。人々が均等に富むという現実はありえるはずもなく、世界の富の80%は世界の20%の人が持っているという現実があり、利益の80%は、20%の顧客がもたらし、業界のシェア80%は、20%の企業から構成されている、そんなことが当たり前に起こっているのです。しかし、何故私達はその不均衡の事実に気づかず、いつまでたっても投下した労力と成果は比例するという考えを持っているのでしょうか。(受験勉強なども一緒ですね)

★これは恐らく、その不均衡の事実を知れば、世の中平等じゃないという手痛い現実を知り、頑張っても報われないという思いが湧き上がってくるからでしょう。だからこそ、「頑張れば報われるんだ」「投下した分だけ、その見返りは戻ってくる」そう思わないと人間、どこにモチベーション維持を図れば分からなくなり、それこそ迷走してしまう。しかしそれは、自分の願望に過ぎないというのも事実です。私達が理想としていることは、実は全く架空のもので、それ自体が事実にそぐわないというものを平気で信じているものです。そして本当の現実を見つめ、理解した人だけが、思い通りの人生を歩んでいくのでしょう。

★この「パレートの法則」も大変有名であり、これまでも数多くの人々がこの考えに触れた機会があるでしょうが、今だその成功したパーセンテージが劇的に増えたという事実がないのなら、その法則を本当に理解して、実行できた人もわずか20%しかいなかったということが事実なのではないでしょうか。

★そう考えると人間の思考自体が、平等ではなく、不均衡だということもあるのかもしれませんが、私自身はその20%の枠に入って、自分の思い通りの人生を全うしたいものだと切に思いました。本著は、効率・能率を上げるにも最適なアドバイスが描かれていますが、考え方・発想、そして現在の社会の事実にもハッと気づかされる内容なので、ぜひ一読してみることをオススメします。

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⑱美を求める心(考えるヒント)  小林秀雄[著]  文春文庫

Hinto3 ★現代の私達は情報化社会の中に生きており、知識を身につけようと思えば、いくらでもその情報を得ることのできる環境にいます。しかし、この便利な社会の中で、私たちは物事=対象を真に捉えることの重要性を忘れかけているのではないでしょうか。

★著者は美を求める心とは物の美しい姿を求める心だとし、菫の花一つを見るにつけても、黙ってその花の美しさを感じることだとしています。そこには好奇心ではなく、花への愛情が存在しているが故に可能だと述べており、「菫の花か」と思った瞬間に目を閉じ、見るのを止めるのは、その花の美しさに迫ったことにはなりません。これは物事を捉える際に、名前や性質を知ることで知識を得た気分になり、分かったつもりになっていることへの危うさを示したものであり、学生の就職活動や仕事を捉える際にも同じことが言えると思います。

★つまり、業界や会社の知識を並べたてるだけで知った気分になり、それで満足していないだろうかということです。そういう見方しかしていない人は実は、「何故そこがよいのか」と問われれば言葉に詰まってしまう傾向にあり、明確に打ち出すことができません。本著にもあるように「絵や音楽についての様々な知識を持ち、様々な意見を吐ける人が必ずしも絵や音楽が分かった人とは限らない」というのと一緒です。

★著者の言葉を借りて言えば、愛情を持つこと=心からその対象を欲することが重要であり、むしろそう思える見方をすることが必要なのです。仕事も心から「やりたい」と欲することが、まずは大切なのではないでしょうか。イメージや憧れで、「この仕事は○○だ」と思い込んでいることも、菫の花を見て「菫か」と思い、そこから追求しないと一緒で、表面的な理解だけで、全てを捉えたように思うのは、危険です。美を求める心を知らない人は、真の喜びを知らない人だとも思います。私たちは情報や知識をすぐに得られる環境にある分、「美を求める心」を忘れかけてはいないだろうか、と気づかされ、現代の若者や社会に警鐘を鳴らしてくれている内容です。

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⑰福翁自伝  福沢諭吉[著]  旺文社

Hukuzawa ★「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。(略)されども今広くこの人 間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるものあり、 貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。・・・」この 誰もが知っている冒頭の文は、現在の一万円札に載っている福沢諭吉その人の言葉です。一 般的に、この言葉はただ単に「人間の平等」を説いたものであると誤解されがちですが、実 は当時の封建的身分制度の風習を打ち破る宣言であり、そこに人権の平等を主張し、個人の 独立を説いたのです。

★福沢諭吉といえば、高尚で真面目で偉大な人物だというイメージで捉えている人も多いかもしれませんが、実は大酒飲みで幼い頃はやんちゃでいたずらをしては、よく怒られていたというユニークな人です。本著は口述筆記なのですが、何と言っても口調が面白く、時には荒々しさも感じさせるほどの負けん気の強さも垣間見えます。

★私たちは現在、中学校までは義務教育であり、大半の人が大学まで進んで学問を行いますが、それがどんなに有難く、素晴らしいことなのか、今一度考えてみるとよいと思います。福沢諭吉が目指したもの、それは西洋に引けを取らず、世界中に遅れをとらない強国にすることでした。そのために個々人のレベルアップを図ることを目標に、人材育成に着手していき、日本の文明改進に尽力したのです。福沢諭吉には、ただ西洋の文明をまねすればよい、という発想はなく、それをもとにどのように取り入れ、日本に適応させていけばよいか、そこまで考えていたと思います。

★福沢諭吉に学ぶべき箇所は、その当時の時代が何を欲しているのかということを常に考えていた故の行動をしていた点です。そのため、蘭学から英学への大胆な方向転換、授業料の制定など、当時の人々にとっては理解しがたいものも、見事にやってのけ実際に成果を表すことで、人々の指針となりました。福沢諭吉はまさに、自ら「独立自尊」の精神を実行し、自分の身をもって教え、常に学ぶということを惜しまず、好み、自らそのチャンスを得、自分を高めていくといった姿勢は、現在の私たちも多いに学びとるべき箇所です。

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⑯日本そして日本人  渡部昇一[著]  祥伝社 

Nihon_1 ★みなさんは、自分が日本人であることをどう思いますか?自分のルーツを知りたいと思った ことがあるでしょうか。人類を「農耕型」と「騎馬型」の二つに分けることで、発想や組織のあり方、リーダーシップ、など日本人の性質に迫った本著は、そんな「日本人の日本人たる所以」が見事に解明できる内容となっています。

★いわゆる「農耕型国家」とされる日本人は、土地への執着心の強さから始まり、それが「和」の人間関係を生み出し、リーダーには実力よりも徳を重んじる「徳治主義」的性質を求められます。その根本には、隣人が変わらないという「安心感と定住」の意識が強いことから発していますが、これは同時に「嫉妬」を生み出すにも十分な状態であることも言えます。

★私達も実は、この方式に見事に当てはまっているなと感じますし、組織の「和」の尊重は、現在の学校でも、友達でも、会社でも、家族でも、社会でも重んじられ、根本的に日本人の中に流れている共通した性質であることは間違いないでしょう。

★またこの、「嫉妬」の力学とされるものは、組織の「和」を乱すような行為を為されたときに起こるもので、そこには随時、潰れない組織である為の農耕型原理が働いているからと著者は指摘しています。つまり、個人の能力も周囲の和を尊重しなければ、「嫉妬」を引き起こし、排除されかねないのです。そのため、騎馬型社会では誇示すべきことも、農耕型社会では隠すべきことであり、まさに「能ある鷹は爪を隠す」状態が起こります。

★このことからも日本人がなぜ「謙遜」をするのか、由来が分かってくるようではありますが、こういう風に見ていくとあまりよくないイメージを抱くかもしれません。しかしこれは全て、人々が安心と安泰を図るための組織が「存続し続ける」には有効で必然的なことであり、騎馬型社会のような実力主義ではないからこそ、徳川幕府時代のように長い間一つの政権で保ち続けることができたのです。

★また、今だ長子相続を重んじる背景や、いかにして日本がこれまでの経済力を築き、発展してきたか、という謎も一挙に解けます。本著は神話時代にまで遡り、現代に通ずる日本人の性質をその行動原理をもとに、見事に解き明かしているので、自分の性質や日本人の思考傾向などが明らかになること間違いなしです。さらには、組織の人間の心理や行動特性なども知ることができ、これからの組織作りにも一つ、生かしていけそうだと感じています。

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⑮ホイラーの法則  E.ホイラー/[著]  ビジネス社

Hoira ★1971年に初版が発行された本著。ホイラーとは、一流の経営コンサルタントであり、 一流の販売コンサルタントでもあります。彼が発見した「ホイラーの法則」とはセールスの 古典として、長く人々から愛されているものでありますが、現在読んでも学ぶことが多く、 読まないと損だと思えるくらいの内容です。

★恐らく「営業」と聞けば、「ものを売ること、買ってもらうこと」を目的とすることだと思いますが、それはただの手段に過ぎず、本当に売るべきものは「その商品を買うことで、お客さんにどんな幸運がもたらされるのか」ということです。それが、ホイラーのいう「ステーキを売るな―― シズルを売れ」ということですが、これには気づくようで、なかなか気づくことができず、簡単なことのようで簡単ではない、すごく奥深い発見です。

★私たちは、商品を売ることに限らず、「相手に何かしてほしい」という思いを達成しようとする時、つい自分の要望や思いばかりをぶつけてしまいます。それはきっと、「○○をして欲しい」という自分の要求しか頭にないからだと思いますが、これを「相手」に置き換える努力をするだけで、状況は劇的に変化します。そして面白いことに、自分が言いたいと思うことより、相手が聞きたいと思うことのほうをより多く考えることが、本当に自分が欲しいと思っていた反応をもたらす・・・「えっ?」と思うかもしれませんが、その実例は本著の中に数多く載せてあり、証明されてあります。

★ここには終始、トークの話題が載せてありますが、その基本には「関わる相手の気持ちを良くする」というまさにコミュニケーションの極意なるものが描かれています。そして忘れてはならないことが、お客様とトークしている時だけが、勝負ではないということです。ホイラーの法則には、相手を思いやる気持ちが根本にあると先に述べたように、「購入後も、この人だったら相談できそうだ」と思わせる信頼を築くことにあります。そこに、真のコミュニケーションというものが生まれるのでしょう。人間、誰しも自分のことで精一杯ですが、いかに人のことを思いやれるかで、どんなことも好転させることが出来るのだなと感じます。否、誰もが自分のことで精一杯だからこそ、人のことを思いやれる人が重宝されるのでしょう。

★本著は、「営業」を身につけたいと思う人には最適な著ですし、自分の人生やあり方を見つめなおすにも、最適な著だと思います。いわゆる自己啓発と呼ばれるものではなく、こういうビジネス書から自分を省みるのも、案外面白いです。

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⑭教育 (常識について)  小林秀雄/[著]  角川文庫

Jhideo_2 ★わずか1ページ半の文章の中、こうも青少年の性質を見事に解き、明確に示している著 者のすごさに大変驚きました。一言で言えば、「なんでこんなに、分かっているんだろう」と いうのが率直な感想です。人間誰しも青年期というのは経験するわけですが、年をとるにつれ て段々そのときの状況や思いも忘れてしまいます。私は仕事がら学生にも毎日会いますが、一 方では学生を相手にしたビジネスを行っている人や企業の人にも会います。そこでは、「学生 のことを知りたい」という気持ちはやまやまなのですが、結局年の差を理由に「学生の気持ち は、自分たちじゃ分からない」という結論に落ち着き、的確な策を打ち出せないというのが多 いようです。著者も「残念ながら、私たちは幼年時というものをどこへやろうかと置き忘れて、 いつの間にか大人になるようにできているらしい」といっています。

★「こどもはこどもと言われるのを嫌う、青年は未成年という言葉に深い嫌悪を抱いている、青年は観察されることを嫌う、観察されていると知るやすぐその仮面をかぶる。その点で青年ほど気難しく、誇り高いものはない。青年は困難なものと闘うのが最も好きだ」――だからこそ、青年の 理想の火を感じ、青年の向上心を大人がまっすぐに目指し近づく時に、青年は一番正直に自分を表わす……..見事な洞察力だと感服しました。 

★10年の教師生活の中で、それだけは教わったという風に言っていますが、そこには著者が真剣に、「一人の大人」だという同等の意識で若者と接してきたからこそ、得られたものでないだろうかと思います。

★青年の向上心や理想を受け止め、そこにアプローチしていくにはまず、その青年の可能性や将来を見つめること、そこを信じて接することが大事だと思いますし、青年自身も「今の自分で判断されたくない、評価されたくない」という思いが強いのではないでしょうか。私自身もまだ未熟な若者にすぎないのかもしれませんが、自分が若者に抱いている思いや傾向を、この著者は的確に、そして見事なまでにシンプルに描いていることに大変共鳴しました。この著は、これから教育者を目指す人にも十分なよいきっかけを与えてくれるでしょうし、今現在子供たちとの接し方に悩んでいる人がいれば、その解決の糸口をつかめるヒントになるのでは、と思います。

★この本文は「常識について」の中に収録されているものですが、他のエッセイもさほど長くはありません。しかも、タイトルも「文化について」「詩について」「自由」「感想」「常識」・・・など、抽象的で幅広いものですが、そこに書いてあるものは大変深く、表現も研ぎ澄まされており、一度読んだだけでは悔しいことに、その真髄は容易には分かりません。しかし「スルメイカ」のように、読めば読むほど少しずついろんなヒントを掴めるような内容です。

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⑬読書について (常識について)  小林秀雄/[著]  角川文庫

Jhideo_1 ★趣味は?と聞かれて、「読書」と答える人は多く、特に世代間の差があるわけでもないよう に感じますが、果たして人々は、「読書」というものをどこまで深く捉えているのでしょうか 。「文は人なり」それは、文は目の前にあり、人は奥の方にいる、という意味だ――著者の小 林秀雄さんは、「書物が単なる書物に見えるのではなく、それを書いた人間に見えてくるのに は、相当な時間と努力とを必要とするとし、本当にその作家に迫っていけば、どんなにいろ いろな事を試み、いろいろなことを考えていたかが分かる」としています。私たちは、「読書をする」と一口に言っても、そこには各個人で様々な動機付けを持っているように思います。「書物の数だけ思想があり、思想の数だけ人間が居るという、在るがままの世間の姿だけを信ずれば足りるのだ」

★よく人々は、本や映画の世界に浸ることで、「違う自分を体験できる」との感想を口にしますが、それは著者によれば、「自ら行動することによって、我を忘れる、言い代えれば、自分になりきることによって我を忘れる、という正常な生き方から現代はいよいよ遠ざかっていく」ということであり、自分を忘れるためには他人になった気になりさえすればよく、外からの刺激に屈従するのが一番効果があるという心理傾向は、健全な傾向とは言いがたい、としています。確かに、私たちは心理の世界をさまざな妄念で充たすことで、我を忘れたつもりになり、それが一種のストレス解消になるということも現代社会では言われていますが、そこには現代人の都合のよい錯覚があるにすぎないように思います。

★そのように考えれば、私たちの読書の仕方も実は自分の都合のよいようにしか、読めておらず、それで分かった気になっているとしたら、危ういのではないでしょうか。文章は、一人の作家の壮大な人生や思想、経験、苦悩、から生み出されたものであり、それを読むということは、一人の人間に迫るということであると考えます。こうして、書評を書いている私自身も読みが甘く、本当に言わんとするところがまだよく分かっていないことが多々ありますが、それでも少しでもその作者にその文に迫ろうとすることが大事であり、同時に自分の状態や知識、思考を改めて気づかせてくれる、そんな読書をしていきたいと思っています。

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⑫日本企業・存亡の条件 ~迫り来る危機に対応せよ!~  坂本藤良[著]  PHP文庫 

Sonbou_2 ★本書は、1982年に出版されたもので、第一章で日本企業というものが、想像しているほど 安定しているものではないことを明らかにし、第二章では日本企業を襲うと思われる外的危 機の五大要因を取り上げ、第三章では、「日本的経営」と呼ばれるものがこれからの危機に 十分対応できるかどうかという観点からその歴史的役割を考察し、第四章では世界各国の企 業動向を、第五章では著者により「日本企業の構造改革試案」を打ち出す、という内容のも のです。

★なかでも、「日本的経営」とされている終身雇用制と年功システムの確立要因を明治期の日本から考察している点が非常に面白かったです。現在、企業は終身雇用と年功序列から成果主義へと移行し、またその必要性が叫ばれていますが、それも終身雇用と年功序列制度が今後の日本企業の停滞や衰退を招くものとして捉えられているからだと思います。

★そして現在では、一般的に終身雇用と年功システムは社員の働く意欲を喚起しづらく、会社への依存率を高める要因が高いとされ、日本的経営の象徴ともされていた制度だと捉えている人が多いと思いますし、学生のみなさんでしたら、このような評価制度は「古い、ふさわしくない、安穏としている」というイメージが既についてしまっているかもしれませんね。そして、これからは二極化が進み、実力主義の時代だと身構えている人もいるでしょう。

★しかし実は、日本は以前も、実力主義と労働移動率が世界で最高水準だった時期がありました。それが明治期です。今でこそ終身雇用の崩壊から、「一つの会社に身を寄せる」人は減少し、転職を考えている人がほとんどのようで、現代特有のように思われがちですが、実は明治期こそ転職率が世界でも高く、日本の企業構造は、極めて弾力的で流動性にとむ、実力主義構造だったのです。そのため、社内の人事異動も激しく、成果を出せない者は容赦なくクビを切り、実力派の若手人材の登用も積極的でした。例えば、三井銀行の中上川彦次郎や三井物産の益田孝、また三井・三菱の歴史に残る死闘は、まさに当時の状況を如実に表わしています。

★しかし、こうした驚くべき労働移動率の激しさが原因で、年功序列・終身雇用・温情主義の「年功システム」が確立されていったのです。つまり企業は労働力、特に熟練労働力の確保に苦慮し、定着率を高めるために考案されたのが年々昇給させるシステムでした。そして、それが現在「初任給」と呼ばれる新卒一律の給料制度を確立するきっかけとなったのです。(「なぜ、新卒だからといって初任給が一律でなければならないのか不思議だ」という疑問を抱いていた私は、明確な回答の一つをもらったようで、大変感激しました)

★このように、明治期には実力主義を、後に終身雇用・年功序列・温情主義の形態をとってきた日本の企業構造は、現在また大きく変化しようとしつつあります。一概に企業構造を「欧米的」「日本的」と分けることはナンセンスであり、歴史の一定段階に現れた変化に捉われることなく、対応していくことが必要だと感じました。(本書は、その後外国の企業構造の変化をもとに、日本の企業構造改革の行方へと続いています)

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⑪手造り文化の時代 (腐敗の時代)  渡部昇一/[著]  PHP文庫

Huhai_2 ★人は現在起こっている事象を改善したいとして、しばしば対策案を考えますが、それは 時として「違う結果をもたらした」ということはよくあります。ウィリアム・モリスはイギリスの産業革命がもたらした、厖大な数の年貧民階級とともに膨大な量の無趣味な工業生産物を憂い、それを生んだ資本主義体制に反発し、社会主義者連盟の指導者にまでなりました。しかしそれは、モリスの「美的な」ものを求めていた故に起こった心情でした。「余はいかにして社会主義者となりしか」という中で、「要約すれば、そのとき芸術への愛と実践と歴史の研究とに強いられて、私は文明の嫌悪者となったのである」と回想しています。

★しかしモリスは、職業人としては何よりもまずデザイナーであり、産業革命が生んだ醜悪なる生産物に反発すべく社会主義の理想として作り上げた建造物が、皮肉にも非常な人気を呼び、当時としては資本主義者もうらやむほどの大企業に成長し、商業的成功をしていたというから不思議です。その理由を著者は「彼は手づくりの仕事をする人間、つまりクラフツマンとしての仕事が立派な出来映えだったからである」としており、モリスの仕事に対する深い追求の姿勢が、結果的に富をもたらしたといえます。

★では、社会主義体制は、モリスの理想とすることに答えたかといえば、まさに逆の減少を起こし、新しい税制の下維持費を捻出できなくなった政府は、歴史的価値のある建造物を次々に壊さざるをえない状況になってしまいました。つまりモリスが、よきクラフツマンシップが保証され、美的によい品物が出来るためには、社会主義や共産主義がよいと信じたことが実現せず、全く裏目にでたというのが、歴史的真実となりました。

★そこには、クラフツマンとしての根本的条件である「自分の店」を持つことで、よりクラフツマンシップに情熱が入るという簡単な構図が浮かび上がり、その自分の暖簾を守る姿勢が、最高の仕事をもたらすということにあります。最近、手造りのもの、大量生産と反対のものを見直そうという風潮が出てきているそうで、確かに現在、職人の存続も危ぶまれていますが、その「手造りの思想」主張が、しばしば心情的に反体制思想に結びつき、それが左翼ラデカリズムになったモリスの二の舞を踏まないことが大切で、私達にその事実を見る目を、養ってくれる内容だと思います。

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